退屈な正月の閑つぶしに昔のディスクをみたのだが、ノイズがひどくて参った。ってなことは内容とはあまり関係ないが、見づらい画面をがまんして見続けるのがかなり苦痛に感じられる程度の内容であったことは認めねばなるまい。
だいたい幻魔大戦という作品はどれほど長く続こうと決して終ることの出来ない物語で、文庫版は未完のままだし漫画版も当然ながら終っていない。選んだテーマとそれに対する方法論がこの作品に結局未完で終るであろう宿命を与えているわけだが、今回のアニメ版はいとも簡単にエンディングを迎えてしまう。
あの原作を一本のアニメ映画にまとめなければならなかったりん たろうの苦労も判るが、終るべきではない話を終らせてしまっただけでも失敗作の誹りは免れない。それにしてもよりによって大友克洋にキャラクター設定を任せるとは、角川春樹という男、先が読めるのか読めないのか全く判らん男である。この人選が完全に営業的な視点からのみ決定されたのは間違いなかろうが、後に大友が「アキラ」を描き、映画化する方向性を与えたとも考えられるし…うーむ・・・
とにかくイザベル・アジャーニの熱演に尽きる映画だ。ストーリィはスラヴスキーのスタイルなのか、多少説明不足というか、キャラクターを動かす動機がはっきり判らない場面が多い。
しかしその分この手の映画のお約束とも言える不条理さが作為的にではなく伝わってくる。つまり、アメリカのホラー映画によくある、モンスターをつかって殺人を盛り上げるテクニックがない分、逆に新選なのだ。実際、ハゲ頭の探偵が怪物を見つけるまでは普通の心理劇と思って見ていたほどだ。
それにしても謎なのはアジャーニが二役で演じた先生(ヘレン)の存在だ。映画のラストで主人公マルコが怪物によってコピーされてしまうことを考えると、ヘレンは実はアンナのコピーであったと考えられないこともない(ラストシーンはそれを暗示しているのだろう)しかしそれにしては息子のボブが彼女を怖がらないのは妙だし、どうもよく判らない。
とにかく、台詞のあるキャラクターはほとんど全員死んでしまうという、ものすごく陰惨な映画であった。・・・
かのカルト・ムービー「グレート・ブルー」の完全版で「グレート・ブルー」より40分も長く、ほとんど別の映画になっている。
「グラン・ブルー」で復活した部分はほとんどが主人公ジャックとジョアンナの恋愛関係に関する部分で、これによりかなりぶっきらぼうな印象のあった「グレート・ブルー」での二人の関係の描写がぐんと細やかになり、この作品が基本的には恋愛映画であることが一層鮮明になった。何かに賭ける男とそれがどうしても理解できない女を描く映画はよくあるが、これもそうした作品群のなかの一本であり、主人公ジャックをユニークなキャラクターとして設定したためテーマはかなり判りやすくなっている。
しかしこの映画はそうしたストーリィやテーマを追うより、ひとつひとつの映像や場面そのものを味わうべき性格を持っているようだ。そうした見地から見ると、セカムからNTSCに変換されたと思われる本篇の画質はお世辞にもいいとはいえず、特に暗い場面ではバー状の濃淡が出てしまってやや見苦しい。解像度もVHSなみで色にじみも見られ、まるでレンタルビデオのようだ。
このところ輸入LDの高画質にならされてしまっていたためか、これにはかなりがっかりした。いやしくも「完全版」を名乗るなら原盤フィルムを取り寄せ、国内でD−2デジタル・テレシネくらいはしてほしかったところだ。・・・
この種の映画はいかに戦闘シーンを派手に見せるかという一点に監督の手腕のすべてがかかっているといっていいが、その点から見る限り本篇は大成功といっていいだろう。例によって戦闘シーン以外の演出はかったるく、日米双方の演技の質の差も目だって映画としての出来は余りいいとは言えないが、真珠湾攻撃シーンの見事さがすべてを補ってくれる。参加したスタント・パイロットの腕は本当に素晴しい。
欲を言えばT−6改造の零戦や97艦攻がイマイチ似ていないので、もっと気をいれて改造して欲しかったところだが、飛行特性の問題もあってああなったのかも知れない。SFXの出来映えも見事で実写シーンとほとんど違和感がない。しかしこれだけアメリカがこてんぱんにやられる映画をよく企画したものだ。実際向こうでの興業成績はさんざんだったという話だし。・・・
