TOMさんの映画にひとこと'97

このページは日ごろ僕が書きためた、レンタルビデオ鑑賞日記です。

いちおう星取り表になっていますが、そのときの気分で付けたもので、あまり信頼性はありません。

@@警告!!この先ネタばらしあり。まだ観ていない人は読まないで!!@@

の下の文章は、カーソルで選択し、背景色を反転させれば読めるようになっています。

ただし、警告しているようにネタバレが含まれますので、映画観賞後まではお読みにならないようお願いします。


1.PiCNiC/岩井 俊二;1995年劇場公開作品(’97.1.6)

 例によっていつもの岩井ワールドを堪能させてくれる作品である。彼の撮った作品はフィルムの色調自体に独特の味わいがあるようにすら思える。

 衝撃的なラストはすべて計算されていて、おそらくこのラストシーンから物語を思いつき、ディテールを作っていったのではないかと察せられる。もちろん、たとえば警官の持っている銃は現在ではニューナンブの38口径リボルバーで、映画に登場するような32オートではないし、拳銃をランヤード(紐)もなしで所持しているはずもない。だいたいあんなに簡単に何度も脱走できる精神病院の設定だって変だ。

 この映画はそういう不自然なところをあえて意識的に認め、時代設定を1997年以降という、撮影時においては近未来に設定することでファンタジーというくくりの中に封じ込めている。こうすることによってリアリティの足枷から自由になり、純粋なイメージをスクリーンの上に投影できると監督は考えたのかもしれない。

 本編の、狂人たちから観た世界というモチーフは「まぼろしの市街戦」を思わせ、確かに両者には単に雰囲気がにているという以上の共通点があるような気がする。68分というちょっと半端な長さはいったいどういう公開方法を考えていたのかよく判らないが、あと二十分くらい長かった方が映画としての収まりは良かったように思える。もっとも二十分といえばかなりのエピソードが必要となり、映画のスタイル自体が変わってしまう可能性もあるので、やらない方がいいのかもしれないが。・・・


2.ザ・インターネット/アーウィン・ウィンクラー;1995年アメリカ映画(’97.1.31)

 今が旬のサンドラ・ブロック主演のハイテク・サスペンスものだが、導入部がいささかかったるく、この手の映画独特の乗りにちょっと欠けていたのが惜しまれる。

 主人公のキャラクターもやや不自然で、いくらなんでもコンピューターのデータ以外に自分を証明する手段が全然ないというのは変だ。確かに人並みはずれて孤独な境遇であるという設定にはなっているが、それにしてもたとえば通っていた学校や何かに文書としての資料はまだ残っているだろうし、クラスメートだっていたはずだ。

 コンピューターについての知識が一通りないとストーリィ自体よく理解できないのも欠点かもしれない。テーマがテーマだからいささか極端な設定を無理に作ったのだろうが、こういう点が気になってしまうのはやはり演出のテンポに難があるからだろう。物語が息をもつかせぬ面白さならば、そんなことを気にしているゆとりもないはずだ。

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 ラストのオチについてもイマイチよく判らない。escキーを押したとたんにウィルスが活性化され、ヒロインの偽の犯罪歴を記したデータが消えてゆくのは判るが、それでは彼女の本来のデータは一体どうなってしまったのだろう。大体、たった一通のEメールが警察に届いたからといって、それだけで大企業のトップがいきなり逮捕されてしまうだろうか。

 そのメールが真実を言っているのかどうか、どうやって調べたのか、結局説明はなかった。サンドラ・ブロックの魅力だけにおんぶして作った映画という印象の強い、凡作であった。・・・


3.恐竜100万年/ドン・チャフィ;1966年イギリス・アメリカ合作映画(’97.2.6)

 とうとう、ついに恐竜100万年のLDが手に入った。よもや出るとは思わなかったから、もう大満足。画質は現在望みうる最高のもので、しかも公開当時同様ちゃんとビスタサイズで収録されている。最近あまりにも長年の望みが叶えられることが多いのでちょっと怖いくらいだ。

 あと出して欲しいものはレジェンドの完全版とボンタルチュク版の「戦争と平和」三部作くらいのものだ(その後出ました)あ、それから「フォロー・ミー」と、「レット・イット・ビー」と…まだ結構あるか。

 内容についてはもう何度となく見た映画なので取り立てて言うことはない。陳腐といえば陳腐な話だが、ちゃんと民族問題を扱った硬派な(?)物語になっているし、少なくともダイナメーションの恐竜の見せ場は心得ている。さすがハリーハウゼンが手がけているだけに、恐竜の動きは齣撮りの不自然さを残すもののダイナミックな演出で、何度見ても飽きない。ナイスバディのラクウェル・ウェルチも髪を金髪に染めてがんばっていて、そっち方面の魅力にも抜かりない。

 人生とは何かを考えさせるような名画ではないが、見せ物としての映画の魅力は最大限に備えている。おぢさんは嬉しいぞ〜!!・・・


4.ストリート・オブ・ファイアー/ウォルター・ヒル;1984年アメリカ映画(’97.2.9)

 ストーリィはそれほど良くできているとは言えないし、演出のテンポもそれほどいいとは思えない。マイケル・パレはそれほどかっこよくもないし、ダイアン・レインも大して美人には見えない。歌はもちろん吹き替えだし、いちばん盛り上がらねばならないトム・コーリィとレイブンの決闘も結構あっさり終わってしまう。

 要するにとるべきところなどほとんどないような映画なのに、何故レーザーディスクを買ってしまうほど気になるのだろう。一つ言えるのは映像へのこだわりがすごいということだ。この映画が作られた当時はちょうどMTVの絶頂期で、その映像的センスがこの映画に与えた影響は大きい。

 架空の時代、架空の町を舞台にした話らしく、登場するファッションも車も、実に凝っている。マイケル・パレの着ているワードローブなんか、驚いたことにアルマーニだ。ダイアン・レインが使うマイクは登場する車と時代的にも合っている。そのくせバックバンドはエレクトリック・ドラムなんか使っているが。それほど昔の映画でもないのに(といってももう公開から13年も経ってはいるが…ダイアン・レインが老けるのも当たり前だ)レイブン役のウィレム・デフォーの若さが驚きだ。・・・


5.イル・ポスティーノ/マイケル・ラドフォード;1995年イタリア・フランス合作映画(’97.2.19)

 詩人に詩の手ほどきを受けた郵便配達人が、シシリー島一番の美女を陥落させる物語なのかと思っていたら、確かにあらすじを言ってしまえばそう言えなくもないものの、どちらかと言えばこの物語は詩の才能をもつ郵便配達人とチリの国民的詩人パブロ・ネルーダの人間的なふれあいを描く話で、主人公マリオの恋愛は単なるサイドストーリィにすぎない。

