TOMさんの映画にひとこと'99

このページは日ごろ僕が書きためた、レンタルビデオ鑑賞日記です。

いちおう星取り表になっていますが、そのときの気分で付けたもので、あまり信頼性はありません。

@@警告!!この先ネタばらしあり。まだ観ていない人は読まないで!!@@

の下の文章は、カーソルで選択し、背景色を反転させれば読めるようになっています。

ただし、警告しているようにネタバレが含まれますので、映画観賞後まではお読みにならないようお願いします。


27.スター・トレック〜叛乱/ジョナサン・フレイクス;1998年アメリカ映画(1999.12.16)

 NGシリーズ三度目の映画化だが、出来ははっきり言って一番悪い。何より、映画としてのスケール感がない。こじんまりとまとまりすぎ、TVシリーズの一本程度のボリュームしか感じられないのだ。何故か考えてみたのだが、これは監督のジョナサン・フレイクスの力量と言うより、プロットの段階での練り不足ではあるまいか。

@@警告!!この先ネタばらしあり。まだ観ていない人は読まないで!!@@

 とにかく、物語のバックグランドがあまりに粗雑である。最初のデータ少佐の暴走についても、結局最後まではっきりした説明はないし、住民たちを強制移住させようとする悪玉連中の肩を持ってしまう連邦側も、 最後まで司令一人だけでその立場を代弁しているので、彼が本当に連邦の総意を代表しているのか、独断でやっているのかよく判らない。わざわざ通信可能領域まで飛んでいって、舞い戻ってくるエンタープライズ号も、肝心の通信シーンが省略されているために、ラストのクライマックスまでの間を持たせるために動いていたとしか見えないのだ。結局この映画での見せ場は、トロイとよりのもどったライカーの髭を剃った顔だけだったのではあるまいか。・・・


26.マイティ・ジョー/ロン・アンダーウッド;1998年アメリカ映画(1999.12.5)

 しょっぱなにRKOピクチャーズという映画会社のロゴが出て、思わずにやりとさせられる。巨大類人猿が登場する映画はやっぱりこうでなくてはいけない。たとえその実体がブエナ・ビスタ配給のディズニー映画だとしても。

 この映画は基本的に50年も前に作られた「猿人ジョー・ヤング」のリメイクだが、ゴリラならお任せ、のリック・ベイカーが特殊メイクを担当し、CGIをドリームクエストとILMという二大巨頭が手がけただけあって、かの「ジュラシック・パーク」シリーズをも上回るリアリティを持つことになった。とにかく何よりも主人公(!)ジョーの演技に感動させられる。実際にはワイヤーによって操作される巨大なプロップと、CGによるイリュージョンなのだが、それらの融合があまりにもうまくいっているために(せいぜい、このカットは全身が写っていて、しかも歩いているからCGだろうと類推する程度である)まるで本物の巨大ゴリラを調教して演技させているようにしか見えないのだ。恐竜は皮膚が露出しているのでテクスチャー・マッピングは簡単だろうが、ジョーのような毛むくじゃらのキャラクターをCGでリアルに見せるのは、かなり難しいはずだ。しかし、本編に登場するジョーはどう見ても本物にしか見えないほど自然に仕上がっていた。特にこの映画ではジョーが逃げまどう人間たちとからむシーンが多く、高度な合成テクニックが随所で使われているはずなのだが、使い方がきわめて巧みで、ほとんどそれと意識させることはない。「ジュマンジ」の頃とはえらい違いである。CGIもここまで来たか、と思うと、まさに感無量である。

 肝心の物語はいかにもディズニーのファミリームービーと言った趣で、あくまで基本を押さえた作りでさほど新味はないが、その分安心して観ていられた。「キングコング」と違ってハッピーエンドなのも、やはりディズニー映画ならではだろう。下手に環境保護やなにやかやのイデオロギーを持ち込まなかった分、ストレートにわかりやすい作品になっていた。・・・


25.イエロー・サブマリン/ジョージ・ダニング;1968年イギリス映画(1999.10.24)

 実は、ほぼ30年前の初公開当時観ているのだが、当時はこの感覚についていけず、イマイチよく判らなかった。あまりに時代の先を行っていたのだろう。今回全面的にリニューアルして、音声もドルビーステレオ化されたソフトが出たのに合わせて再び観たのだが、製作されて30年が過ぎ、ようやく時代感覚が追いついてきた感がある。美術はまさに動くポップアート、音楽はビートルズ最盛期の名曲揃いと来て、お話も今の感覚では難解どころか、絵柄や雰囲気によくあった、なかなか面白いものだった。基本的にはビートルズの名曲をちりばめたミュージカル映画の感が強いが、実写では不可能なアニメーションならではの表現方法が至る所に溢れた、とても魅力的な作品である。ラストでまだ若々しいビートルズの面々が登場するのだが、現在の彼らを思うとき、30年という歳月の流れを否応なく感じてしまう。・・・


24.マックスQ/マイケル・シャピロ;1998年アメリカテレビ作品(1999.10.23)

 こちらは現在進行形の宇宙ものである。けしてSFではない。明日起こっても、何の不思議もない物語だ。一応タッチストーン映画ということになっているが、構成をみる限り明らかにTV用ムービー、いわゆるテレフューチャーである。

 物語は、スペースシャトル・エンデバーが民間の通信衛星を積んで発射されるが、いざ軌道投入しようという段になって 、衛星にトラブルが発生し、無理に発射しようとして貨物室内で爆発事故を起こしてしまい、シャトルのAPU(補助動力装置)がダウンしてしまう。救援のシャトルを打ち上げてもらうか、自力でAPUを修理しない限り生還は不可能。さあどうしよう、という、この種のドラマにはよくあるものである。NASAの協力もあってセットなどなかなかリアルに出来ているし、無重力の表現も、目立つ破綻はなかった。SFXはテレフューチャーらしく、目を見張るというほどのこともなかったが、特に問題となるような不自然なところもなかった。

