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磯根ハマヒルガオの「グリーンネットふっつ」

「グリーンネットふっつ」のホームページへようこそ。

 「グリーンネットふっつ」は磯根岬のハマヒルガオの復元を主な活動としてやってきましたが最近は一歩進んで海岸植物の栽培と活用を手がけています。

 また、郷土の先駆者苅込碩哉の著述・講演などの足跡記録、収集が2千点を越えた地域の古写真復元などもやっています。

 さらに、郷土史の掘り起こしとして、ずさんな石組みにはわけがある弁天山古墳、古代人の住居ではない絹横穴古墳群、運慶作かも知れない道場寺の宝冠阿弥陀像、江戸時代初期には天守閣があった佐貫城、富津市全域に広がっている富士信仰を中心にした富津の石造物や、富津の最古寺の一つであり鎌倉新仏教(西大寺流真言律宗)をいち早く取り入れたように見える岩富寺、幻の上総安国寺、古式の神社建築を昭和時代まで引き継いできた鶴峯八幡宮などを紹介していきます。

 この「グリーンネットふっつだより」と関連する記事が多く見られるホームページ

 

 

 以下には、ローカルニュース及びグリーンネットふっつからのお知らせをのせてあります。日付の新しい順に並んでいます。

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 今のハマヒルガオ写真、ハマヒルガオベストショットは、「磯根岬と周辺の海岸植物保全」のページに入っています。規約、事業計画、予算などはページ最下段のサイトナビから入っていけます。

        最終更新日 2017.09.25

以下の記事は一定期間の掲載後削除しますが、テーマ分類して各ページに収納します



  富津の「やわたんまち」の浜

 9月10日は佐貫八幡の鶴峯八幡宮の祭礼(通称やわたんまち)でした。好天に恵まれこの数年では最も盛大でした。この写真は神輿のお浜出を待つ新舞子海岸。


 「やわたんまち」のお浜出は、行列を作ります。まず獅子が出発し、木遣りを歌いながら、道を清め、次に猿田彦(テング様)が道案内、続いて祭礼役員が裃姿で進み、続いて神主、そして神輿が三基(大坪、笹毛、八幡の順)で進みます。正規に配置すれば行列はおよそ二百メートルの長さ。近年では笹毛の神輿が破損のためなくなり、替わりに佐貫町連合で一基出ていたのですがこれが今年は中止でした。進行途中で獅子は鳥居崎で神事があり、この場所で謡う木遣りは次の謡に決まっています。「ヨーエー、ヨーエー、ヨーエー、ヨーエー、ここはどこよとかこしに聞けばここは一の谷敦盛さまよ、もとづなヨエー」

 お浜出の途中の鳥居崎での神輿のショット。ここは急な坂道ですので、望遠縦長の構図で、獅子、猿田彦、裃行列、神輿が三基入ればベストショットですがその実現は総合プロデューサーが居ない現状ではまず困難です。それにドローンでないと撮れません。

 海中の神輿。新舞子は波打ち際から10mくらいで胸までの深さになります。水中で肩を抜かずに揉めればOK.。今年は担ぎ手が多かったため、みごとでした。午後の海が金色の海になりつつある時刻でした。



  浜香の成長

 今年1年で伸びた浜香の枝です。全長は1.7mあります。1年と云っても急速に伸びる時期は7月8月の2ヶ月ですので、1日に3cmくらい伸びた計算になります。茎の途中で根を出すこともありますが、この根は貧弱で長さ20cmくらいです。この1本の茎は場所によって3つの季節が見えます。

 根元部分は花が終わり、実が成り、葉が色づいて秋の装いです。

 中間部分は花が咲く夏の装いです。

 茎の先端部分はみずみずしい葉っぱの春の装いです。

 この伸びた茎は11月には葉が黒く変色して枯れて冬の装いとなります。この地上茎で翌春に芽生えるのはおそらく1/5くらいです。4/5はそのまま枯れます。浜香は樹木ですが、寿命は2、3年のようです。というのは、茎の太さが3、7、14mmと飛び飛びの直径で例えば5mmとか10mmとか中間の直径が殆どないのです。新舞子では一番太くて30mmでした。仮説で年ごとに直径が倍になるとすると体積では二乗で成長しないと追っつかないですから難しい話しですが表面的にはそう思えます。
 茎は生木の時は曲げに対して折れやすく裂けやすいですが枯れて乾くと曲げに強くワッパを作りやすいです。太さが一定していますので、まっすぐ伸びたのを曲げるのではなく、成長の段階でガイドで導いて曲げて育てれば何かに使えそうです。