 マリオを演じた俳優は心臓病のため撮影終了後まもなく亡くなったという事だが、確かに影の薄さは感じられるものの、けして弱々しい演技ではなく、独特の存在感をうまく表現していたように思う。

 あまりにも淡々とつづられる物語が果たして一番効果的だったのかどうかは少々疑問の残るところだが、個性的という点では成功しているようだ。まあ、前半の展開が丁寧すぎて多少眠くなるのが難点と言えなくもないが。・・・


6.ツイスター/ヤン・デ・ボン;1996年アメリカ映画(’97.3.3)

 「スピード」を撮った監督らしいスピーディな演出が光るパニック映画、というより、「陸のジョーズ」である。製作費のほとんどが特殊効果に費やされたためか、有名な俳優が一人も出てこない作品になってしまったが、映画の善し悪しは詰まるところ脚本次第だと思っている僕としては、そんなことは全然気にならない。天文学的な出演料をふんだくる有名スターを使うくらいなら、その金をいい脚本家や手間暇をかけた特殊効果に使った方がよほど意義があると思う。

 物語は一応主人公の気象学者(というより竜巻ハンター)と、彼をめぐる二人の女性の関係を軸に語られるが、その辺の展開は単にヒロインであるジョーのキャラクターを描くための道具にすぎず、実際には竜巻との追いかけっこに終始する。カメラワークは流石に撮影監督出身のヤン・デ・ボンらしくヘリコプターによる空撮を多用するなど凝りに凝っていて飽きさせない。

 肝心の竜巻はかなりリアルに出来ていて、CGによる特殊効果の可能性を感じさせられるが、一部に合成の不自然なところが見られ残念だ。それから、たとえばタンクローリーが目の前に落下して爆発するシーンなども、まるで航空機の墜落のようなファイア・ボールが一瞬にして形成されているが、いくらなんでもこれは派手すぎだ。このあたりやや過剰なサービスに走ってかえってリアリティを失ってしまった「スピード」に通じるところがあって面白い。・・・


7.ACRI/石井 竜也;1996年劇場公開作品(’97.3.4)

 さんざんの不入りで監督の石井に億単位の負債を抱えさせてしまった映画だが、こうしてビデオになったものを見てみると、けしていわれているほど出来の悪い映画ではなく、むしろ素人監督の撮ったものとしては出色の出来といってもいいくらいの作品であった。

 演出のテンポ、構図のリズム、ともに素人離れしたテクニックを持っているし、演技の付け方も必要以上にくどくなく、自然な流れを作っていた。特に撮影に関しては、自らコンテを切っているだけにあまたの新人監督たちに一歩も引けを取っていない。

 しかし残念ながら誉められる点ばかりではない。着眼点はいいのだが、ストーリィの流れがやや不自然だし、悪玉の市長の描き方もちょっと物足りない。SFとしての考証もやや不足気味で、水棲人類の存在を信じる根拠がいきなり実物のミイラでは展開が強引すぎる。首飾りの設定もわざとらしく、大体指のない人魚たちはどうやってあれを作ることが出来たのだろう。水中の浅野を追跡するのに使う発信器にしても、電波では水中を届かないし、音波を使っているような節もないし、いったいなんだかよく判らない。

 だが、なんといっても一番のマイナス点は、肝心の水棲人類=人魚の造形である。たぶん石井自身がキャラ設定したのだろうから、こればかりは人のせいには出来ない。あのデザインははっきり言っていただけない。そもそもなんであんなデカ耳なのか、こちらを納得させる必然性もまったくなかった。水生生物はすべて例外なく耳たぶがない。これは彼らが音に頼って生活していないからではなく(むしろイルカをはじめとして超音波などに頼って生活している種は多い)水の抵抗が無視できないほど大きくなるからだ。吉野公佳へのモーフィングもあり来たりで新味がなかったし、人魚のボディスーツ自体ウエットスーツみたいな感じで生物という感じがしない。人魚を演じていたスタントマンがなかなかよくがんばっていただけに惜しまれる。

 石井は興行的失敗にショックを受け、当分映画は作りたくないと漏らしているらしいが、けして才能がないわけではないのでこれに懲りずにがんばって欲しいものだ。・・・


8.スワロウテイル/岩井 俊二;1996年劇場公開作品(’97.3.19)

 スタイリッシュな岩井の作品には珍しく、かなり荒削りな感じのする映画であった。もちろん作品世界はいかにも岩井ワールドしているが、どうも「Love Letter」の持っていた緻密な構成が見られない分、違和感がある。いつもの安定感のある構図は影を潜め、代わりに徹底して手持ちカメラで撮っているあたりも違和感の原因かも知れない。これはテーマの持つアクティブな雰囲気を強調するためだろうが、見ている側はやや疲れる。長さも148分と、岩井の全作品中一番の長さだが、だれるところが全然なかったとは言いがたい。岩井初の失敗作とまでは言わないが。

 ストーリィは大筋こそ原作を追っているが、ディテールは大幅に変えてあり、原作を読んだものにも楽しめるものの、全体的にちょっと無理の目立つ話になってしまった。特に気になったのはグリコとリョウ・リャンキの関係で、彼らが兄妹であったというのは映画的な演出だとは思うものの、リョウが大ヒット曲を出して有名になった妹のことを、阿片街の医師の部屋でポスターを見るまで全然知らなかったと言うのは、いくらなんでも不自然だろう。知った後も、たとえばマイウェイのカセットをめぐってリョウの子分たちがグリコたちを襲うシーンなど、リョウが一体どういう意図を持っていたのかわからない。あれは子分たちが勝手にやったことなのだろうか。ラスト近くのリョウの台詞を聞く限りではそう思えないこともない。

 映像も美しいと言うよりは、らしさを強調した、ざらついた感じで所々ちょっと見づらい。そんな中で、アゲハが入れ墨をされるシーンで見る幻想は、いかにも岩井の映像と言わんばかりのタッチで目立っていた。本物のキアゲハが窓に挟まれて潰れ、バラバラになった翅の一枚が少女の胸に貼り付くところなど見事であった。

 この映画の一番の欠点はやはりちょっと無理のあるマルチリンガル環境だろう。特に三上博史演じるキャラクターは日本語を解さない中国人という設定だが、彼の英語は中国人の発音にしてはあまりに綺麗すぎ、いかにも日本人の優等生の発音という印象が強い。また、中国語もカタカナをそのまま発音したようで不自然だった。このあたり、ネイティブの香港人が見たら、ちょうど洋画の中のニセモノ日本人が話す奇妙な日本語に対して我々が持つのと同じような印象を持ちそうだ。この役はやはり、中国系の俳優でなければうまく演ずるのは難しかったのだろう。