ロッキード社自らが製作したドラマ仕立てのSR−71用PR映画。案の定というか、思ったとおりというか、かの「ファイナル・アプローチ」は本篇に使用した空撮をかなり流用していた。しかし本篇にはなくあちらにだけあったシーンも多少見られるので、おそらく没になったフィルムごと買ったのだろう。
登場する士官たちは役者ではなく本物の士官なのだそうだが、それにしては台詞回しが堂にいっていて、ひょっとしたら士官クラブのアマチュア役者たちなのかもしれない。ストーリィは一応あるのだが、ほとんどSR−71の飛行シーンを見せるためだけの設定で、こんなものを見せられるのなら開発史のドキュメントか「ローリング・イン・ザ・スカイ」シリーズみたいなBGVに徹してくれたほうがよかった。・・・
以前から名作の呼び声が高かった作品であるが、今の目で見ると同時期のアメリカやヨーロッパの映画との出来の差は歴然としている。当時すでにチャップリンは「独裁者」を撮り、オーソン・ウェルズは「市民ケーン」を撮っていたのである。
ところどころはっとするような斬新さを見せることもあるが、総じて表現は凡庸だし、キャラクターはぜんぜん立っていないし、とって付けたようなマレー沖海戦の部分は全体と全く調和していないし、円谷 英二が手がけた特撮はチャチの一言だし、とにかく映画としての出来は情けないほど欧米に差を付けられているのだ。
こんな環境のなかから一時的ではあれ欧米の作品と肩をならべる映画をとった黒澤明という男はやっぱり凄かったのだろう。まあ、黒澤のことは置いておくとして、軍部の圧力が相当強かったのだろうが、それにしても悲しい出来の作品といっていいだろう。・・・
どうもテレシネの際に使った撮像管の影響か、それとも「グラン・ブルー」の時と同様のセカムからNTSCへの変換の弊害か、ブルーの発色があばれ気味で、黒い部分への青のにじみが目に付く。他の色の発色や解像度に問題がないだけに残念だ。
映画としての出来は言うまでもないが、やや人間主義的な視点が気にならないでもない。しかしいくら前作「グラン・ブルー」が大ヒットしたからといって、こんな映画にポンと金を出してくれるスポンサーがいるフランスという国、いやヨーロッパという文化圏の懐の深さはやはり凄い。・・・
残念なところを先に書いてしまうと、キャラクターがふくやまさんのコミック版と余り似ていないことである。物語もコミック版とはかなり変えられていて、博士が作った飛行機の飛ぶシーンなどオリジナルよりかなりアニメ的な見せ場になっている。
一方コミック版では主人公ヴェルの相棒だったエーリヒがアニメ版では登場せず、男装の麗人アリアーナとフライシャー警部が恋仲になったりと、ほとんどパラレル・ワールド的世界になってしまっている。しかし原作を無視して一本のOVAとして見ると、作画は丁寧で動きもよく、上映時間も90分とOVAとしては異例の長さで、劇場用の作品なみのクオリティを持っているといっていい。それだけにいくぶんオリジナル離れをしてしまっているのが残念なのだ。・・・
原作が連載されていたのがアニメージュで、それが徳間から単行本となり、スタジオジプリがアニメ化して日テレ系で放映するというのは考えてみれば「ナウシカ」と全く同じ流れである。唯一違う点は劇場公開されなかったということだが、その辺のOVAなど問題にならないほど作画の質は高く、後に述べるただひとつの欠点を除けば、数ある劇場用のアニメと全く遜色はない。
一応完全映画化ではあるが、細かくみれば原作とは違う点も結構あり、たとえば原作の東京での舞台が石神井だったのに対して、アニメでは吉祥寺が舞台だし、原作ではかなり重要なキャラクターの一人だった津村知沙が登場せず、主人公杜崎の大学生活にも全く触れていない。
その辺のことは放映時間などの都合で止むを得ないのかもしれないが、ただひとつ非常に気になったのが、ヒロイン里伽子のキャラクター造形の平凡さである。どうみても他の女の子たちと大差なく、「すごい美人」とは思えないのだ。だからラスト近くでクラス会に髪を伸ばした小浜祐実が登場する場面では里伽子と見間違えてしまった。(原作では二次会に里伽子も来る設定だったのだ)この辺がジプリ系の画風の限界かもしれない。それにしてももう少しなんとかならなかったんだろうか。・・・
古い作品だがネガの保存状態がよかったため発色もよく、当時としてはなかなか見事なSFXも昔のままの感動を伝えてくれる。お話は昔のSFらしい御都合主義で、無理だらけの展開といい、呆気ない幕切れといいB級の域を出てはいないが、それでもやはりそれなりに面白かった。・・・
