TOMさんの映画にひとこと'92

このページは日ごろ僕が書きためた、レンタルビデオ鑑賞日記です。

いちおう星取り表になっていますが、そのときの気分で付けたもので、あまり信頼性はありません。

@@警告!!この先ネタばらしあり。まだ観ていない人は読まないで!!@@

の下の文章は、カーソルで選択し、背景色を反転させれば読めるようになっています。

ただし、警告しているようにネタバレが含まれますので、映画観賞後まではお読みにならないようお願いします。


1.ニュー・ジャック・シティ/マリオ・ヴァン・ピープルズ;1991年アメリカ映画(’92.1.25)

 もっとスタイリッシュな凝り凝りの映画だと思っていたのだが、意外にフツーな刑事アクションものであった。映像は淡々としていて、少々メリハリに欠けるような気がする。伏線の張り方などもちょっと見え見えで、特に仇役のニーノが実は母を殺した犯人だったと判るところなど、ほとんどリーサルウェポン2である。

 ああいう終わり方は予想は出来たが、結局は暴力を肯定したのと同じことで、せっかくのテーマを自らおとしめてしまっていたのは残念だ。表向きのテーマとは別のこういう部分があちこちで発砲事件を引き起こす結果を生んでいるのかもしれない。・・・


2.おもひでぽろぽろ/高畑 勳;1991年劇場公開作品(’92.1.26)

 主人公のタエ子が現在27歳で、小学5年生の頃に西田サチ子や倍賞チエ子の歌が流行っていてビートルズブームがあったということは、この映画自体の時代設定は今('92年)から10年前なのだろうか。まあ、振り返った先が今から10数年前ではレトロねたとしては少々新しすぎるし、といって主人公が37歳ではああは簡単に結婚ばなしは進まないだろうし、苦し紛れの設定なのかもしれない。

 映画はスタジオジブリの作品らしく、とても丁寧に作られていて、現在のタエ子と小学5年生の頃のタエ子のそれぞれの登場場面で背景のトーンを変えたり、(昔はパステル調で現在はリアルに)キャラクターデザインも微妙に変えたりと、なかなか芸が細かい。

 ただひとつ気になったのは、この話を何故アニメでやったのかということだ。もちろんアニメならではの表現はあるし、完成度の高さなどから見ても優れた作品だとは思うが、アニメでなくては描けない話ではない。声の出演の今井美樹と柳葉敏郎が主演した実写作品としても十分成立しそうな気がする。もっとも今の日本映画界が作ったところでろくなものにはなりそうもないが。・・・


3.男たちの挽歌/ジョン・ウー;1986年香港映画(’92.1.30)

 この映画を観ると今の日本映画が何故だめなのかよく判る。要するに土着的すぎるのだ。

 この作品も一応舞台は台湾と香港ということになってはいるのだが、そのテーマは一言でいって兄弟愛であり、どんな民族にも普遍的に「わかる」ものである。つまり世界で勝負することが出来るのだ。

 日本映画には残念だが決定的にそれがない。何故か日本社会の特殊性ばかりを取りあげ、いいところを衝いたつもりでいる。これでは世界に出せるものがアニメしかなくなってしまうのもあたりまえだ。

 かつて日本映画が隆盛を誇っていた頃にはこのような無国籍風アクション映画が沢山作られていたものだ。裕次郎が、エースのジョーが、マイトガイ小林旭が、そこでは大活躍していた。当時の活力は今、そっくりそのまま香港映画が相続してこのようなパワーあふれる作品をどんどん量産している。・・・


4.スーパーマン/リチャード・ドナー;1978年アメリカ映画(’92.2.1)

 仇役のレックス・ルーサーがスーパーマンの相手としては力不足だったために、本格派のアクション映画にはなりそこなったが、単なるスーパーマン誕生編として観ればなかなかよくできていて、特に少年時代のアンドリュー・ワイエスの絵を思わせるアメリカの田舎の雰囲気は素晴しい。

 スーパーマン役のクリストファー・リーブはなかなか達者な役者で、眼鏡ひとつあるかないかの差で上手にスーパーマンとクラーク・ケントを演じ分けていた。単に肉体美を誇るだけの役者ではないようだ。・・・


5.カスパー・ハウザーの謎/ウェルナー・ヘルツォーク;1974年ドイツ映画(’92.2.1)