 その点江口洋介はいかにもネイティブといった感じの広東語といい、字幕がなければ理解不能の日本語といいなかなかいい味を出していた。、・・・


9.ミッション・インポッシブル/ブライアン・デ・パルマ;1996年アメリカ映画(’97.4.22)

 父を亡くして以来の悲しい日に、少しでも気分を変えようとして観たのだが、そういう魂胆が良くなかったのか、はたまた映画の出来がイマイチだったのか、もう一つ乗り切れなかった(この日長年かわいがってきた愛猫が死んでしまった)。

 一番まずかったのはやはりフェルプスを悪玉にしてしまって古くからのファンを裏切ったという事だろう。確かにそれで意外性は出せるが、わりと早いうちにネタがわれちまっているので最期まで引っ張り切れていないし、エマニュエル・ベアール扮する彼の妻の扱いもちょっと苦しい。

 CGIを駆使したラストのSFXはなかなか見事な出来だが、あまりにも破天荒で現実離れしすぎた展開のため、リアリティが感じられなかった。ちょうど本物のヘリコプターを使って撮影したにも関わらず、下手なクロマキー合成にしか見えなかった「戦国自衛隊」みたいだ。・・・


10.毛ぼうし/岩井 俊二郎;1997年ビデオ作品(’97.4.22)

 これを一本の映画としてみることはほぼ不可能だ。ムーンライダースの楽曲のMTVみたいなものだと考えるのが妥当だろう。まんまMTVである「フジオさん」のクリップを挟んで、文豪に扮した鈴木慶一と編集者・糸井重里とのやりとりと、お手伝いさんとバーのマダム・樋口可南子とのやりとりが(小津 安二郎風の演出でわざわざフィルムに傷を付け、音声も昔風に加工して)配置してある。これは彼ら一流の遊びなのだ。・・・


11.エグゼクティブ・デシジョン/スチュアート・ベアード;1996年アメリカ映画(’97.4.27)

 アクションてんこ盛りの、なかなか力のはいった映画だった。冒頭まるで主役のごとく登場するスティーブン・セガールが、作戦の最初のところであっさり死んでしまい、セガール・ファンにとっては文句の一つも出そうだが、もしあそこでセガールが死ななければ映画は前半の一時間で終わってしまいそうなので、あれはあれでいいのかも知れない。

 冗談はさておき、主人公が最初にビーチクラフトで飛行訓練をしている場面から過不足のない描写で(ただ一つ、ハイジャックを通告する場面でどうしてカセットテープにはいった声を使ったのかだけがよくわからなかった。そこにいない人間をいるように思わせるというトリックを使っているわけでもないし)多少息抜きが欲しいような気がするものの、最後までタイトに締まった演出で飽きさせない。

 ただ、こういう緊張が持続するタイプの映画で2時間20分という長さは少々きつかった。最近のアメリカ映画の傾向として、際限のないどんでん返しの繰り返し(「スピード」もずいぶんしつこかった)があるが、本編でもちょっとくどいくらい物語は二転三転する。

 人間をそのまま飛行中のジャンボ機に送り込んでしまうF-117もどきのステルス機は、発想としては面白いものの実現はほぼ不可能だろう。ここのSFXはさすがに現代のものだけになかなかの説得力だが、やはりまるっきり実写にしか見えないというほどのものでもなかった。このあたり、CGIによるSFXにもまだまだ発展の余地があると思う。・・・


12.戦火の勇気/エドワード・ズウィック;1996年アメリカ映画(’97.4.29)

 冒頭、湾岸での戦車戦のシーンは夜のせいもあるが、何だか妙にこじんまりまとまってしまっていて、やや迫力に欠けた。M-1エイブラムスも何か実物よりちょっと小さな気がするし。陸軍以外の協力を得られなかったのか、登場するA-10もF/A-18もSFXによる合成なのもやや興ざめであった。

 もっとも救難ヘリがらみの戦闘シーンの出来は幾分小規模ではあるもののなかなかよく、重要なモチーフの一つである小銃の銃声もM-16とAK-47とM-60とでちゃんと描きわけられていた。音響には特に気を使ったのだろう。しかしM-60で撃たれたメグ・ライアンが即死しなかったのは奇跡に近いんじゃなかろうか。

 本編は湾岸戦争を素材にした初めての大作映画だが、テーマそれ自体は別にベトナムでも太平洋でも舞台を選ぶようなことはない。ただ、女性兵士が主人公だと言う点は確かに湾岸を舞台にする必然性があるが。もちろん戦場が舞台の戦争アクションものではあるが、物語の内容はむしろ「薮の中」に近く、ある事件に対する見解がいろいろな立場から語られる。

 もちろんアメリカ映画であるから「薮の中」とはちがってただ一つの真実に主人公はたどり着くのだが。全体に回想の中の戦闘シーンの「動」と、真実を探るデンゼル・ワシントンをめぐる「静」の部分の対比がなかなかよく、よくある戦争映画とは一線を画する出来になっていたのは収穫だ。・・・


13.テルマ&ルイーズ/リドリー・スコット;1991年アメリカ映画(’97.5.8)

 もし監督の名を伏せられたらとてもリドリー・スコットの作品とは思えない、なかなかストレートなロード・ムービーになっていた。もちろんスコットの作品であるから、よく見れば所々に彼らしい才気を感じさせるショットがあることはあるが。

 キャラクターの立て方とか、ストーリィ展開などはこれまでのスコット作品にはないパターンで、むしろ弟トニーの作品に近い乗りすら感じる。特にキャラクターは、テルマとルイーズそれぞれの性格の違いとか、テルマの夫(フットボールが異常に好きで、張り込んでいる刑事たちがメロドラマを見ているのに、勝手にリモコンを操作してフットボールの中継にチャンネルを変えてしまい、顰蹙を買う場面)とルイーズの彼氏(ルイーズのために金を持ってきて、別れるまでの描写)の描き方は見事だ。

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 映画が中盤をすぎた頃から、それまでルイーズに引っ張られていたテルマが強盗を働き、主導権を握るのだが(その原因を作ることになるJ.D.を演じたブラッド・ピットもよかった)そのあたりから物語はエスカレートして俄然面白くなる。特にパトカーの警官を逆襲するあたりは秀逸で、このあたり、アメリカの映画館ではきっとバカ受けだったろう。ほとんど正当防衛で犯した犯罪のために逃げ回り、最後には破滅してしまう物語というと、何だかすごく悲惨な感じがするのだが、二人が犯罪者として開き直ってからはむしろ爽快感すら感じさせる。FBIに包囲され、逃げ場がなくなっても決して投降せず、谷底へ向けてダイブするラストも悲壮感あふれるものにはなっていない。このあたりにスコットの映画作家としての力量が出ているのだろう。・・・