 話の展開にはやや強引に盛り上げようとする傾向が見られ、あちこちに無理はあったものの、たぶん同じ題材を僕が描かされても、似たような盛り上げ方しかできないだろう。キャラクター描写はこの種のドラマとしては標準的なものだが、冒頭で、いかにもトラブルメーカー然として描かれた、エミー賞を二度も受賞した(とは思えないほど軽薄そうな)ビデオジャーナリストが、実は意外に冷静沈着な人物であり、逆にプロフェッショナルな筈の副パイロットが錯乱してしまうくだりは、結構うまいと思った。しかし、主人公に思いを寄せるプログラマーの女の子が、事故が起こってからAPUについて猛勉強し、彼女の助言によって全員生還を果たしてしまうあたりは、それではAPUの担当責任者の立場はどうなるのか、と訊きたくなってしまった。担当者が不在の理由を一言くらい言っておく必要はあったと思う。全体に、先日観た「フロム・ジ・アース」と比べると格段に落ちる出来ではあるが、これはあちらがよすぎるのであって、テレフューチャーとしては十分水準には達している作品だと思う。・・・


23.ザ・ドッグファイター/ドン・テイラー;1981年アメリカテレビ作品(1999.10.23)

 十数年ぶりに、ビデオテープのチェックも兼ねて観たのだが、幸いなことにトラブルは全くなく、購入当時とほとんど変わらない品質だった。特に注意して保管していたわけでもないのだが、置いてあった場所の環境がよかったのかも知れない。

 さて、肝心の内容だが、二組のファイターパイロット夫妻がレッドフラッグ演習のため、ネバダ州ネリス空軍基地にほど近い、ラスベガスを訪れるところから始まる。物語は教官として敵軍パイロット役を務めるかつての同僚との確執や、次第に増長し、手の着けられない自信家になってゆく主人公と、そんな夫にとまどい、軍人家業からなんとか足を洗わせたいと願う妻との関係を、この手の話としてはなかなか深く掘り下げて描いている。登場する戦闘機は主人公の乗るF-4EファントムII(スラット付きの後期型)と、相手役アグレッサーの駆るF-5EタイガーII。空軍が全面的に協力した作品なので、主人公の乗る機体はキャラクターに合わせてネームタグなどがリペイントされ、発進シーンやいくつかのマニューバについてはちゃんと本編用に撮影していた。もちろん、空中戦シーンの中には実際のDACT(異機種間空戦訓練)のフィルムと思われる映像もふんだんに混じっている。

 舞台がネリス基地で、レッドフラッグ演習が背景となれば、もちろん「レッズ・イン・ブルー」である。確かこの作品を見たのはあの連載の少し前で、セットなどずいぶん参考にさせてもらった覚えがある。出来としては大した作品ではないかも知れないが、そういう意味では感慨深いTV映画であった。・・・


22.フロム・ジ・アース(4〜6)/ジョナサン・モストウ、サリー・フィールドほか;1998年アメリカテレビ作品(1999.10.12)

 ようやく全部観終わった。期待があまりに大きいと、いざ実物を目にしたとき、理想と現実の落差にがっくり来ることが多いものだが、このシリーズに限ってはそんなこともなく、第一回のテンションを最後まで保ち続けていた。一話ごとに脚本、監督どころか音楽担当者まで代え、それぞれまったく違ったスタイルで作ったところが勝因だろうか。映画版「アポロ13」との差別化をどうするのか懸念された第8話も、それを伝えるキャスターの新旧交代劇に焦点を当て、ぜんぜん別の角度から物語を描くことに成功しているし、いったいどう料理するのか気がかりであった、アポロ14〜17号までの、特にこれといったエピソードのない飛行の描き方も、13号の回同様、巧みな視点の取り方でそれぞれを面白く観せてくれた。特に、女優のサリー・フィールドが監督した(冒頭少しだけ出演もしていた)第11回は、「妻たちのアポロ計画」とでもいった内容の物語で、計画の全体像を別の角度から見せてくれて興味深かった。それにしても当時の飛行士たちのほとんどがその後離婚している事実は、離婚大国アメリカの現実を見せつけられる気がする。

 それにしても見事なSFXである。このグレードであれば冗談でなく「カプリコン1」の世界は実現できるだろう。月面上で作業する飛行士はみな金メッキされたバイザーをおろしているが、その鏡面には月の表面しか映っていない。すぐ近くで撮影しているはずのカメラマンも、そのほかのクルーたちもいっさい映っていないのだ。おそらくバイザーの鏡面部分だけCG処理しているのだろうが、全然そうとは気づかせない見事な出来であった。宇宙ロケットの発射シーンや、月着陸船の着陸シーンなども、まったく破綻のない映像で、あまりにクリアーすぎてかえって現実感がないことを除けば、実写のプロップだといわれてもほとんどの人は気づかないだろう。

 最後に、版元のポニーキャニオンに一言。ぜひ、ぜひこのシリーズをDVDボックスにして発売して欲しい。このシリーズにはそれだけの価値は絶対にある。そうなった暁には当然僕も1セット購入させていただきます。・・・


21.ガメラ3〜イリス覚醒/金子 修介;1999年劇場公開作品(1999.8.22)

 鳴り物入りで公開されたガメラシリーズの最新作である。これまでのシリーズ作品と比べて、一目でわかる違いはズバリSFXである。これまでも、たとえばゴジラシリーズなどと比べれば、ずっとリアリティを感じさせるSFXではあったが、今回はデジタル技術の進歩のおかげもあってか、前二作よりすべての面で遙かにリアルで、ようやくハリウッドのフルデジタルSFXに肩を並べる水準に至ったと言える。特にJR京都駅構内の場面は、もう少しガメラ・イリスとキャラクターたちのカブるシーンがほしかったものの、迫力といいリアリティといい、これまでの日本怪獣映画史上最高のシークェンスと言っていいだろう。模型を使用したと思われるF-15Jとの空中戦シーンも、実写部分とそれほど違和感なく作られていたし、バルカン砲の発射音も実際の音声を収録したと思われるリアルさだった。もっとも映画なのだから、もう少し原音に手を加えて、それらしい迫力のある音を作ってもいいような気もするが。