 ホームページでは繰り返し伝えていますがこの植物の花、種、葉、茎は良い香りがします。何に似たにおいとなかなか云いきれないですが、何か静かなにおいで、ものの本によれば呼吸が楽になる、鎮静などの効果があるようです。

 葉や茎に比べて種子が一番においが安定(強さも質も安定)していてしかも長続きします。昨年採取した種子は多少においが薄くなりましたが今も健在です。

 別の枝の浜香の新豆です。今年は黒く変色する前に収穫してみました。



  新着古写真 

 昭和31年(1956)に撮影された写真を2枚紹介します。
 湊川の便利橋です。現在の神田橋(吉田屋スーパーの東にある橋)がなかった頃の臨時橋。写真右側が河口方面です。対岸に見えるのは売津集落。橋の右側の大きな船は渡海(とけい)船。

 昭和31年、新舞子の中央突堤新造頃の写真です。撮影者に伺うと、小西六(写真機メーカー)写真展で入選した作品だそうです。写真データはペトリ35、F=8、1/100、フィルムはSS、場所・時刻は新舞子・午後。太陽の位置から季節は推定ですが9月下旬です。
 
 昭和31年は、駐留米軍兵力削減、日ソ国交正常化交渉、日本国連加盟、経済白書で「もはや戦後ではない」。鳩山内閣から石橋内閣へ。ヒマラヤマナスル登頂成功、米軍統治下の沖縄米軍基地プライス勧告に住民反発。日本原子力委員会実験炉用地決定。メルボルンオリンピック。映画「太陽の季節」。南極観測船「宗谷」初出発。

  秋の浜昼顔(新舞子にて)

 9月18日の台風は風と高波が強く、ハマヒルガオの多くの群生地が波をかぶりました。今は枯れているのが多いですが、多分これらは来年春には葉っぱが出そろいきれいな花を咲かせることでしょう。と、云うのには訳があって、2011年3月11日に大津波に見舞われた旭市の海岸でその年の5月にハマヒルガオの花が咲いているのを目にしているからです。期待しています。

 もうひとつハマヒルガオが元気な場所がここの場所です。ここは今年の6月頃ブルトーザーで砂の表皮をひっくり返した場所です。ここに今年6月以後ハマヒルガオが芽生えて、この夏で写真のように成長しました。
 この株も地上部は冬に枯れますが、根がしっかりと来年早々に芽を出し、花を咲かせることでしょう。なお、今年芽生えたのは今年の種子ではないと思います。数年間眠っていた種がブルドーザーの刺激によって目覚めて発芽したと考えるのが自然です。発芽時期は7月か8月です。

 ちなみに、ブルドーザー引っかき回し前は、この写真のようにコウボウムギが主体の草原でした。そう言うことから推定して磯根のオニシバに占拠された場所も次のような浜昼顔復活方案が考えられそうです。


 コウボウムギやオニシバ等によって占拠され、その後それが安定した植物相となってしまった時は、ブルドーザーで表面をひっくり返すとハマヒルガオの復活になるような気がします。この時、占拠主体の植物がコウボウムギの場合は浅くひっくり返すだけとし、オニシバの場合は深く(例えば50cmくらい)耕してさらに多少砂を取った方がいいかもしれません。根の張り具合に合わせて耕運深さを選ぶべきだと思えます。



  夏の終わりの磯根浜

 磯根で今年一番ハマヒルガオ群落の濃かった場所の今です。背の高いのはツユクサ。葉がみっしりと生えていて来年の花の美しさを約束しているようです。

 群落は西(波打ち際方向)に膨張していて、ここは若い株の増殖ゾーンです。

 その南今までは砂地で何もなかった場所に今年芽生えたハマヒルガオの株を見つけました。芽生えの時期は花の最盛期を過ぎた頃5月、6月頃ですので、今年は花が咲きません。ひたすら地下内部の充実に務めます。この株が来年花咲きの主役になるのでしょう。今年は梅雨時に雨が少なかったですが、真夏になってしょぼしょぼ量は少なかったですが長雨となり、芽生えたばかりのハマヒルガオにとってはいい年だったかも知れません。