14.ザ・ロック/マイケル・ベイ;1996年アメリカ映画(’97.5.10)

 この作品の成功の一因は間違いなくキャスティングの妙であろう。有能だがちょっと頼りないFBIの化学分析技官に扮するニコラス・ケージ、彼を補佐して作戦を成功に導く謎の囚人メイスンにショーン・コネリー、そして、アルカトラス島を占拠し、化学兵器で合衆国政府を脅迫する海兵隊准将にエド・ハリスと、実に適材適所の配役である。近年の一連のノンストップ・アクション映画の例に漏れず、本編もまた実にテンポよく、過不足ない演出で観客を飽きさせない。それでも全編で138分と、長い部類の作品にはいるが、途中でダレるなどということには無縁だ。

 それにしても、コネリー演じるメイスンの前歴が英国情報部員という設定には笑った。それから、マイケル・ビーンがまたしてもSEAL隊長に扮していて、これまたあっさりやられてしまうのにもパロディの匂いを感じてしまった。物語のはじめからラストのオチまで、適度な緊張とユーモア感覚に彩られたなかなかの快作だと思う。

 それにしても、このところのショーン・コネリーの役柄はアンタッチャブルにしろインディジョーンスにしろ、主人公の補佐役でありながらいつか喰ってしまう類のものが多いような気がする。・・・


15.ドラゴンハート/ロブ・コーエン;1996年アメリカ映画(’97.5.13)

 見せ場はズバリ、ILMによるドラゴンの造形であろう。フルCGによるドラゴンはその動きといい表情といい、ジュラシック・パークの当時よりさらに進化して、ほとんどその場にいるようなリアリティである。たとえばドラゴンが口を開くと、その中には糸状の唾液すら見える。火を吐くほど体温の高い動物の口の中に果たして唾液があるかどうかは判らないが、とにかくそうしたディテールの一つ一つが積み重なって、あたかもそこに存在しているかのような現実感を生み出しているのだ。

 物語はこの手の話に共通するヒロイック・ファンタジーで、基本的にはデニス・クエイド扮する騎士が、ドラゴンの協力を得て悪い王を倒す話だが、この王の命がドラゴンによって与えられており、王とドラゴンの運命が一蓮托生というのがちょっと目新しい。ただ、ドラゴンの命によって王が不死身になっているという設定がやや判りづらく、このあたりもう少し早く観客に判らせておかないと、話をまだるっこく感じてしまう。それぞれのキャラクターがあまりにも類型的で、あまり存在感を感じられなかったのもマイナス点だ。・・・


16.ジャイアント・ピーチ/ヘンリー・セリック;1996年アメリカ映画(’97.5.25)

 「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のスタッフが次に作った作品で、前作の主人公ジャックも幽霊船の海賊としてゲスト出演している。作風もいかにもティム・バートンが一枚噛んでいるものらしく、グロテスク趣味と可愛らしさとが奇妙に融合した独特の雰囲気を持っている。ちょっと残念だったのは、前作と違いすべてが人形の世界で起こっているわけではなく、冒頭とラストで人間界が舞台になってしまっているために、やや統一感にかける印象が残ってしまったことである。そのために、最後で虫たちが再登場してニューヨークの市民たちに受け入れられるシーンがちぐはぐな感じになってしまった。ここはやはり、冒頭のシーンからラストまで、すべて人形で通すべきだったと思う。

 しかしこれって、そのまんま「トイ・ストーリー」批評の裏返しであることに今書きながら気づいた。ジャイアント・ピーチもやはり、もしすべてをストップモーション・アニメで製作していたら、やっぱり同じ文句を言っていたかも知れない。あ〜あ、オレって結構わがままな人間なのかも知れないな。・・・


17.ヴィンセント/ティム・バートン;1982年アメリカ映画(’97.5.25)

 ティム・バートンの初演出作品で、ほんの5分ほどの人形アニメだが、らしさは十分に出た作品になっていた。ヴィンセントという名の7歳の少年の、普段考えている夢想を映像化したいかにもアニメならではの作品だが、その怪奇趣味はのちのバートンの作風をほうふつとさせ、ほほえましい印象を持った。

 明らかにこの作品はバートン自身の自伝的作品だと思う。主人公ヴィンセントはヴィンセント・プライスにあこがれる、いかにも幼少時代のバートンらしいキャラクターで、作品全体のナレーションを当のヴィンセント・プライスにさせるところなど、ディム・バートンという男、最初から人を喰った奴だったんだなあ。・・・


18.岸和田少年愚連隊/井筒 和幸;1996年劇場公開作品(’97.6.11)

 小林 稔侍演じるカオルちゃんが停めてしまう電車が、どう見ても70年代のものには見えないところが日本映画の貧困さをあらわしている。さすがに駐車場に停まっている自動車はちゃんと70年代していたが。

 物語は特にはっきりした流れがあるわけではなく、チュンバとコテツの中学生時代から高校を飛び出すまでの喧嘩に明け暮れる日々を淡々と描いている。ナインティナインが主演したわりには、コント風の作品ではなく、ちゃんとした映画になっていた。

 残念なのは、岸和田という地名を使っているのにも関わらず、だんじり祭りも出てこないし、世界観にあまり広がりも感じられない点だが、この辺は井筒という映画作家の資質によるところが大なのかも知れない。個人的には、どうせ70年代グラフィティを描くならもう少し作者の世界観をぶち込んだ方が良かったように思う。もちろんそればかり狙うのも困るのだが、ファッションをいくら決めても、当時の車を揃えても、当時のヒット曲をBGMにかけようと、全然その匂いがしてこないのも困りものだ。ナイナイというキャスティング自体があまりにも「今」でありすぎるのかも知れない。・・・


19.エスケープ・フロム・LA/ジョン・カーペンター;1996年アメリカ映画(’97.6.17)

 ほぼ20年ぶりに撮られたスネーク・プリスキンもの、つまり「ニューヨーク1997」の続編だが、主演のカート・ラッセルの変わらなさぶりにまず驚かされる。細君のゴールデイ・ホーンとどっこいの若さだ。

 物語は前作とほとんど同じ様な設定で、ニューヨークがロスに代わっているだけと言っていい。マンハッタン島に匹敵する島がロスにはないので、マグニチュード9以上の大地震でロスが丸ごと島になり、そこがちょうど20年前のニューヨークのような無法地帯になっているという設定だ。それほどコメディじみた話ではないのだが、狙いなのか偶然か、思わず笑ってしまうような場面が一度ならずあった。