 唯一 気になったSFXシーンは、これは技術というよりセンスの問題なのだが、前田 愛演じる少女がイリスに取り込まれ、意識を交感する場面の処理がいささか陳腐というか、あまりに当たり前だったことだ。この作品の製作中は異常なまでのエヴァ・ブームだった頃のはずで、監督の庵野はスタッフに紛れてメイキングを撮っていたりした。せめて、エヴァで多用されていた様々なテクニックの一つでも参考にしていれば、あれほど陳腐な描写にはならなかったと思うと、ちょっとばかり残念だ。「ガメラになりきれなかったガメラの墓場」などという明らかなエヴァのパクリをやるのなら、もう少し違った部分を参考にしてほしかった。

 SFXのすばらしさに比べ、相変わらず脚本の詰めは今一歩で、たとえばギャオスとイリスの関係は最後まで判然としなかったし、山咲千里演じる謎の女の設定も、もう少しすっきり描けなかったものかと思う。へんてこなゲームデザイナーに至っては、ほとんど意味のないキャラクターに堕してしまっていた。はなから渋谷上空で戦うギャオスとガメラも、いささか唐突の感は免れない。なぜ怪獣たちがいつも日本ばかりに集中して集まるのかの説明も、「マナ」を持ち出すことで何となくわかったような気にさせるが、結局何も説明しないうちに場面は転換してしまう。このことは、エンディングで日本目指して蝟集する、ギャオスの大集団(飛び方が一作目のものに比べてぐっとリアルになっていた。これもCG化のおかげか)の行動を説明することにもなるので、もう少しわかりやすくすべきだった。余談だが、最初のガメラでは、最後に残ったたった一頭のギャオスに対して大苦戦したのに、今回あれほどの頭数を敵に回して、勝ち目はあるのだろうか。それともあれは、ガメラ4への引きなのだろうか。

 最後に個々の演技について。前田 愛はあの歳にしてはなかなかのキャリアで、演技力もしっかりしていた。中山 忍はいつも通りの可もなく不可もない演技で、大した破綻もなければ目を引くシーンもない。まあ、鳥類学者という冷静たるべきキャラクターでは、あまり 派手な演技はしたくてもできないだろうが。これに対して、怪獣のエキスパートにされてクサる官僚を演じた本田 博太郎は、キャラクターの把握を間違ったのか、場違いのオーバーな演技で辟易させられた。どうも彼は「北京原人」いらい調子を落としているようだ。・・・


20.フロム・ジ・アース(1〜3)/トム・ハンクス、フランク・マーシャルほか;1998年アメリカテレビ作品(1999.8.21)

 自分の伝えたニュースの中で、後世に残る最大の事件はなんだったかと聞かれて、ウォルター・クロンカイトは即座に「アポロ計画だ」と答えた。確かに、今より数百年の時代が流れて、もしまだ文明と言えるものが残っていたら、アポロ宇宙船の月着陸は原子力の発見と並んで今世紀最大の事件として記憶されていることだろう。「フロム・ジ・アース〜人類、月に立つ」は、まさにその最大の事件を可能な限り忠実にドラマ化した、ミニシリーズである。

 昨年アメリカで放映され、今年になって日本でもNHKの衛星放送で放映されたが、残念ながら僕は未だに衛星放送に加入していないので、今回のビデオリリースでようやく観ることが出来た。といってもまだ前半の六回分だけだが。内容は、はっきり言って無条件のお勧め作である。ドラマとしても実によくできているし、SFXはほとんど大作映画「アポロ13」に匹敵する見事さ。それもそのはず、このシリーズの製作総指揮には「アポロ13」に主演したトム・ハンクスその人が当たっているのだ。また、監督であったロン・ハワードも制作者の一人に名を連ねている。作品全体が「アポロ13」を思わせるものになっているのも頷ける話だ。

 物語はおおむねアポロ計画の進展に従って進むが、回によってはっきりテーマを決め、それに従って脚本が書かれているために、話がだらだらと進むようなことはない。主人公も回ごとに違い、毎回一話完結のエピソードとしてまとまっている。前半の大きなヤマであるアポロ11号の月着陸までしか観ていないので、こののち話がどう展開するのかわからないが、これまでの出来を見る限り、いささかの不安要因もない。非常に楽しみである。

 監修がしっかりしているせいか、字幕にもほとんど変なところはなかったが、なぜか一カ所、マーキュリー宇宙船のメーカーが「マクドナルド」になっていたのには笑わされた。もちろん「マクドネル」の間違いなのだが、英語の発音では両者はほぼ同じに聞こえる。まさか受けようと思ってわざとやったのではなかろうが、あのマクドナルドが作った宇宙船はどんなだろうと思うと、ちょっと笑える。それから発音といえば、日本では「ジェミニ」と発音される“Jemini”は、英語では普通「ジェミナイ」と発音されるのだが、この作品の中では半分くらいのキャラクターが「ジェミニ」と発音していた。ラテン語の発音ではたぶん「ジェミニ」の方が正しいので、作中で「ジェミニ」と発音していたキャラはインテリということなのだろうか。(4〜6はこちら)・・・


19.ブリット/ピーター・イェーツ;1968年アメリカ映画(1999.8.20)

 行きつけのソフト屋が新装開店したので覗いてみたら、DVDソフトを1890円という格安で売っていたので、思わず5枚も買ってしまった。それでも一万円でお釣りがくるというのだから、下手な中古ビデオよりまだ安い。売っていたのはもちろん未開封の新品である。