 妙な映画だというのが観終わったあとの一番の感想だ。主人公を演じた俳優の個性が強烈すぎて僕の持っていたハウザー観とは違っていた。・・・


6.エイリアン2/ジェームズ・キャメロン;1986年アメリカ映画(’92.2.15)

 よくよく観ればたいした話ではないのだが、キャメロンの力業のおかげで見事なSFサスペンスになった。

 特にアクションシーンでの演出は素晴しく、短いカットの連続で畳み掛ける手法は作り物のエイリアンをいかにもらしく見せ、結構原始的手法で動かしていることを全く気付かせない。基本的にはキングギドラと同じ手法なのにこの差は一体どこから出てきてしまうのだろう。・・・


7.ターミネーター2/ジェィムズ・キャメロン;1991年アメリカ映画(’92.2.26)

 要約すればたいした話ではないのだが(こればっか!)畳み掛けるアクションとテンポのいい演出で実に面白く見せてしまう。

 演技面でもジョンを演じるエドワード・ファーロングがなかなか達者なところを見せ、撮影前僅か一か月で演技の勉強を仕込まれたとはとても思えない。それにしても、あのヘリコプター・スタントは何度観ても凄い。・・・


8.ターミネーター/ジェイムズ・キャメロン;1984年アメリカ映画(’92.3.2)

 言うまでもなくターミネーター2の前編であるが、改めて見直すと展開が実によくT2に似ており、T2はほとんどT1のリメイクだといわれているのも頷ける。キャメロンがその真価を初めて見せた作品であり、妙にやさしくなってしまったT2のシュワちゃんよりこっちのシュワちゃんのほうが迫力という点では遥かに上で、シュワルツネッガーの真価もまたこの作品で初めて発揮されたといっていいだろう。

 少々残念だったのは、制作年度が1984年と新しいにもかかわらず、音声がモノラルで、特殊メイクの出来もイマイチでややリアリティに欠けたところだ。それから、カイルの回想シーンに登場するターミネーターはシュワちゃんとは別の俳優が演じており、T2に登場するターミネーターがシュワちゃんである必然性がないのもちょっと気になる。

 しかしながらそんな些細な欠点もほとんど気にならないほど映画としての完成度は高く、テンションを高いままラストまで持続し続けるキャメロン映画の特徴が実によく出ている。・・・


9.プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角/ハワード・ドイッチ;1986年アメリカ映画(’92.3.6)

 モリー・リングウォルド演じるアンディの側の描写はまあいいとしても、アンドリュー・マッカーシー演じる金持ちのおぼっちゃまブレインの側はほとんど描かれておらず、ドラマのテーマが階級の差を乗り越える愛というものだけに片手落ちといえるだろう。実際ブレインときたらアンディの前に出るとニヤつくだけで、まるっきりいいところのない出来損ないのキャラクターで、結局二人のキューピット役を心ならずも演じることになるダッキーのほうがよほど共感を得やすいと思う。

 それにしてもこの映画、最近のものなのにアメリカ映画としては珍しく黒人が一人も登場しない。アンディよりもさらに貧しい黒人が出てきてしまってはテーマがぼけるという計算があったのかもしれないが、何だか変である。・・・


10.エア★アメリカ/ロジャー・スポテスウッド;1990年アメリカ映画(’92.3.29)

 メル・ギブソンという俳優は実に器用な人で、マックスともリーサル・ウェポンとも違う老練パイロット役をそつなく演じている。物語は設定が微妙な割にはストレートなアメリカン・スタイルで、ややそこの浅さは感じさせるものの、なかなか面白い航空アクション映画に仕上がっている。

 登場する飛行機もピラタス・ポーターがヘリオ・クーリアの代役で飛んでいるほかはC−123もヒューイもグラスホッパーもホンモノで、スタント飛行も十分見応えがあり、シロウト受けしそうな空中戦シーンなどはないものの、結構イケる。

 本編が終わったあと登場人物たちのその後が字幕で出るが、ほとんどアメリカン・グラフィティのノリである。ここが一番笑えたといったら製作者に失礼であろうか。・・・


11.スカイナイツ/パトリック・ジャマン;1990年フランステレビ作品(’92.3.30)