話はとても単純で、ヘリコプターの空撮を見せるためだけの映画といってもいいが、それでもダン・オバノンの過不足ない脚本と、バダムのタイトな演出力によってこの種の映画としてはまあまとまった作品となっている。
F−16の出撃シーンは空軍の協力が得られなかったとかでミニチュア・モデルを使ったSFXになっているが、この部分の出来は悪く、実機のヘリコプターを使った撮影がかなり大迫力だっただけに惜しまれる。それから、ヘリコプターには宙返りが出来ないということがストーリィの核心に関わってくるのだが、実際には不可能ではなく、その台詞を口にしていた本人の乗るヒューズ・ディフェンダーにも可能なのだ。多分脚本の段階で参考にした文献が古かったのだろう。・・・
すべての絵をマックで作った、いわばCG作品なのだが、ほとんどセル画を使ったアニメーションと変わりはない。発色の透明感には少々分があるような気がするが。内容はいかにもたむらの絵本が動いている感じで、彼独得のムードは100パーセント出ているといっていい。・・・
レースシーンの素晴しさを除けば、いろいろな意味で「グラン・プリ」とは対照的な映画である。F−1というヨーロッパ文化をいかにもハリウッド調のスペクタクルに仕上げたのが「グラン・プリ」だが、「栄光のル・マン」はアメリカ映画とは思えないほどヨーロッパ的な匂いが強い。前者がレーサーたちの人間関係をこれでもかとばかりにドラマ化しているのに比べ、後者はほとんど台詞らしい台詞もなく、ドキュメント的な演出で淡々とレースを見せる。
むろん映画としての盛り上がりがないわけではなく、ル・マン独得の雰囲気もよく出ている。特筆すべきなのはやはりクラッシュシーンで、ワイド画面のせいか迫力はTVバージョンよりさらに増し、見事の一言だ。いろいろな角度からハイスピード・カメラで撮っているのだから当然制御されたクラッシュなのだが、とてもそうは思えない物凄さだ。多分ラジコンか何かで動かしているのだろうが、もしスタントマンが操縦していたのだとしたら、その勇気というか、命知らずさ加減はあきれるばかりだ。・・・
小田のような畑違いの人間が撮ってもそこそこの作品となるくらい日本映画のスタッフは優秀である、と言うことが出来るかもしれないが、逆に言えばそれだけ専業監督の存在価値がないということでもある。
この作品の映画としての成功は、ヒロインを演じる藤原礼美の出来次第といえると思うが、正直言ってその判断は難しい。女優が本業ではないため、こちらが見慣れていないことによる新鮮さはあるものの、発声の基礎が出来ていないため台詞が聞き取りにくい。要するに素人臭いのだ。もちろん現実にはああいう話し方をする女性もいると思うが、映画は現実をなぞる必要などないのだ。
脚本は月並な出来で、八千草薫演じる未亡人の使い方など悪い意味でズルい。小田の意図はそうした話で見せる映画を作ることではなく、美しいワンカット、ワンカットをつないだ美しい映画を作りたかったのだろうが、観客が寝てしまっては意味がないと思う。それから、ミユージシャンの作った映画だから仕方がないが、小田の曲のプロモーション・ビデオみたいな映像が多すぎるのにも閉口した。・・・
クライテリオン版との差はほんの数カットなのだが、ナレーションがなくなったこともあって全体の印象はかなり違う。
追加されたシーンはデッカードがユニコーンの夢をみるシーンと、レイチェルがデッカードに「あなた自身をVKテストにかけたことがあるの?」と尋ねるシーンだが、特に後者は物語全体のテーマに関わる台詞だけに、どうして今まで省かれていたのか理解に苦しむ。そのかわりあの甘美なラストシーンが省略されてしまったわけだが、もとは「シャイニング」のオープニング用に撮られたというあのシーンのさわやかさも捨て難く、どちらかを選ぶのは難しい。
それから、これは映画の出来とは関係ないことだが、ディスクの編集がややマズく、各面のラストが切りのいいところで終っていない。これは、クライテリオン版が実にうまいところでA面からB面、C面へと切り替えているのと比べて少々素人臭い感じがする。・・・
脚本は例によって穴だらけで情けない出来であるが、前作のようなムチャなタイム・パラドックスものにしなかっただけマシかもしれない。それにしても地球環境云々の白々しい台詞をわざわざいれなければならなかった理由が判らない。