 で、とりあえず今日はその中から一枚、「ブリット」を観た。レンタルビデオではないが、ま、ビデオソフトの親戚ということで、大目に見てほしい。

 はっきりとはうたっていなかったが、本編はデジタルネガテレシネされているらしく、30年以上前の映画にしては発色が非常によかった。DVDにしてはいくぶん輪郭が甘く、場面によってはピントが少し寝ぼけ気味になるのが残念だが、まあ高画質の部類に入る画質ではある。音も、昔は普通のモノラルだったような気がするが、今回は一応ドルビー・サラウンド化されていた。とはいっても効果音が多少左右に動く程度で、本格的な立体音響とはとても言えないが。

 もちろんこのくらいの名作になると、初見ということはないのだが、最後に観てからもう20年以上は経っているので、細かい部分はきれいさっぱり忘れていた。改めて観てみると、ピーター・イェーツらしいメリハリのある作品だったが、現代のいささか歯切れのよすぎるローラーコースター・ムービーに比べると、これでもモッタリして見えるかもしれない。スティーブ・マックィーンはいつもどおり感情を殺した演技だが、それにしても今回は異常なほど無表情で、劇中ただの一度も笑みを漏らすことはなかった。

 見所はやはりサンフランシスコの街なかを走り回るカーチェイスで、こればかりは今見てもすごい迫力だ。これより少し前の映画では、車のシーンはスクリーンプロセスやブルーバック合成で処理していたことを思うと、大変な進歩である。というより、カーチェイス撮影の基本はこの映画一本で完成されてしまったと言っていいのかもしれない。

 脚本は正直言ってやや説明不足な部分があり、タイトルバックの犯罪のシーンや、ロスの兄が脅されるシーンなど、なんのための伏線なのかちょっと判らなかった場面もあった。それでも全体を貫くハードボイルドな雰囲気は、マックィーンの好演とも相まって独特の「味」を醸し出しており、エバーグリーンの一本として残る貫禄を十分持っている。・・・


18.オースティン・パワーズ/ジェイ・ローチ;1997年アメリカ映画(1999.8.13)

 今年、続編が「スターウォーズ・エピソード1」を蹴散らして、ナンバーワンの座を奪った典型的おバカ映画「オースティン・パワーズ」シリーズの一作目である。おおかた予想はついていたが、やはり基本的にボンドシリーズを下敷きにしたパロディ満載のコメディ映画であった。出だしの60年代におけるパワーズの活躍は、リチャード・レスターのビートルズ映画を思わせる撮り方だし、マイク・マイヤーズが二役で演じたドクター・イーブルはもろにボンドの宿敵ブロフェルドそのもの、ただしペットのペルシャ猫が冷凍睡眠の影響でスフィンクスに変わっているあたりが笑わせる。ほかにも、パワーズの電話の呼び出し音はGOGOフリントの、また、終盤で登場する女性ロボットはその「フェムボット」というネーミングからして「600万ドルの男」そのままである。

 それ以外にもパロディは枚挙にいとまがないほど満載で、「笑っていただくためなら何でもやってやる」という姿勢が、ひしひし伝わってくる映画であった。個人的には、ドクター・イーブルがつまらないギャグを言って、受けなかったときのいじけ方が面白かった。音楽にしても、本人が登場してしまうバート・バカラックを始め、セルジオ・メンデスなど当時のヒット曲満載である。ラストの敵基地内での戦闘シーンのバックでは、「秘密諜報員」のテーマが流れ続けるという凝りようだ。

 それから、クリスチャン・スレーター、キャリー・フィッシャー、ロブ・ロウといった豪華な面々がチョイ役で登場しているが、何故かいずれも登場人物としてクレジットされていなかった。このうちロブ・ロウは「デラックス」で若きナンバー・ツーとして登場することになるのだから、ひょっとしたらこのときすでに出演交渉していたのかもしれない。・・・


17.イノセント・ワールド/下山 天;1997年劇場公開作品(1999.7.22)

 監督はMTV畑出身の人で、劇場用は本編が第一作だという。さすがにいつもMTVを作ってきた人だけに、映像への凝り方は生半可ではないが、全部のショットに力が入りすぎて、やや窮屈な感じもした。

 物語は、人工授精によって生まれたという出生の秘密を知った女子高生が、援助交際でお金を貯め、知恵遅れの兄とともに家を出て、本当の父を求めて旅に出るといったものだが、父を捜すプロセスはかなりあっさり描かれ、どちらかといえばその後の彼らを描くのがこの映画の肝であろう。ヒロインのアミは、何度か頭の中で自分を呼ぶ声を耳にし、その声が実の父のものと信じてまだ見ぬ父を求めるようになるのだが、実はこれがラストの意外な展開への伏線になっている。全体に、雰囲気はいいのだがもう一つキャラクターに説得力を感じられなかった。日本映画としては、そこそこいい線に行っているとは思うのだが。・・・


16.Xファイル ザ・ムービー/ロブ・ボウマン;1998年アメリカ映画(1999.7.16)

 知らない名前の監督さんだが、実質的には脚本と製作を担当したクリス・カーターの映画と言っていいだろう。TVシリーズのスピンアウトだけあって、お金をふんだんにかけて作ったTVスペシャルといった印象が強い。演出のテンポ、構図の取り方などいちいちテレビ的で、映画ならではという味わいがないのが残念だ。もちろん、あまりにTVシリーズとかけ離れていては、ファンが離れる心配もあろうが、それにしてもこれではTVに密着しすぎだ。

 物語は一応単独で成立している体裁を取っているが、細かく見ていけば、おなじみのキャラに関してほとんど説明がなく、意味ありげに出てきても初見の人には判らないのではないか。それから、たとえばモルダーの父や妹のエピソードなど、TVシリーズを見ていなければ何のことやら判らない。