 なんとあのスカイナイツが¥3.500の普及版となって再リリースされた。もちろん店頭で見かけた瞬間に買ってしまった。改めて見直したがやはり元祖トップガンを上回る出来で、飛行シーン、キャラクター、ストーリィのどれをとっても数ある航空アクションもののなかでもピカ一である。

 安く上げなければならないTVシリーズでこれだけのことをやってのけるのは大変だったと思う。本シリーズはその後別の発売元から「ミラージュ」というタイトルで続けられるそうで、こっちのほうも期待大である。・・・


12.遊星からの物体X/ジョン・カーペンター;1982年アメリカ映画(’92.4.14)

 人間ドラマとしてはさほど成功しているとは思えないし、カーペンター作品としては脚本のつめもやや甘いような気がするが、特殊メイクと操演の見事さが作品の欠点を覆い隠してしまっている。これでもか式のホラーものが多い最近では割とあっさりカタが付いてしまう本篇は多少物足りない気もするが、生首から節足が生えてクモみたいに歩いたり、犬の顔がバナナみたいに裂けて怪物が顔を出したり見せ場には事欠かない。

 それから冒頭の、怪物を体内に秘めた犬がノルウェーの越冬隊員から逃げてくるシーンで、銃声が風切り音まで見事に拾われていて、マニアックな銃器ファンを唸らせるところもある。・・・


13.戦場の小さな天使たち/ジョン・ブアマン;1987年イギリス映画(’92.4.20)

 内容云々の話より前に、何だこのタイトルは!?たしかに原題を直訳しても日本語タイトルにはなりづらいが、それにしてもコレはないと思う。

 さて、内容だが、これまでのブアマン作品の大スケール・スペクタクルとはえらく違う小品で、どちらかといえばジャン・ルー・ユベールの作品に通じる味わいがある。この映画にもサラ・マイルズが出てくるが、こちらは「白い炎の女」とは違って若い娘を持つ母親という(たぶん)実年齢に近い設定なので安心した。

 ところでブアマン映画の常連である息子のチャーリィが出ていなかったようなので気になっていたのだが、実はチョイ役ではあるがちゃんと出ていた。ほとんどヒッチコックみたいな奴だ。・・・


14.ブレード・ランナー/リドリー・スコット;1982年アメリカ映画(’92.4.23)

 フライデー男小島一慶からはオタク映画だ何だとけなされたが、あれはこれほど有名な作品を観たことがなかったどころかタイトルさえ知らないという小島の不勉強ぶり、というより常識のなさを責めるべきだと思う。はっきりいってマスコミにかかわっていたり、モノを作るたぐいの仕事をしている人間でもしこの作品のタイトルさえ知らなかったとしたら、恥ずかしさのあまり舌でもかんで死んでもらいたいところだ。くたばれ小島一慶!

 てなことはどうでもいいが、とにかくみる度に何か発見がある凄い映画だ。今回の発見はプリスの死体を見たときのロイの涙。泣くという行為は感情表現のなかでも笑いとならんでもっとも人間的なもので、感情を持たないはずのレプリカントには本来無い機能であろう。レイチェルはタイレルの姪の記憶が移植されているから可能かもしれないが、他のレプリカントにそれが出来ることなどありえない。逆に言えば、涙を流した時点でロイは人間に生まれ変わったということなのかもしれない。そういえば、ロイの最後の台詞"Like Tears in The Rain"も、字幕では「涙のように、雨のように・・・」となっていたが、本当は「雨に流れる涙のように・・・」というような意味だろう。つまり、自分は今泣いているのだが、雨に濡れているので判るまい、といったニュアンスが含まれているのではないか。・・・


15.空軍大戦略/ガイ・ハミルトン;1969年イギリス映画(’92.4.24)

 戦闘場面以外ほとんど見るところが無いというのは戦争映画としては褒められるべき点なのかけなされるべき点なのか良くわからないが、とにかく徹底して空中戦シーンで押しまくる快作である。

 総計100機以上の大戦機を動員して再現したそれは見事な出来で、多数の英独両軍の戦闘機がシネマスコープの画面の中で一度に乱舞する姿はもう二度と見られないだろう。それにしても本篇や「地獄の黙示録」のようなシネスコの画面でなければ本当の迫力を感じられない作品を、どうして日本のソフトメーカーはトリミング版のままにしておくのだろう。・・・


16.ある日どこかで/ヤノット・シュワルク;1980年アメリカ映画(’92.5.1)