 全体的にやっぱりカーペンターだなと思わせる安っぽい乗りで、行き当たりばったりの展開は旧作よりむしろカーペンター臭さ全開といった感すらある。SFXも一応現代的にCGバリバリの代物なのだが、それすらどことなく安っぽくチャチで、やっぱりカーペンター印健在と思い知らされた。たとえば完全防弾のステルスヘリも、デザインなどはいかにもそれっぽく、2013年頃には飛んでいそうなものなのだが、収納されていたローターが展開される場面などあきれるほどCG見え見えで、見事にズッコケさせてくれる。

@@警告!!このあとネタばらしあり。観てない人は読まないで!!@@

 前作との一番の違いは、すべてが終わったあと現在の世界のあり方すべてに絶望したスネークが、テロリストが脅しに使っていた全世界の文明を崩壊させるスイッチを結局押してしまうあたりで、この辺にカーペンターの歴史観がほんの少しかいま見えるような気がする。全体的にけして傑作と呼べるような作品ではないが、観終わったあと何となくなごめる一作であった。・・・


20.ファーゴ/ジョエル・コーエン;1996年アメリカ映画(’97.6.25)

 アカデミー脚本賞をとるほどの映画だったのかなあ、というのが観終わっての正直な感想だ。もちろんつまらないなどと言うことはなく、むしろそれなり以上に面白かった作品だとは思うのだが、その面白さはかなりの部分で演出の妙によるのではないかと思う。

 話それ自体は、実話を元にしているために妙な説得力はあるものの、どちらかと言えば練りに練られた物語と言うより、行き当たりばったりのキャラクターたちに引きずられて出来てしまったお話、という感じである。ヒロインの女警察署長が偶然から犯人が相棒の死体を始末している場面に出くわし、あっさり逮捕して唐突に話は終わってしまう。もうちょっと引っ張ってもいいと思うのだが、とにかく無駄な描写をまったくしない。まあ、署長が昔のクラスメートと再会し、奥さんが白血病で死んだと聞かされるが実はそれが彼の妄想だったと判る場面など、本筋とは全然関係ないが、たぶんキャラクター描写のために必要だったのか、あるいは実在の署長が実際に聞いた話だったかしたのかも知れない。

 車のディーラーから狂言誘拐を依頼される二人組みの片割れを演じたスティーブ・ブシェーミが、「エスケープ・フロムLA」に続いていい味を出していた。彼の顔を描写する証人たちがやたらファニー、ファニーと連発するのがおかしかった。・・・


21.インディペンデンス・デイ/ローランド・エメリッヒ;1996年アメリカ映画(’97.7.22)

 超脳天気な侵略テーマの超大作である。何しろ一日のうちに全世界の都市をほぼ全滅させてしまうほど強力な宇宙人を、たったの三日で返り討ちにしてしまうのだから、地球人恐るべしだ。

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 もちろん監督はそんなことは承知の上で、本編を娯楽に徹して作っている。基本的にこの作品はH.G.ウエルズの「宇宙戦争」が下敷きになっている。突然侵略してくる宇宙人を、最終的にウィルスでやっつけるところなどまさに「宇宙戦争」である。その他にもいろんな映画の名場面、名台詞が惜しげもなく使われている。たとえば、元国防大臣が主人公の父親に「人には誰も欠点がある」と言われるシーンは「お熱いのがお好き」の中の台詞だし、ラストで不時着した宇宙船から二人が歩いてくるシーンは、どう見ても「ライト・スタッフ」のパクリだ。細かいことをいえば、宇宙人の使うコンピュータと地球人のそれとに互換性があるはずもなく、コンピュータウィルスが有効なはずはないし(登場していたパソコンはマックだが、これに有効なウイルスは地球上の95パーセントのパソコンには無効である)航空攻撃をかける戦闘機があんなに密集して飛ぶはずもないのだが、この種の映画でそれをいったら野暮というものかも知れない。むしろここでは、ウエルズの古典、「宇宙戦争」が用いた「細菌」というネタを、コンピューターウイルスという新しい衣で使ってみせたことを賞賛すべきだろう。

 そういう屁理屈はとりあえずどけておいて、2時間25分の上映時間の間はエメリッヒの仕掛けた映像に酔えばいいのだ。ローテクのミニチュアワークもうまくデジタル合成され、地球侵略が開始されるシーンなどかつてなかった迫力だ。頭をからっぽにしてとにかくひたすら楽しんでほしい、というのが監督エメリッヒの唯一のメッセージだろう。・・・


22.真実の行方/グレゴリー・ホブリット;1996年アメリカ映画(’97.8.9)

 何よりも一方の主人公アーロン/ロイを演じたエドワード・ノートンの演技力に支えられた映画である。主人公の弁護士を演じたリチャード・ギアは、いつもの演技でこれといった見所もなければ破綻もなく、リチャード・ギア本人を演じていたようにしか見えない。

 二転三転する物語はなかなか凝っているが、容疑者が実は多重人格で、その責任の所在について問われるという内容の物語は、かのエミー賞連続受賞で有名なL.A.Lowの1エピソードにあったし(こちらは容疑者が始めから多重人格と判っており、どちらの人格を法的に裁けるか、という話だったが、物語の終盤で真犯人が実は今まで誰も知らなかった第三の人格と判るというというオチだった)主人公の刑事が容疑者の無罪を信じて奔走し、ようやく裁判で勝利を得たあと、当の被告に実は自分がやったと告白されるエピソードもMiami Viceにあった。どちらのドラマも強い印象を残すものだったので、アメリカの観客は本編を観ても日本人ほどの驚きはなかったのではないか。少なくともぼくは本編を観ながら、上記二本の作品のことを思い浮かべ、オチの可能性を考えてしまった。

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 それより気になったのは、アーロンというキャラクターの奇妙さである。物語の終盤で、実はアーロンの方が始めから存在せず、実はすべてがロイの演技だったと明かされるのだが(このあたりで見られるノートンの演技力の確かさは、アメリカショウビズ界の底力を見せつけられる気がする)そもそもロイのようなしたたかなキャラクターが大司教の変態趣味につきあっていること自体変だし、大体これほど計算高い人間がどうしてダイイングメッセージまで残して割に合わない殺人を犯したのかも、説得力ある説明がない。どうも、最後のどんでん返しのための設定としか思えない。といって、誰でもすぐ判る伏線を張ったのではラストの意外性が減衰されるし、さじ加減の難しいところではある。

 せっかくアーロンの友人を出しておきながらイマイチ生かし切れなかったあたりが、アーロンというキャラクターを描ききれなかった遠因かも知れない。・・・


23.グース/キャロル・バラード;1996年アメリカ映画(’97.8.11)

 実話を元に映画化されたとあるが、もちろん元になっているのはウルトラライト・プレーンでカナダグースの編隊飛行を先導した男の話で、映画のシナリオ自体は架空の物語である。しかし大変良くできた話なので、Based On True Story などとクレジットされているのを見ると、全部本当の話のごとく思いこんでしまいそうだ。