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 前半を少々もったいぶって進めたためか、後半の展開が かなりご都合主義になってしまった。ほとんどCGで作られたという南極のシーンは見事だったが、スカリーを救い出すあたりの展開は全体にご都合主義の教科書のような代物で、モルダーが突然南極に現れるのも無理があるし、本人が意図しないのにも関わらず、エイリアン培養工場(?)にあっさり侵入できてしまうというのでは、敵があまりに間抜けすぎると言われても仕方がないだろう。だいたい、あれほど強力なワクチンを作れる地球人ならエイリアンなど少しも恐れる必要はないだろうに、と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。・・・


15.ダークシティ/アレックス・プロヤス;1998年アメリカ映画(1999.7.10)

 ちょっとジャン・ピエール・ジュネの初期作品を思わせる雰囲気の、なかなか渋いSFファンタジーに仕上がっていた。いつとも知れない時代のどことも知れない都市を舞台にした、ダークな作品であるが、やや取っつきづらいのは最初だけで、物語の展開は正統派のSFそのものだった。

 なんとこの都市には昼がない。というか、いつまでたっても夜が明けず、何故か住民はそれに何の疑問も抱いていない。そのこと自体が後半への伏線になっているので、ここでははっきりしたことは書けないが、まあ、それほどとてつもない真実が隠されているわけではない。ある程度SFずれした人間なら当然考えつくオチだろう。

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 特筆すべきなのはビジュアルである。異星人達は実験のために、深夜12時になるたびに「チューン」と呼ばれる超能力で都市を作り替えているのだが、そのCGによるSFXは悪夢的でありながらも異様にリアルで、タケノコのようにニョキニョキ生えてくるビルディングの描写は、映画美術が到達した一つの頂点といって差し支えないだろう。

 唯一気に入らなかったところは、わりと始めの方で異星人がそのクラゲ状の正体をあらわし、あっさり倒されるシーンがあることだ。これで一気にこの映画は普通のSFに成り下がってしまった。ここはやはり、もっとラスト近くまで引っ張るか、あるいは最後まで出さない方が効果的だったと思う。

 ラストのスキャナーズ風の超能力対戦は、これまでの流れからはあまりにハリウッド的に見えるが、話の展開上これ以外の納め方があるとも思えず、この辺がハリウッド製SFファンタジーの限界かも知れない。・・・


14.トゥルーマン・ショー/ピーター・ウィアー;1998年アメリカ映画(1999.7.7)

 監督はピーター・ウィアーとなっているが、「いまを生きる」のピーター・ウェラーその人である。英語の表記を完全に日本語化するのは難しいのだろうが、どう見ても別人みたいに読めてしまうのはちょっと問題だろう。

 オリジナル脚本なのだが、物語は現実、非現実の狭間を描くことに一生を費やしたP.K.ディックの一連の小説を思わせる。特に、主人公が身の回りの状況を不審に思い、虚構の世界の化けの皮が次々にはがれていく様は、ディックの世界そのままだ。一つの島と、その周りの海までもドームで覆われた人工環境の中で、主人公トゥルーマン以外の人間はすべて役者で固め、気象どころか日の出、日の入りまでもコントロールされた世界で「トゥルーマン・ショー」は進行する。ちょっと、というか、かなり無理のあるSF的設定だが、最近のSFX満載の映画ばかり見慣れた目には、さほど荒唐無稽には見えまい。

 物語は、完璧に調和していると思われたドームスタジオの照明が落下して、主人公の足もとで砕け散るという印象的なシーンで始まるのだが、映画の中のスケールだと天井の高さは数十キロにも及び、そこから落下した照明器具は大気圏内に突入したときの熱で燃え尽きてしまうだろう。似たような場面をどこかで見たと思っていたのだが、ジョン・ヴァーリィの短編「さよならロビンソン・クルーソー」の中に、ドーム世界の内壁が剥がれ落ちて、その破片が落下してくるうちに大気との摩擦で赤熱し、海に落ちて水蒸気爆発を起こし、大津波を発生させてしまうという場面があったのを思い出した。偽の青空の一部が落ちてくる、という設定に共通点があったのでそう感じたのかも知れない。

 話のスケールが巨大な割にはその展開はあっさりしており、さほどのひねりもなく物語は終わってしまう。特に、主人公が自分を取り巻く世界に疑問を抱き始めてからは、絶対にもう一ひねり必要だったろう。シルヴィアという女性の存在も、回想のなかでトゥルーマンに疑問の種を植え付ける重要な役割を与えられているのだが、せっかく現在の姿が登場するのに結局トゥルーマンと絡まずに終わってしまう。僕は、彼女の存在も言っている台詞も、ディレクターがマンネリを防ぐために考え出したヤラセと見ていたのだが、ちょっとうがちすぎだったようだ。

 せっかくの設定を生かし切れずに終わった感が強い、いま一息の作品だった。・・・


13.ラブホテル/相米 慎二;1985年劇場公開作品(1999.6.15)

 どういうわけか、この作品を僕はずっと相米の初期作品だと思い込んでいたが、実はこれよりはるか前に彼は「翔んだカップル」でデビューしていたのだ。二作目が「セーラー服と機関銃」なので、かなりメジャーな作品を撮ったあと、何故かロマンポルノの本編を撮ったわけだ。多くの映画監督がまずポルノからスタートし、やがてメジャーにのし上がるというコースを取っていたので、そう思いこんでいたのだろう。

 脚本はあの石井隆。確かマンガ界から映画界に転身を図ってまだ間もない頃だ。もちろんロマンポルノなのでボカシの必要なシーンは再三出てくるが、さすがに相米の作品だけあってそれだけの映画にはなっていない。むしろ、これまで観た数本の相米作品の中ではかなりいい方ではないだろうか。相米のトレードマークのような長回しは今回も目立つが、市川 準のような静的なものではなく、フレームの中ではかなり動きがあるので、ドラマが停滞するようなことはない。ドキュメンタリーのような生々しさと、詩情あふれるシーンとがうまくバランスを取り、調和のとれた作品になっていた。