 有名なロマンチックSF(?)映画だが、観るのは今回が初めてだ。全体的にジャック・フィニイのSF作品に多大な影響を受けているらしく、主人公コリアーに哲学的タイムトラベルのレクチャーをする教授の名もフィニイである。

 お話はSFと呼ぶにはあまりにムードに頼りすぎ、SFの香りはほとんど感じられない。脚本は主人公が1912年に戻るまでにあまりにも時間を裂いてしまっており、ジェーン・シーモア演じるヒロインに会ってからの展開に多少無理が生じてしまっている。ああいう場面では当時の女性はもっと男をじらすと思うし、クリストファー・プラマー演じるマネージャーにはもっと徹底して悪役を演じ切って欲しかった。

@@警告!!この先ネタばらしあり。まだ観ていない人は読まないで!!@@

 話は幸福の絶頂でコリアーが現代に引き戻され、その後ヒロインがいかにして彼のことをタイム・トラベラーと知り、学生時代のコリアーに時計を届ける事になるのか全く触れられていない。これははっきり言って脚本の不備である。

 現代に戻ったコリアーは呆気なく死に、何故か若い頃の姿に戻っている(死ぬと誰でも20歳の頃の姿に戻るってか?)ヒロインと再会して終わるのだが、全く頭からしっぽまでアメリカ映画としては例外的に甘ったるい作品であった。・・・


17.ロケッティア/ジョー・ジョンストン;1991年アメリカ映画(’92.5.3)

 軽いノリのレトロ調SFアクション映画で、何も考えなくともスラスラ進むローラー・コースター・ムービーの一本といったところ。しかしこの手の映画こそ実は手慣れた芸が必要とされる。観客が理解できずに考えこんだり、主人公が場違いな台詞を吐いて話の流れを妨げるのは許されないことなのだ。

 そうは言っても少々話が単純化されすぎた嫌いはあるが…。ティモシー・ダルトンはボンド役よりもこういう悪役のほうがハマッている。古き良き時代のハリウッドの二枚目スターで、その正体はナチのスパイという役柄はほとんど彼のためにあるようなものだ。まさに実写版宮崎アニメのような作品であった。・・・


18.ワイルド・アット・ハート/デビッド・リンチ;1990年アメリカ映画(’92.5.4)

 例によってリンチらしい変な映画である。主人公を演じるニコラス・ケージの間延びした妙な顔は本格的なアクション映画にはあわないが、この手の変な映画にはピッタリだ。ただ、主人公のキャラクターが、素手でナイフを持った男をたたき殺すほどモーレツな、文字どおりワイルド・アット・ハートな奴の筈なのだが、その手のバイオレンス・シーンは巻頭以外ほとんど無く(銀行襲撃シーンの主役はウイレム・デフォーで、ニコラス・ケージは弾丸のつまっていないS&Wを手にうろうろするばかりであった)いまいちキャラクターが掴めなかった。

 リンチのほかの映画の例に漏れず、本筋とは関係の無い場面(たとえば交通事故現場でのエピソードとか)が印象に残った。それにしてもどうしてアメリカの映画監督って奴はそろいもそろって「オズの魔法使い」のパロディをしたがるのだろう。ヒロインがモーテルで靴のかかとをならすシーンで「ケンタッキー・フライド・ムービー」を想起したのは僕だけではあるまい。・・・


19.けんかえれじい/鈴木 清順;1966年劇場公開作品(’92.5.7)

 もっと古いような印象があるが、製作年度は1966年で、すでに日本映画の斜陽が始まった後、ゴジラが人間の味方になった後の映画なのである。

 高橋英樹のトボケた味や、川津裕介や加藤武ら脇を固める助演陣の好演もあって、なかなか楽しい青春娯楽作品になっている。主人公のキロクは岡山でも会津でもケンカづけの毎日で、彼のケンカは争いというより一種のスポーツのノリなので恨みをあとに残したりすることが無く、あっさりとしている。想いを寄せる下宿屋の娘とわかれた後、一度だけ顔をあわせたことのある北一揮が2.26事件をおこしたことを知って、もっと大きなケンカを求めて東京へ旅立つというエンディングであるが、この辺の展開はやや唐突でいくぶん説得力に欠ける。

 そのあたりに深く突っ込むと作品自体の持ち味が変わってしまうことを恐れたのかもしれないが、完成度という点から見れば、もう少し長くなってももっと丁寧な描写をして欲しかった。・・・