 お話の内容自体は年少者の観客を意識した、子供向けの作品だが、撮影に使われたカナダグースの調教など、手間のかかる部分もとても丁寧に作られており、好感が持てた。アメリカ大陸を縦断する話にしては、出発地点と最終目的地の風景があまり違わないなど(目的地はフロリダ近辺の筈だが、そうは見えない)気になる点がなくもないが、美しい映像でそんな些細な点はすっかりカバーされてしまう。

 登場する実機同様、撮影機もウルトラライトプレーンを使用して撮ったと思われる空撮は、とても美しく見事な出来で、物語に説得力を与えるのに成功している。

 宣伝文句には、CGをいっさい使わず実写で通したとあるが、もちろんそれは嘘で、何カ所かおそらくCG合成であろう部分が見て取れる。編隊が摩天楼の間へ迷い込むシーンと、15羽のグースが他のカナダグースの大群に合流するシーンは、部分的に合成したあとが判る。

 いずれにしろ、こうした動物映画を撮らせると、わが日本の作品はとても欧米のものに歯が立たないのはどうしてなのだろう。予算的にはそう大差ない筈なのだが・・・。


24.身代金/ロン・ハワード;1996年アメリカ映画(’97.8.21)

 典型的な犯罪ものの映画だが、感情描写に優れたハワードがメガホンを取ったためか、この手の映画には珍しく情感あふれる作品となった。幾分、犯人側の描写が不足気味なために、犯人、特にゲイリー・シニーズ演じる主犯の動機がイマイチ判りづらいと言う欠点はあるものの、判りやすい展開とキャラクター描写(特にメル・ギブソン演じる主人公が)のために十分水準はクリアしている。しかし、構図のとり方、演出の起伏などは全般的に平板で、このあたり、前作「アポロ13」で精力を使い果たしてしまったのかも知れない。・・・


25.マーズ・アタック/ティム・バートン;1996年アメリカ映画(’97.8.22)

 文字どおり燃えるスタンピードが駆け抜けるオープニングの映像はなかなかシュールで、ティムらしいセンスがうかがえるが、前半の展開は登場人物の多さもあってややまだるっこしく、眠気を誘ってしまいそうだ。火星人の大使がやってきてからは展開にスピードがつき、独特の乗りのある語り口で見せてくれるが、逆に後半はややスピードがつきすぎ、幾分説明不足のうちに映画は終わってしまう。

 全編で100分程度と、最近の映画にしては異例なほど短い。火星人の弱点が偶然発見されてしまうともう映画は終わったようなもので、あれではいくらなんでも火星人がアホすぎる。いくらコメディとは言っても、守らなければならないお約束はあり、あのエンディングはちょっといただけない。おもちゃ箱をひっくり返したようなティム独特の映像センスは光っているが、それだけでは作品として成立しないだろう。

 たぶんティムの計算では、オチャメな火星人のキャラクターで押していけば、それだけで一本の作品として受け入れられると踏んだのだろうが、短編ならいざ知らず、長編をそれだけで作ってしまおうと言うのはいささか暴挙であろう。もし本当にそのつもりで行くなら、前半部分のキャラクター説明をもうすこし端折って、火星人の行動をさらにねちっこく描写すれば、あるいはもっと面白い作品になったかもしれないが。

 もちろん、火星人の弱点についての設定は「怪獣大戦争」に登場するX星人を参考にしたのだろうが、火星人が見ている地球のTV番組と思われる映像の中に、突如としてゴジラの(vsビオランテ版)絵が出てくるのはオマージュのつもりなのだろうか。・・・


26.クラッシュ/デビッド・クローネンバーグ;1996年カナダ映画(’97.9.3)

 クローネンバーグの映画らしく、本編もまた奇妙な味の作品である。簡単に言ってしまえば、自動車事故による独特の興奮が性的エクスタシーに転化してしまう人々の生態を追った偽ドキュメンタリー風の作品だが、とにかく登場人物が全員ニンフォマニアで、順列組み合わせよろしくそれぞれに性的関係を結び、その関係は性別すら超越してしまう。

 映像はとにかくセックスシーンの連続で、無修正の本編が成人指定になってしまったのもやむをえまい。これらの濡れ場をジェームス・スペーダー、ホリー・ハンター、ロザンナ・アークエットといった人気スターが演じるのだから、大した映画ではある。しかし彼らによるセックスシーンの性的興奮度の低さもまたいかにもクローネンバーグ的で、その無機的な感覚は、観客にせいぜい機械類の擬似的性交か、昆虫の交尾程度の興奮しか与えない。

 J.G.バラードによる原作を未読なので、本編がどの程度忠実な映画化なのか判らないが、登場人物たちの無機的な無表情さなど、確かにバラードの文体に通じるところもあって興味深い。しかし一本の映画として単独に鑑賞した場合、これが評価に値する作品なのかどうかはやや疑問が残る。少なくともぼくには面白い映画ではなかった。・・・


27.デビル/アラン・J・パクラ;1997年アメリカ映画(’97.9.13)

 今時珍しい(単にぼくがあまり観ないだけかもしれないが)スターシステムに乗っとった、俳優で見せる映画である。原題はDavil'sOwn-悪魔自身とでも訳すのだろうか、もちろん主人公、ブラッド・ピット演じるフランキーのコードネーム、エンジェルをもじったものであろう。

 簡単にいえば、盗人にも三分の理、とでもいうのだろうか(ちょっと違うか)見方を変えれば正義の所在もまた変わる、とでもいいたげな脚本である。英国軍側からは極悪人のように扱われるIRA分派のテロリスト=エンジェルも、素顔は友人と戯れる少年ぽさのぬけない青年であり、何も知らずに彼をかくまう警官トムを気遣う、心優しい男でもある。ブラピはさすがにうまく、ナイーブな青年と、非情な殺人者の両面を持つフランキーのキャラクターを無理なく表現している。一方警官トムを演じたハリソン・フォードは、定年間近の実直な老警官という役柄で、つい先日観たスターウォーズの若さあふれるハン・ソロとはまさに隔世の感がある。こちらも年相応の渋さを身につけ、なかなか説得力のある演技をしていた。

 しかし、手放しでは誉められないのが脚本である。あまりに主人公二人に話を絞りすぎたために、物語の広がりがやや不足気味で、たとえば終盤登場する英国情報部員や、FBI捜査官など、何のために出てきたのか判らないし、エンディングもあまりにも予定調和的で、滑り出しのダブリンでの銃撃戦のリアルさが帳消しになってしまった。組織内での情報漏れの件にしても、結局切迫感を演出するためだけの設定で、物語の本筋には絡んでこない。いちばんまずいのは武器商人の設定の薄っぺらさで、主人公エンジェルの正当性を強調するためだけに作られたキャラだといわれても、やむをえまい。ぼくならああは持っていかず、双方の誤解が誤解を生み、のっぴきならないところまで追いつめられる、という風に持って行くところだ。彼らのおかげで話がギャングものの亜流といった線まで落ちてしまった。・・・