 不思議な話だが、僕がこの作品を初めて観たのは確かテレビでだった。18禁の成人映画がTVで放送されたはずはないのだが、ロマンポルノを映画館で観たことなどないし、レンタルビデオで借りたこともないので、たぶん放送されたのだろう。ひょっとしたら作品に惚れ込んだプロデューサーが、露骨なシーンをカットして何とか放映にこぎ着けたのかも知れない。・・・


12.バタアシ金魚/松岡 錠司;1990年劇場公開作品(1999.6.14)

 1989年の映画なので、主演の筒井 道隆も東 幹久も高岡 早紀も当然ながらすごく若い。しかし、それ以上に監督の松岡 錠司の若々しい感覚のおかげで、日本映画としてはちょっと珍しいほどテンポのいい作品に仕上がっていた。変に説明的な長回しなどはなく、といって説明不足の乗りだけの作品でももちろんない。

 物語はほぼ望月 峯太郎の原作マンガに即しているが(なんと、名前こそ出ないものの、ババアの飼い犬ブルテリアのフーバーもちゃんと登場している。)一本の映画としてまとめるためか、カオルもソノコもプーもマンガほど破天荒なキャラクターにはなっていない。プーは缶コーラを握りつぶしたりしないし(代わりに投げつけて、やっぱりコーラは泡を吹き出すが)カオルも意味不明なギャグに走ったりしない分、マンガほど理解不能な人間としては描かれていない。かなり思いこみは激しいものの、かろうじて存在感のあるキャラクターになっている。あのマンガの味を残しながらこれだけのことをやってのけるには、脚本・演出に相当の力量が必要だろうが、松岡はさらりとこなしている。監督第一作でこれとは、なかなかたいしたものである。

 とは言っても、やはり無理はある。たとえばソノコの突然の肥満はマンガだからこそまだ説得力があるが、映画となると観客に納得させるのはかなりつらい。今の映画なら、太った状態は特殊メイクで何とかするだろうが、当時はまだそんな技術はなかったから、別の女優が演じている。けっこう似た感じの女優ではあったが、別人であることはすぐに判ってしまう。そうでなくとも、この映画は始めから終わりまで、一夏の話なのだ。そんな短い間にあんなに肥満したり元に戻ったり出来るほど、人間の体はフレキシブルに出来てはいない。しかし、だからと言ってこの設定を外せば、物語全体が成立しなくなるので、観客としてはせいぜい「おいおい」とつっこみを入れながら観るよりないのだが。・・・


11.007トゥモロー・ネバー・ダイ/ロジャー・スポテスウッド;1997年アメリカ映画(1999.6.5)

 冒頭からロシアの軽攻撃機L-39アルバトロス(もちろん実機)が登場して、山岳地帯で派手なアクロバットを見せてくれる。冷戦時代が本当に過去になってしまったのだと、あらためて痛感させられるシーンだ。

 お話は、世界のメディア王を自認する男が英中間で戦争をでっち上げ、将来的に中国での独占放映権を握ろうとする、かなり無理のあるものだ。戦争を防ぐため、ボンドは中国側のスパイと手を握り、共同してメディア王を倒す。設定にひねりはないし、展開もお約束で、まさにルーティンワークという感じ。確かにスタントに次ぐスタントは見応えがあるが、ストーリィ展開があまりに行き当たりばったりで、ご都合主義が目立つ。

 主演のピアース・ブロスナンは、ボンドらしい甘さとスノビズムを兼ね備えた適役なのだが、すきだらけな脚本をカバーできるはずもなく、結局派手なだけの凡作で終わってしまった。・・・


10.ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ/バリー・レビンソン;1997年アメリカ映画(1999.5.03)

 大統領選の迫った時期にセックススキャンダルを起こした現大統領を、何とか再選させるために架空の戦争をでっち上げるというアイデア自体は悪くないのだが、ダスティン・ホフマンとロバート・デ・ニーロの名優二人を使ったわりには話がこじんまりとしすぎ、不完全燃焼のまま終わってしまった。

 特に、途中CIAが絡んでくるあたりからストーリィ展開がもたつき、コメディとしても笑えずテンポもガタガタで、完全に失速してしまう。本来ならこのあたりから物語が加速しなければ行けないのだが。

 まだ観ていない人もいるので詳しくは書けないが、ラストのあまりに陳腐なオチにはあきれてしまった。まるで日本の二流脚本家が書いたワイド劇場の結末のようだ。曲がりなりにもオスカー監督なのだから、もう少しまともな脚本を選んで仕事をしてほしい。・・・


9.ブラス!/マーク・ハーマン;1996年アメリカ・イギリス合作映画(1999.4.03)

 いかにもイギリス映画らしい、重厚な色彩と演出に彩られた映画である。斜陽の炭坑町のブラスバンドが全国コンテストに出て、優勝を納めるまでのサクセスストーリィだが、炭坑が閉鎖され、登場人物のほとんどが解雇されるという閉塞状況の設定はイギリスというより現在の日本みたいで、必要以上に重苦しい話になってしまった。

 全体に淡々とした演出で、ハリウッド調のメリハリを効かせ過ぎた映画ばかり見ていると、何だかほっとすると同時に少し物足りないような気にもなってしまうから、観客というのはわがままなものだ。もしアメリカ人の監督が撮ったとしたら、たぶんユワン・マクレガー演じるアンディの設定は、もっと暴力的な手の付けられないならず者にして、グロリア(タラ・フィッツジェラルド)との過去のいきさつも遥かにくどく描くことだろう。

 演出面で他に気になったところといえば、決勝で切り札として登場した筈のグロリアのソロパートの演奏シーンがなく、登場シーンのほとんどなかった別の奏者のソロがフューチャーされているあたりだ。冒頭のグロリアの鮮やかな登場シーンで延々とソロを奏でるシーンが出てくるのに、なぜ肝心のシーンで別の人間が映っているのか、監督の意図がよく分からない。・・・


8.四月物語/岩井 俊二;1998年劇場公開作品(1999.3.26)