 たき火跡に今年芽生えた株が成長していました。こういう場所が格好の群落ポイントになります。

 磯根浜の中央部、グリーンネットふっつが集中して見守ってきた場所は、オニシバが主体になっていますが、一頃のオニシバの勢いが消えました。

 オニシバの中にハマヒルガオがポツポツ出ているのが確認されました。

 磯根浜の奥部で、磯根には珍しいオオマツヨイグサ(月見草)を見つけました。トクサの中に君臨して咲いていました。

 地面に転がっている方がハマボウフウの種、穂の中に見えるのはコウボウムギの種です。
これらの種は、来年必ずしも芽生えません。下手をすると数年後に芽生えたりします。しかし芽生え率はそんなに低くはありません。まだ数字で示せませんが、観察所見ではいい線を行っているはずです。ただ、芽生え時期は春ではなく、夏です。

  新舞子名物ハマゴウ(浜香、浜這)

 ハマゴウ群落の全体像です。新舞子には大きく3箇所に別れて群落を作っています。内房では、ここと、小規模ですがとなりの大坪海岸でしか見られません。

 クローズアップ写真です。夏に小さな紫色の花が房状に咲きます。花も葉も肉厚でボテッとしています。花、葉共に良い香りがします。夏の終わりに種を多量に作ります。これも良い香りがします。種を枕に入れると安眠効果があります。

 ハマゴウは草ではなくて樹木です。茎は3cm以上になり、一夏で2mくらい地面を這って領域を広げます。茎は堅くて屈曲性が良いです。茎も良い香りがします。



  磯根浜の砂の堆積が急上昇

 グリーンネットふっつの資材小屋の写真を紹介します。まず小屋の新築は2015年4月。それと近況(2017年7月)の写真を見比べて砂の堆積を比較しましょう。

              2015年4月撮影

              2017年7月撮影

              2015年4月撮影

              2017年7月撮影

 目を奪われるのは、小屋周辺の景色です。野原の真ん中で真っ平らな場所に建てたつもりが2年で、谷底にうずくまった状態になりました。


 さらに注目は小屋の左側遠くにある土嚢の列。ほぼ2年で埋まってしまいました。これは日々の砂の僅かな堆積の結果ではなく、2014年旧小屋を吹き飛ばした春の大嵐、2015年、2016年とハマヒルガオ開花直前に襲った大嵐の結果なのです。
砂の堆積は1回の大嵐で数メートルに達することも珍しくありません。磯根については、この数年で平均20~30cm、場所によっては1m程度の砂の堆積があったことが確認出来ました。そして小屋周辺は別として全体にフラットになりました。

以上のことと、近年の磯根ハマヒルガオの勢力のなさを結びつけますと、結局地下水位が20~30cm低くなった結果なのではないかと推察します。


 磯根の地下水位は、何度も繰り返しますが不法投棄土砂(水分の保持能力が高い)の流出層の位置です。これが砂の堆積と共に年々深くなるわけですが、ついにこの数年で、ハマヒルガオの根の先端が届きにくくなってしまったと云うことです。


 ちなみに、ハマヒルガオの根の深さは50cm程度、それに対して、オニシバ、ハマボウフウなどは1m近くあります。



  大貫海岸の川造りをスライドショーで!

 約1年の定点撮影をスライドショーにした動画です。ある日突然、絵になる景色が出現し、そしてすぐに消えてなくなります。



  来年用写真展作品募集ビラが出来る

 来年の写真展用広告ビラを作りました。ヘッドタイトルとしては秋冬用に紅葉等でもう一つ考えたいです。
 昨年活動の反省会意見を踏まえ、新聞折り込み、回覧など市役所やマスコミのまねはしない。デザインはカット集などからのパクリはしない。稚拙でもオリジナルで、印刷グレードを上げて、その代わり百部単位の超限定配布。過去に応募や来展された人にはダイレクトメール。今まで縁がないが脈のありそうな人に声かけ直接手渡しの方針で行きたいと思います。この方法で新規に10名の関心者が現れれば成功ということで行きたいと思います。

 ただし、「広報ふっつ」、「ファミリア新聞」に限って不特定多数者への広報を引き続き活用させて貰います。

 なお裏面には、グリーンネットふっつ蒐集の古写真を印刷します。富津、大佐和、天羽など地域別に2Lサイズ2枚のみ色々な組み合わせで同じものが殆どないような形とします。


   古写真もう一枚、地曳き網のベッピンさん

 大正から昭和に変わる頃、観光面で新舞子は第1回目のピークを向かえ、「旅の友社」というグラビア雑誌で特集が組まれました。魅力的な古写真が多数残っていますが、そのひとつがこれ。 