まあ、こうして言葉として入っていなければ気付かないほど馬鹿な映画ヒョーロン家(映画版「ジュラシック・パーク」には原作のもつ科学万能主義への批判が失われていたなどと言ってのけたおすぎみたいな連中のこと。物語それ自体が十分批判になっているなどとは頭が悪すぎて判らないのだろう)を相手にしなければならないのだから当然かもしれないが。特撮シーンははっきり言ってチャチで、空自F−15の攻撃シーンなど、40年前のレベルそのままだ。
モスラの幼虫が国会議事堂に繭をかけるシーンなど、中には詩情あふれる場面もあるのだが、コスモスの登場シーンのオプチカル処理など、ザ・ピーナツの頃よりむしろ後退しているような観すらあるつたなさで、かなり残念な出来である。見せ場はラストのみなとみらい21でのゴジラ、モスラ、バトラの三つどもえの戦いに集約されるのだが、さすがに大金をかけたセットの出来はよいものの、肝心の戦闘シーンはイマイチかみ合っておらず、不満な出来であった。・・・
石原裕次郎が珍しく抑えた演技を見せるセミ・ドキュメンタリー・タッチの作品で、いかにも市川らしい凝った構図の連続でいささか疲れるが、肝心のヨットの航海シーンはなぜか平板な撮り方をしていて残念だ。
物語は実話を元にしているためかやや単調で、余り盛り上がらずに終ってしまう。おそらくあえて劇的な盛り上げ方を避ける演出法だったのだろうが、せめてもう10分時間を撮ってあっさり朗読で終らせていた凪のときの狂気や、海のさまざまな表情をもっとじっくり描いて欲しかった・・・
その後現在まで続く世界的クン・フー映画ブームの火付け役となった作品で、今の目でみればいろいろと変なところはあるものの、まずは第一級の娯楽作品といえるだろう。
まあはっきり言ってブルース・リーのクン・フー・アクションを見せるために作ったストーリィなので、始めから云々するほうが間違いなのだ。
それにしてもファースト・シーンに登場した「デブゴン」ことサモハン・キンポーが、いかにも糖尿か何かで早死に死そうに見えながら今でも健在なのに、あれほど頑丈そうだったリーが時を経ずして病死してしまうのだから人生判らないものだ。・・・
スターウォーズ以降の映画なのに、とてもそうとは思えないほど古典的なセンスで作られた映画である。はっきり言って失敗作なのでディスクもビデオもとうの昔に廃盤になっており、手に入ったのはラッキーの一言である。
たしかに駄作ではあるが、全体的なデザインセンスに今風のSF映画にはない味があるのだ。この映画が公開された当時僕はちょうどプラックホールをネタにしたSFマンガ「コスモス・エンド」を企画中で、影響を受けるといったほどのことはなかったが、多少は意識していたはずだ。もちろんプロパーSFとしての出来は自分のほうが遥かに上だと自覚していたと思う。
それにしてもこの脚本、もう少しなんとかならなかったのだろうか。せっかくマクシミリアン・シェルを始めとしてアンソニー・パーキンス、アーネスト・ボーグナイン等いい役者をそろえたのに、これじゃあね。・・・
この作品は荒巻義雄氏の旧作「ビッグウォーズ」シリーズのなかの一編「神撃つ朱い荒野に」の第三章、「神々の不沈空母」までをアニメ化したものである。
ながい物語の途中のエピソードを取り出していきなりアニメ化されたためか、背景説明がかなり不足気味で、敵がただの宇宙人ではなく「神」なのはなぜか、とか、あまたある既存の宗教との関係とか、はっきりしない点が多いのが気になる。
戦闘シーンはそこそこだが、いくぶん個性に乏しく、他のSFアニメと大同小異である。物語はだいぶ枝葉をそがれてはいるものの、おおむね原作に忠実であるが、70分という上映時間の中途半端さのためか、エンディングははっきり言って尻切れとんぼといわざるを得ない。・・・
一言で言えば変な映画である。物語はおおむねルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」にしたがっているのだが、普通に考える「アリス」とはかなり違うセンスでとられている。
監督のシュバンクマイヤーはもともと人形アニメの作家なので、普通の人とは違うセンスなのもあたりまえかもしれないが、たとえば小さくなる薬を飲んだアリスが人形になってしまうところなどはこの人ならではという気がする。