20.乱/黒澤 明;1985年劇場公開作品(’92.5.28)

 話は判りやすいというか、他愛ない単純なものであるが、見物は美術である。太郎、次郎、三郎の衣裳を黄、赤、青と分け、それぞれの旗印もそれと同色にするなど視覚的にも考えられている。構図も大画面を意識してかほとんどロングで、クローズアップなどは皆無に等しい。

 あまりロングばかりで宮崎美子などかろうじて声で判別できるほどだ。もう少しダイナミックな構図をとれなかったものか。音響も85年の作品としてはオソマツで、銃声などに日本映画の限界を感じさせられる。合戦シーンもせっかくあれだけの頭数の馬をそろえたのに、大乱戦に至らなかったのは残念だ。・・・


21.ホット・ショット/ジム・エイブラハムズ;1991年アメリカ映画(’92.6.3)

 この映画のためだけに何機ものホーカーシドレー・ナットをチャーターし、豪快に飛ばしまくっている。たかがコメディ映画のためにこれだけのことをやってしまうのがアメリカ映画の凄いところだ。

 コメディとしての質は「フライング・ハイ」シリーズと同様で日本人にはややピンとこないところもあるが(とくにゴロあわせとか)全体が「トップ・ガン」のパロディで、そのなかに過去の名画のパロディが重層的にちりばめられているという、「みなさんのおかげです」風の演出のためかけっこうウケたらしい。個人的にはもう少し型破りなギャグがあったほうがよかったと思うが。・・・


22.展覧会の絵
23.ある街角の物語/手塚 治虫(’92.6.18)

 手塚治虫氏が虫プロを設立して最初に作った短編と、二作目の作品だが、正直いってそれほど感動したというほどのことはなかった。「ある街角の物語」は昭和37年製作なので、当時小4だった僕が見ていればそれなりの感動があったのかもしれないが。「展覧会の絵」はそれから4年後の作品で、一作目ほどの気負いはなくなったが、その分手抜きというか、時間が不足していたのか色指定のミスなどが目立つ。

 センスも当時としては新しかったのだろうが、今見ると無残に古びてしまっている。どちらの作品にも一見して反戦テーマが見てとれるが、いずれも底の浅さが少々気になってしまった。・・・


24.ジョーズ/スティーブン・スピルバーグ;1975年アメリカ映画(’92.6.20)

 最初に映画館で観たとき、いろんなシーンで「テレビで放映するときにはたぶんこっちが切れちゃうな」などと思っていたことを思い出す。それほどこの作品はシネマスコープの画角を生かした絵作りをしていたのだ。

 特に後半のオルカ号の場面での海の広がりはシネマスコープならではだ。一般にはパニック映画の代表作として見られる本篇だが、いわゆるパニック映画らしいのは前半のアミティ海水浴場のシーンくらいのもので、どちらかといえば海洋アドベンチャー・ロマンといった趣のほうが強い。ずっと未来、スピルバーグという監督を論じるとしたら、E.T.もレイダースも差し置いて代表作に上げられるだろう。名作である。・・・


25.ニューシネマ・パラダイス(完全版)/ジュゼッペ・トルナトーレ;1988年フランス・イタリア合作映画(’92.6.28)

 一年半ほど前に二時間バージョンを見ているのだが、これはそのノーカット版で何と一時間近くも長い。長くなっているのは主に中年になって故郷シチリアに帰ったトトのその後を描いたパートで、かつて別れたままになっていた恋人エレナとの再会がメインになっている。

 それにともなって尻切れとんぼになってしまっていたエレナとの別れのシークエンスもオリジナルな形に戻されており、描写もぐっと丁寧になった。しかしこれが良かったのかどうか、ちょっと考えてしまうのだ。

 たしかにエレナに関する限り謎だった部分が明らかにされ、それはそれで十分に面白いのだが(同じ女優がエレナの娘を演じていて、それを見かけたトトがショックを受ける場面はどうしても「鋼鉄の残照」を思い浮かべて冷や汗モノであった)そのこととラストのキスシーンを編修したフィルムを見るクライマックスがいくぶん相殺しあってしまっている感じをうけたのだ。

 もっとも、そう思うのは僕が先に二時間バージョンを見て結末を知っていたからかもしれないが。・・・


26.グレイストーク 類人猿の王者ターザンの伝説/ヒュー・ハドソン;1984年イギリス映画(’92.6.28)