 ただひたすら松たか子を美しく撮った映画である。一時間ほどの、短編映画としてはやや長めだが、細かいシーン一つ一つに神経が行き届いた、いかにも岩井らしい文法に貫かれた作品である。岩井の作品を見ていると、やはり監督に脚本を書く能力は不可欠だとよく判る。脚本家の卜書きの言外に描かれたイメージを、本人が監督すれば誰よりもそのイメージをよく映像化出来るのは当たり前の話だ。

 物語は北海道の片田舎から大学に入学するために上京した女子大生の、入学式前後のエピソードを淡々と描く話だが、さすがにストーリィテラーの岩井らしく、最後まで見ればちゃんとしたオチのある物語になっている。それにしても、この程度の長さの作品にあえてパナビジョンを使い、劇中で入る映画館でかかっていた映画も、このためだけにキャストを使って撮っているという贅沢ぶりだ。

 蛇足だが、この「生きていた信長」のショートショート的な味はちょっと「筒井順慶」を思わせて興味深い。・・・


7.ムトゥ・踊るマハラジャ/K・S・ラヴィクマール;1995年インド映画(1999.2.26)

 僕の母方の姓はムトゥ…じゃなくて武藤だが、それとはまったく関係なく面白い映画であった。とにかく三時間に及ぶ長尺を、ふんだんに唄と踊りをちりばめたド派手な演出で、飽きさせずに持たせるのはかなりの力業である。

 物語はマハラジャの使用人ムトゥが旅役者の娘と巡り会い、借金取りの手から救い出して愛し合うようになるまでのいきさつと、邪悪な叔父の陰謀にうちかってマハラジャとしての地位を回復する、いわば御落胤ものの要素とが混じりあった、意外に複雑なもので、それぞれの見せ場にマイケル・ジャクソン風の振り付けのついたMTV風の唄のシーンがつく。

 この種の群舞はもともとインド映画の特徴で、それをマイケル・ジャクソンが「スリラー」で自分のMTVに取り入れたらしいが、本編のそれは明らかにマイケル以降のヒップホップ系の踊りも取り入れられており、おそらくMTVから逆輸入したような形なのだろう。とにかくこの映画はパロディとも本気ともつかない、いわば本歌取りのようなパクリが多い。

 主演のスーパースター・ラジニ(どう見てもただのオッサンだが、タイトルロールの最初にしっかりスーパースター・ラジニと出るのだ)演じるムトゥはなぜかカンフーの達人で、悪と戦うために超人的な技を見せるのだが、この辺の見せ方はもろに香港のカンフー映画そのままで、このことからも踊りのシーンが先ほど書いたようなことではないかと思うのだ。

 聞くところによると、インドは観客数では世界一の映画大国だそうだが、本編を見るとまさにそういうエネルギーをまざまざと感じることが出来る。60年代頃までの日本のプログラム・ピクチャーが持っていた活気を現在まで持ち続けているのだ。そういえばいちいちお約束の展開は、かつての若大将映画が持っていたそれと、明らかに同質である。・・・


6.リプレイスメント・キラー/アントワ・フークア;1998年アメリカ映画(1999.2.20)

 知らない名前の監督さんだが、字面を見るとフランス系らしい。もっとも映画自体はプロデューサーのジョン・ウーの影響がきわめて強く、ほとんど彼の作品といっても良さそうだ。映像センスはいかにも香港ノワールをハリウッドに移植しました、といった感じで、何より「男たちの挽歌」そのままのガンプレイにジョン・ウーの臭いがぷんぷんだ。

 主演のチョウ・ユンファは若き日の小林 旭を渋くしたような雰囲気でなかなかよかった。相手役のミラ・ソルヴィーノも可愛くセクシーかつ強いという、最近のハリウッドアクション映画にありがちなヒロインを、楽しそうに演じていた。物語は単純で判りやすいストーリィで、これといったどんでん返しもなくあっさり終わってしまう。何と87分という、最近の映画としては例外的な短さもあって、何かもう一つ食い足りない感は拭えない。・・・


5.北京原人 Who are you? /佐藤 純弥;1997年劇場公開作品(1999.2.20)

 日本映画の置かれた現状がよく判る映画である。早坂 暁という、実力においては定評のある脚本家を起用していながら、よくこれだけ評価に値しない作品を作れたと、逆の意味で感心してしまう。

 とにかく物語がめちゃくちゃである。まず第一に、なぜ北京原人のクローニングをスペースラボで行う必然性があるのか判らない。無重力であることを何かに利用するわけでもないし、だいたい卵子の着床には重力の作用が不可欠なので、宇宙空間での受胎は難しいというのが、現在の定説である。蛇足ながら、無重力のラボ内を遊泳する研究者の胸元からのびたコードが(現実の地上の重力により)だらんとたれ下がっているようすは、この映画の科学的配慮のなさを如実に物語っている。

 次に、シャトルが帰還してから数日後に大気圏に突入し、なぜか沖縄に不時着したスペースラボから北京原人の家族(!!)がすでに脱出しているという荒唐無稽さには、これから先の展開に期待しろという方が無理だ。遠未来の未知のクローン技術により、ごく短時間で人体規模のクローニングが可能だという設定ならまだしも、この物語の設定はまだ21世紀になったばかりの近未来で、宇宙技術も現在計画中のものばかりなのだ。ほんの数日間で、大人の北京原人を作れてしまうクローニング技術など可能になるはずがない。これはどうも、クローンという技術そのものに関する理解が、製作者の側に決定的に欠けているといわざるを得ない。

 そのうち超能力を発揮する北京原人をめぐって国家間の争奪戦が起き、彼らがいた頃には国家などなかったのだから、自然に帰すべきだとかいって、なぜか彼らになついたマンモスとともに中国の奥地(のつもりであろうへたくそな書き割り)にほうりだしてしまうという、いかにも無能な映画人が考えつきそうな結末に至っては、一体何がいいたくてこんな映画を作ったのか、真剣に考え込んでしまう。