映像的には、さまざまな小道具が出てくる机の引き出しをアリスが引っぱると、スポン!と必ず取っ手が抜けてしまうお約束ッぽいギャグがセコくてなかなか面白かった。・・・
アイマックス・システムを使った超高画質の映像を期待したのだが、残念ながらそれほど高画質の映像ではなく、やや期待を裏切られた感じだ。
NTSC方式の限界とか、プロジェクターの性能の限界もあるのだろうが、フィルムそれ自体の画質もそれほどいいとは思えない。全体的にエッジが甘いし、コントラストも少々ネボケ気味だ。
内容もそれほど素晴しいといったことはなく、ありふれたドキュメントの域を出ない。一応ヤマは故障した太陽観測衛星を回収して修理し、再放出するまでのプロセスを追った部分なのだが、肝心のMMUを使ったシーンも失敗のシーンもなく(あたりまえといえばあたりまえだが)盛り上がらない。・・・
十数年前の松本零士作品がなぜか今頃アニメ化された。
なかなか力の入った作品で、オムニバスの三作品とも原作の味わいを残しながら見事にアニメ化されており、それぞれの監督の持ち味も出ていて気に入った。やや残念だったのは、一作目ではかなりよく出来ていた空戦シーンが二作目では少し雑になり、三作目の飛燕の飛行シーンでは普通のTVアニメなみの動きになってしまっていたことだ。三作品とも他のシーンはなかなかよく出来ていただけに惜しまれる。・・・
フィルムの状態を考えると信じられないことだが、この作品が完成してからすでに半世紀、制作にはいったのは真珠湾攻撃の数年前という、まさに歴史的作品なのである。
それにしても驚異的な保存状態のよさである。中間色の微妙な色合いなど、ごく最近のアニメ映画に一歩もひけを取らない。ディズニーのアニメはそのほとんどが余りに有名で、改めて観るまでもなくストーリィは知っていたのだが、バンビだけは例外で、今回観るまでぜんぜん粗筋すら知らなかったのだが、観終ってみると、ライオンが鹿に置き換わっているだけで、まんまジャングル大帝であった。
ディズニーが手塚氏に与えた影響はいうまでもなく計り知れないが、この作品などその最たるものだろう。それにしても動物たちの動きの見事さと来たら、完成の域に来ているといっていい。とにかく素晴しいの一語に尽きる作品だ。ただ一言だけ文句をいわせてもらえば、少々短かったような気がしないでもない。せめてあと10分、いや5分でも長くあの世界を味わわせてもらえたら、もっとよかったのに。・・・
アニメなので大がかりなアクションシーンをいれても製作費が大幅に上昇するなどということはないから、以前の「ケルベロス」より多少は見せ場らしきところも見られはしたが、やはり本質的に押井のスタイルをこれでもかと押し通した、良い意味でも悪い意味でも押井らしい映画となっている。
しかしながら、自分のサイン代わりに入れているらしい犬や鳥の映像はかなりくどく、明らかにやりすぎだ。物語もやや強引さが目につく。たとえば政府サイドが警察に見切りをつけ自衛隊に治安出動まがいの命令をだすあたりの必然性がまるでない。ベイブリッジを吹き飛ばした犯人が自衛隊関係者と判っていながらなぜそうするのか、どう考えても不自然なのだ。
映画ではその辺を実にあっさりとパスしてディテールの描写にのみ向かおうとする。キャラクターたちの並べるごたくもどこかで一度聞いたような内容で、クーデターまがいの行動を起こす理由としてはいかにも弱い。
しかし一番の問題は、この手の作品をアニメという手段でしか発表しえない日本の映画産業の現実であろう。・・・
話にはかなり無理があるのだが、テンポの早い展開でこちらの疑問が生じるより早く次のシーンに移ってしまうので、さほど気にはならない。IBMパワービジュアリゼイション・システム使用による継ぎ目のない合成が売りなのだそうだが、たとえばスタローンが岩登りをするシーンなどでは、カメラが引くにつれて合成がバレてしまい、それほど画期的とは思えない。
前半のビジネスジェットを使ったスタントなどかなりのものだが、これほど無理なことをしないでも金を強奪することくらい出来そうなものだ。どう考えてもこれはストーリィの発端を作るための設定としか思えない。しかし全体に「高さ」を感じさせる演出はなかなかのもので、スタントの質も高く、ラストの強引とも思える展開も説得力があってよかった。
特にスタローンが今までとはかなり違ったキャラクターに挑戦し、ある程度成功していた点は評価できる。それほど大根ということもなかったんだ、あの男は。・・・![]()