28.ミクロの決死圏/リチャード・フライシャー;1966年アメリカ映画(’97.10.4)

 懐かしい60年代テイスト一杯のSF作品である。確かこの映画でかのラクエル・ウェルチはデビューしたのだ。今見ると、人体内のセットがややチープで、幾分実感が不足気味とも思えるが、当時はこれでも十分リアルだったのだ。噂によるとこのセット、サルバドール・ダリが美術監修をしていたという事だが、そのわりにはダリらしいシュールさに欠けているような気がする。

 話はごく単純明快で、この辺もいかにも当時の作品らしい。ミクロ化されている限界が60分という、いかにも映画的な設定で、常識的に考えると、小宇宙と言っていい人体内部をわずか一時間で走破し、複雑な脳外科手術までやってのけようというのだから、無茶もいいところである。一時間なんて、何かしようと思ったらまさにあっという間にすぎてしまうごくわずかな時間でしかない。

 アシモフによるノベライズ版ではミクロ化されると時間経過が何倍にも増幅され、体感時間は一昼夜程度まで伸ばされているが、そうでもしないと小説としてはあまりに説得力がない。「ゾウの時間ネズミの時間」等を読むと、確かに時間感覚は生物の大きさにかなり影響されるようだから、もし人間がミクロ化されたら体感時間はかなり変わってくるかも知れない。

 さて、問題のSFXは時代的にもローテクと言うしかない仕上がりだが、それなりに体内のシュールな雰囲気は出ている。もっとも赤血球がどう見てもそうは見えなかったり、抗体がいかにも糸でつってあるような動きしか出来なかったり、当時の技術の限界もまた見えてしまっている。・・・


29.スクリーマーズ/クリスチャン・デュゲイ;1996年日本・カナダ・アメリカ合作映画(’97.10.6)

 あまり話題にならなかったし、出演者も有名どころといったらピーター“ロボコップ”ウェラーくらいしかいなかったので、どうせB級だろうとたかをくくって観たのだが、確かに物語はB級以外の何物でもないけれど、セットなど結構金がかかっているし、原作者フィリップ・K・ディックのテイストもそこはかとなく感じさせる演出で、そこそこの出来の作品になっていた。

 スクリーマーとは戦争をしている一方の陣営が開発した無人兵器で、識別装置に反応しない動物をいっさい敵として判断し、切り刻んでしまうというとんでもない代物である。こいつに意志が発生し、自己増殖を始めるあたりからディックお得意のシミュラクラ論に話の方向がもって行かれる。最終的に主人公たち一行が出会った敵側の兵士たちすべてがスクリーマーの擬態であったと判るあたりは、ちょっとお約束な気もするが、まあ悪くない趣向だろう。

 もちろんヒロインの武器商人もスクリーマーだろうと見当はついていたのだが、もう一体現れて戦いになるとは読めなかった。スクリーマーにも感情があり、愛情すら抱くことが出来るという設定は、ちょっとディックらしくない気もする。このあたりややご都合主義的な感がなきにしもあらずだった。ラストで救命艇に積まれていたテディベアが動き出し、こいつもスクリーマーだったのかと観客に判らせて映画は終わるのだが、あのテディベアは一体誰が積み込んだのだろう。・・・


30.スター・トレック〜ファースト・コンタクト/ジョナサン・フレイクス;1996年アメリカ映画(’97.10.9)

 TVシリーズボーグ編の続編にあたる物語で、そこそこの出来ではあるものの、どこかTVシリーズのパイロット版かスペシャルのような雰囲気で、いまいち映画らしい重厚感がない。まあ、この一種独特の軽さがスタトレNGの良さでもあるのだが、ライカー副長役でもあるジョナサン・フレイクスの資質も影響しているのかも知れない。群衆劇としての面白さもNGの特色の一つなのだが、今回はどうもストーリィの流れに押し切られて、それぞれのキャラクターが十分に持ち味を発揮しているとは言えない。

 お約束のタイムスリップがここでも出てくるが、どうもたびたび使われすぎていて、単なる物語の上での設定以外の意味がなくなってしまったのは残念だ。タイムスリップにより生じるパラドックスは、まじめに考えれば物語の設定自体を無意味にしてしまうし、どのようなご都合主義も可能にする魔法のような存在だ。このあたり、バック・トゥ・ザ・フューチャーではうまくごまかしていたが、矛盾それ自体に全く目を閉じてしまう今回のようなやり方はどうも感心しない。考えてみればシリーズ前作の 「ジェネレーションズ」でも、同様のタイムトラベルというか、一種の時空の裂け目が登場するが、どうも濫用という感が強い。

@@警告!!このあとネタばらしあり。観てない人は読まないで!!@@

 あまりにご都合主義的なエンディングもちょっと考えもの。あれではボーグ弱すぎ。データが突発的な行動に出ることも予測できなくて、結局中枢部に入れてしまうことなど、少なくともボーグの哲学ではあり得ない気がする。あれがデータ少佐の得た、機械では(つまりボーグには)なし得ないはずの人間的判断だった、ということなのだろうか。・・・


31.トレインスポッティング/ダニー・ボイル;1996年イギリス映画(’97.10.25)

 物語は、イギリスはスコットランドのヤク中の不良青年たちの行状記といったところ。古くからあるイギリス青春映画、たとえば「長距離ランナーの孤独」とか、「さらば青春の光」の90年代風リメイクといった感が強い。撮影はそこそこ斬新で、カチッと決まった話というよりは、フィーリングで流して撮りましたという雰囲気が、この作品にはあっている。

 主演のユワン・マクレガーはこの作品で一躍有名になり、なんとスターウォーズ新シリーズへの出演も決まっているらしい。部分的にはセンスが光る演出もあるが(たとえば冒頭のトイレのシーン)全体としてはそれほど新味を感じさせてくれる映画ではなかった。少なくとも人生の指針を教えてくれるような類の映画ではない。・・・


32.ダンテズ・ピーク/ロジャー・ドナルドソン;1997年アメリカ映画(’97.11.1)

 デジタル・ドメインが担当した火山噴火のSFXはさすがに見事で、それを見るためだけでも一見の価値がある映画ではあるが、見所はそれ以外にも一杯とはいいがたいところにこの映画の弱点は集約されている。