 というわけで、この作品がめでたく今年度ワーストNo.1を獲得するのはまず間違いないところだろう。・・・


4.L.A.コンフィデンシャル/カーティス・ハンソン;1997年アメリカ映画(1999.2.6)

 1998年のアカデミー作品賞をかの「タイタニック」と争ったというだけに、さすがによくできた作品であった。

 脚本に穴らしい穴はなく、強いて言えばキム・ベイジンガー演じるリンの事件の中での位置づけがよく判らなかったのと、麻薬課のジャック刑事を演じるケビン・スペイシーと直情型のバド刑事を演じたラッセル・クロウが髪型とかそっくりで、観ている側は冒頭やや混乱してしまうあたりくらいか。伏線の張り方が教科書のように巧みで、観客の予想をあるときは裏切り、ある時は的中した喜びに浸してくれる。

 特に見事なのは、キャラクター設定である。ダニー・デ・ビート演じるトップ屋に情報を売って小金を稼ぐジャック、理知的で出世第一主義者のエド、女に暴力を振るう者には徹底して非情なバド。この三人に謎の女リンと、大富豪ピアス、元刑事の用心棒など様々な人物が絡み、物語が進行して行くわけだが、ストーリィ展開は予想がつかず、犯人の予測もこの種の物語の中ではかなりつけづらい方だろう。

 設定をやや複雑にしすぎてしまったために、ラスト近くで延々とネタばらしをしなくてはならなくなってしまったのはちょっと減点対象だが、たとえば冒頭で徹底していがみ合っていたエドとバドが、犯人の奸計によって殺し合い寸前までいったあげく、一転して最強のタッグを組むあたりはうまい展開だ。

 総じて火薬を盛大に使ったアクションだけの映画とは一線を画する、見応えのある作品であった。といってもアメリカ映画らしく、終盤に壮絶なガンファイトはちゃんと用意されていて、そっち方面のファンにもサービスは忘れない。個人的には、スケールの点では及ばないものの十分「タイタニック」の向こうをはれる映画だと思う。・・・


3.ジャッキー・ブラウン/クウェンティン・タランティーノ;1997年アメリカ映画(1999.1.29)

 タランティーノという人は、脚本家としては一流だが映画作家としては二流の上といったところではなかろうか。長編三作目となる本編も、話は面白いのだが演出はやや冗漫に過ぎ、二時間半を越える長尺のわりに中味が詰まった感じはせず、むしろさして必要もないと思われるシーンに時間を割きすぎている。

 おかげで映画としてのテンポが死んでしまい、後半の、三者の視点からそれぞれ描いた現金すり替えのトリックの描写が霞んでしまった。この種の実験的描写はそれまでの演出が判りやすく、タイトであってこそ生きると思うのだが。

 主演のパム・グリアは実際にいい年の筈なのだが、往年の美しさをよく保っており、バックで流れる70年代ヒット曲と相まって本編を当時撮られた作品と錯覚させるだけの力を持っている。・・・


2.リング/中野 秀夫;1998年劇場公開作品(1999.1.23)

 噂ばかりが先行して、ものすごく怖い映画だと期待して観たのであるが、正直言われていたほどものすごい恐怖映画ではなかった。もちろん、深夜に暗い部屋の中で一人で観ていたら、それなりに怖いだろうが、それは環境により倍加された恐怖であり、映画の本質とは微妙に違うだろう。ちょっと気になったのは、終盤テレビの中から登場する貞子のイメージが、望月 峯太郎の「座敷女」そのままな事である。ご丁寧に、片目のアップがカットバックされるシーンまで同じなのだ。僕はそのことが気になって、恐怖をあまり感じることなく観終わってしまった。

 ストーリィはいわゆる都市型ホラーで、古くは口裂け女、新しくはベッドの下の斧を持った男のパターンである。こわさの演出は例によってもったいぶった演出と、ショッカー系の音響で恐怖をあおる古典的手法で、恐怖によって心臓麻痺を起こす瞬間に、画面がモノクロネガになるというテクニックはあまりに素人っぽくはあるまいか。恐怖映画、というより、怪談映画は日本映画だけに許されたジャンルなので、もう少しがんばって作ってもらいたい。

 ところで、竜司が取り殺される場面とは違って、高校生たちが殺された場面ではあたりにテレビなどなかった。貞子は一体どこから出てきたのだろう。・・・


1.鉄塔武蔵野線/長尾 直樹;1997年劇場公開作品(1999.1.23)

 誰しもが持っていた少年時代の冒険心を、しっとりとした映像と、優しい視点で描いた佳作。原作は、日本ファンタジーノベル大賞を受賞した作品である。ファンタジーと言うにはちょっと??な感じもあるが、ファンタジーの本質である、まだ見ぬ世界へのあこがれを貫いている点では立派なファンタジーと言えないこともない。

 送電線の武蔵野線は、保谷市から所沢まで実際に引かれている送電線で、当然ながら舞台はこの近辺(埼玉県南部)スクリーンの中には見慣れた風景が広がっている。物語はやや淡々としすぎている感もあるが、あえて劇映画的なメリハリを強調しなかったあたりに作者のこだわりを感じさせる。

 ラストで主人公は、変電所内で草刈りをする職員たちの篭に潜り込み、更なる冒険に挑むのだが、このあたりはやや難解で、もう少し別の表現方法があったのではないかと惜しまれる。

 それにしても、広い田園地帯にずらりと並ぶ送電線の鉄塔は、見慣れた光景ではあるが、ちゃんとまともに観察したことなどなく、それぞれに番号が振られていたり、同じような鉄塔でもいくつものタイプがあることを、この映画で初めて知った。普通の大人より多少は鉄塔などを眺めたりした時間は長いと思っていたのだが、残念ながら、やはりもうすでに子供の観察眼は持っていないようだ。・・・



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