 この写真には新舞子の特徴がいくつか表現されています。まず、吃水深く積み荷を積んだ押送り船、波打ち際からすぐに深くなる海岸。岩場や暗礁を気にしなくて良くてしかも広々としている海岸、波は静かではないが遠浅でなく、すぐ深くなる海岸が、陸上げを前提とする押送り船の基地として最適だったのでしょう。津ごと押し送り船数最古の記録が新舞子であり、最後まで多数残った押送り船の写真を残したのも新舞子だったというのも偶然ではありません。

 ひとりだけ麦わら帽子で、一人だけ腰縄(地曳き網手順初期に引き綱にひっかける縄、これで体を倒して体重を預けて後ずさりして綱を引っ張る)をつけないこの女性は何者か?


 たすき掛けが馴れていて格好がいいですね。海中にいて網をもっている男性も若くて体脂肪が少なくマニアチックに筋肉マンでなくふんどしの締め方が決まっています。しかも老若男女の群像で、こういうの青木繁だったらどう描いたでしょうか。

 なお、押送り船については地元の伝承、記録、記憶が希薄です。「千葉県史」、「東京湾海上交通を扱かった本」、「房総の船」などにまったく載っていません。東京湾学会講座でも扱っていないと思います。わずかに富津漁協が出した本の中に、東京湾学会主催者の高橋在久さんの一文(結構詳しい)が載っていました。それでもそもそもこの舟形はどこの発想なのかは書かれていませんでした。ただ経済的システムは考察されており、それによりますと、江戸(明治後は東京)の問屋の独占的な経営・契約で地元に雇用はあったようですがうまみは江戸に持って行かれていたようです。しかし初ガツオや高級魚の江戸料亭・遊郭料理、北斎の絵画など江戸食文化のかなりの部分を支えていたのは富津であり、なかでも新舞子だったことは確かです。(記憶遺産になるのでは?)


 とにかく順風に恵まれれば江戸日本橋まで3時間だそうです。風の条件が悪い時には櫓に二人ずつついて7丁艪だそうです。初カツオがムカデのような船でやってくると古川柳にあるようです。
 



  新着古写真

 裏面に「佐貫町壮丁徴兵検査記念大正7年」とありました。さて写真背後の景色が佐貫町とは思えません。装丁写真店住所が木更津であることから、木更津「見染めの松」公園あたりでしょう。
 徴兵検査が夏の木更津で行われていたということです。男子の人生通過儀礼として昨今の成人式よりはるかに重みがあり、おそらくこの撮影の後、木更津の色街に繰り出したことでしょう。

 空と海だけカラー化してみました。もともとモノトーンの景色ですから、女性のカスリと帯に色をつければカラーになってしまいますよ。
 新舞子。昭和30年頃です。わずかに見えるヘサキの形から船形は押し送りタイプですが、発動機とプロペラがついた動力船です。新造直後のようで新しい船にサザナミが涼やかです。よく見ると老若男女8人で押しています。

「千住第一小学校との交歓会」と裏書きにありました。昭和35年頃だと思われます。場所は新舞子八幡神社前。画面後ろのトラックからレッカー車のような斜めの棒が出ているように見えますが、松の木です。子供達の手荷物を佐貫町駅からトラックで運んで来たのでしょう。画面左に50歩行けばあった二見旅館で千住小学校は臨海学校を開いていました。生徒達は一週間くらいで交替していきました。
 画面左手前の建物は消防団詰め所です。鎧張りの建物で笹毛の消防団詰め所(現存)に似ています。
 交歓会では都会っ子と田舎っ子の対決でお互いの品定めをしています。田舎の子(佐貫小八幡分校)が案外と野暮ったくなくスマートで格好がよいですね。下駄履きですが。

 

  雑感

 グリーンネットふっつの清掃活動は今、夏休み。再開は9月1日からです。

 そこで久しぶりに8月20日、磯根浜を見に行きました。海岸の波打ち際のゴミがきれいに片付けられ、大きなタイヤなどが浜の入り口(フェンス)に集積されていました。これは有り難いのですけれど。

 市から要請されているゴミの集積場所はトラックが入ってこられるアスファルト舗装の領域です。集積して貰った場所にはトラックが横付け出来ません。

 市の指導が悪かったかも知れませんが、折角の行為がちょっと減点になりました。9月になってグリーンネットふっつの仕事がひとつ増えました。