 本当に、火山噴火のSFX以外、取り立てて観るべき所がまるでないのだ。さすがに演出はそつが無く、噴火までのプロセスを過不足無く描いているのだが、とにかく登場人物に魅力がなさすぎる。ピアース・ブロスナン演じる主人公のキャラクターなど、あまりに無色透明すぎてかえって変だ。一応過去の噴火で恋人を失っているという設定ではあるが、これも設定だけに終わっていて物語の中で全然生きていない。小さな街の町長がレストランを切り盛りする若い女性であるという設定も、やはり生きていない。

 ストーリィの流れに押し切られてしまって、観客はキャラクターに感情移入するまもなくエンドタイトルを迎えてしまう。全体的にみて、失敗作とはいわないが魅力に乏しい作品であることは確かだ。・・・


33.Uボート完全版/ウォルフガング・ペーターゼン;1981年ドイツテレビ作品(’97.11.1)

 全6回、全部で300分あまりのTVシリーズで、本編をもとにあの名作映画「Uボート」は編集されたのだ。物語の流れは映画版「Uボート」と同じだが、倍以上の長さがある本編は当然のことながらそれぞれのエピソードの描写が丁寧に、繊細になっている。

 たとえば、若い水兵が主人公の従軍記者にフランス人の恋人の写真を見せる場面が映画版にはあるのだが、TVシリーズではその二人の別れが物語の冒頭に描かれているといった具合だ。

 それにしても見事なのは、6回のTVシリーズそれぞれがかなりの完成度で仕上がっているのに、それを編集した映画版も、とてもTVシリーズの再編集版とは思えない傑作に上がっているという事実だ。監督のペーターゼンは、この後ハリウッドに渡り数々の大作を撮ることになるのだが、本編の演出力を見せられては確かにハリウッドのプロデューサーたちが見逃さなかったのもうなずける。・・・


34.ミクロコスモス/クロード・ヌリサニイ;1996年スイス・フランス・イタリア合作映画(’97.11.8)

 今年のカンヌでドキュメンタリー大賞を受賞した、一部で話題の作品で、その理由は一見して判った。詰まるところこの作品は昆虫版の「アトランティス」なのだ。カバーの惹句には、「裏庭のジュラシック・パーク」なんて書いてあって笑わせてくれるが、確かにそういう見方もできるかも知れない。

 あまたあるこの手の記録映画と一線を画するところは、その画質に尽きる。すべての場面は35ミリフィルムで撮影され、ミクロの世界をぶれのない美しい映像でとらえている。高感度フィルムのなせるわざか、ミクロ撮影に特有の極端な被写界深度の浅さが目立たず、昆虫たちの体のディテールが隅々まで綺麗に捉えられている。撮影技術の進化がこの作品をもたらしたと言ってもいいだろう。

 しかしもちろん不満な点もないではない。監督はたぶん映像ですべてを語ろうとしたのだろうが、おかげでナレーションが極端に少ない、というよりほとんどない作品になってしまった。巻頭と終わり近くでたった二回あるだけなのだ。その二回も、作品のテーマに関わることをほんの少し述べるだけで、具体性のある解説ではなかった。その結果、個々の映像は面白くても、それが何を意味しているのか、よく判らない映像の羅列になってしまった。たとえばテコの原理でミツバチの背中に花粉をこすりつける花や、もっと高度に、ある種のアブの雌に擬態してオスを引きつけ、その体に確実に花粉を塗り付ける花など、たぶん映像を見ただけでは意味を理解できないのではなかろうか。もっともそれをナレーションべったりで解説してしまったら、デビッド・アッテンボローのBBC作品と大差なくなってしまいそうだが。

 一つだけ残念だったのは、水辺をヤンマが飛ぶシーンが明らかに特撮で、他の部分が見事な撮影で自然の一こまを切り取っていたのに、この部分だけが妙に浮いてしまっていた。・・・


35.ロング・キス・グッドナイト/レニー・ハーリン;1996年アメリカ映画(’97.12.3)

 いかにもレニー・ハーリンらしいアクションつるべ打ちのローラーコースター・ムービーである。とにかく、ヒロインの女殺し屋、チャーリイがむちゃくちゃ強くてかっこいい。ここまで強いとおよそ非現実的だが、ここで監督のレニーは話のリアリティよりも、映像の持つ説得力を選択した。

 リアリティ云々という前に、とりあえず映像で見せてしまえば、観客はそのキャラクターを受け入れる。もちろん、演じる女優に観客を説得できるだけの体力と演技力がなければ駄目だが、監督はよほど奥方のジーナ・デイビスを信頼しているのだろう。

 興行的にどうだったかは知らないが、少なくとも作品の出来は成功と言っていいだろう。とにかく観客を飽きさせることなく、ちゃんとエンディングまで引っ張っていった。幾分話が大味なのは否めないが、見せ場の連続で話をつないでいく手法はボンド映画を髣髴させ、お金を払って映画を見に来た観客をそこそこ満足させられる程度には仕上がっていた。しかし、一つだけ腑に落ちない点がある。このタイトル、一体どういう意味なんだろう。・・・


36.バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲 /ジョエル・シューマッカー;1997年アメリカ映画(’97.12.11)

 シリーズ四作目にあたる本編は、シューマッカー監督による二作目でもある。ティム・バートンによる「・・・・リターンズ」までとはうってかわった明るいバットマンはそのまま継承されているが、同時にバートン版の持つ重厚さも失われたままである。

 主演のジョージ・クルーニーは「フロム・ダスク・ティル・ドーン」などを見るとなかなか達者な役者なのだが、今回のバットマン=ブルース・ウェイン役は正直言って大はずしだった。役作りに明らかに失敗しており、全く個性のない、つまらないバットマンが出来上がってしまった。前作ではヴァル・キルマー、前前作ではマイケル・キートンと、主人公役の俳優がどんどん交代して行くのがこのシリーズの特徴なのだが、こういうやり方は感情移入という側面から見ると、明らかにマイナスだろう。その分Mr.フリーズ役のシュワちゃんががんばっているのだが、ちょっと主人公を喰いすぎてしまっており、バランスが悪く感じる。

 脚本は可もなく不可もない出来だが、ややご都合主義が目立つあたりは減点の対象になろう。全体として前作「・・・・フォーエバー」にかなり近い感じで、ローラーコースター・ムービーとしての面白さは確かにあるが、あまりにも不可能そうなスタントシーンを見ると、現代のCG技術のすごさを見せつけられると同時に、きわめてリアルなアニメを見せられているようで、絵空事っぽい雰囲気がどうしてもつきまとってしまう。もともとコミックを映画化した作品なのでそれもいいかも知れないが、それにしては作品全体を貫く確固としたムードが足りないような気がする。しかし、ミニチュアとCGワークを駆使したゴッサムシティのパノラマは見事の一言で、これを見るだけでもレンタルする価値はありそうだ。・・・


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