 かなり異色なターザン映画である。だいたい本篇中に一度も「ターザン」という単語が登場しない。主演のクリストファー・ランバートは本篇が英語圏の映画としてはデビュー作だが、そうとは思えないほど存在感のある演技を見せてくれる。

 原作を読んでいないのでよくは知らないが、一作目の「類猿人ターザン」を忠実に映画化しているのだそうだ。ストーリィは一言でいえば渋い!まさしくあのボー・デレク主演のハリウッド映画とは180度正反対の映画といっていい。

 やはり特筆すべきはリック・ベイカーの手になるチンパンジーたちの特殊メイクであろう。とにかく実によくできている上に、なかに入っている人が人間とは思えない運動能力を示してくれる。知らないで見ているとよく訓練された本物のチンパンジーが演じているとしか思えない。

 製作年度は1983年で、「エメラルド・フォレスト」より二年早いがストーリィ、テーマとも実によく似通っていて、まるで姉妹篇のような観さえある。いくぶん渋すぎるので大感動という訳にはいかなかったが、ターザンという題材を使ってこういう映画を作れるとは思わなかったので、そういう点では感動した。・・・


27.ゴジラVSキングギドラ/大森 一樹;1991年劇場公開作品

 前作「ゴジラVSビオランテ」がかなり情けない出来だったので、あまり期待しないで見たのだが、少なくともアレよりは多少マシな映画に仕上がっていて安心した。といっても、アメリカ映画の水準にはまだぜんぜん達していないが(特に脚本が)。

 たとえば未来人のテログループ内で日系のヒロインは裏切りの可能性ありとして見張られていたはずなのに、強力な武器となるアンドロイド戦士のプログラムをやすやすと変更して味方に付けてしまったり、そのプログラムが現代と同様のCD-ROMだったりして(200年も未来の人間から見たらCD-ROMなんて現代人の目に映るSP盤よりさらにアナクロだと思うのだが)SFとしての基本的センスに欠けているのだ。

 センスに欠けるといえば、後にキングギドラへと合体変身する未来のペット生命体の造形もかなり情けないものであった。もちろんグレムリンのギズモがイメージソースなのだろうが、とても一目見て「カワイイ!」といえるようなシロモノではなかった。

 キングギドラそのものの操演はかつてのものに比べて遜色はないが、何故か声がラドンのものと入れ替わっていて変だった。キングギドラといえばやはりあのエレクトーン声でキマリだと思うのだが。どういう訳か飛行中のキングギドラの影が地上に映ると異様に小さくなるのも気になった。太陽光の下では実物とそれが作る影とは同じ大きさの筈だ。

 気になるといえばタイムパラドックスについて全く触れられていないのも引っかかった。ゴジラをその誕生の時点から存在していなかったものとしてしまったら、これまでのあいだゴジラに殺された人々や、壊されたビルはどうなってしまうのだろう。それらの破壊を全部キングギドラが肩代わりしたと考えるには、両者の怪獣としての性能がちがいすぎるし、だいたい「三大怪獣の決戦」や「怪獣大戦争」の設定が不可能になってしまう。・・・


28.つぐみ/市川 準;1990年劇場公開作品(’92.8.18)

 牧瀬里穂主演で映画が作られたのを知った上で原作を読んだからかもしれないが、小説のなかで描写されているつぐみの背格好や顔だちなど、他に考えられないほどピッタリはまっている。中嶋朋子のまりあや白島靖代の姉も悪くはなかったが、真田広之は大ミスキャストで、せっかく彼をキャスティングしたのなら原作でもちょっぴりあった暴力シーンを派手に見せればいいものを、正体不明のキャラクターに変えられ、原作より遥かに凶悪さを増した不良たちにやられっぱなしで実に情けない。

 つぐみが命がけで作った落とし穴も結局役にはたたないし、原作の持っていた一種の軽さをスポイルしてしまっている。原作では旅館を閉める最後の夏という設定に大きな意味があったのに、それもぬけ落ちてしまっていて、つまらん映画になってしまっていた。・・・


29.グラン・プリ/ジョン・フランケンハイマー;1966年アメリカ映画(’92.8.23)

 当時から現在に至るまで最高最大のレース映画であることは間違いない。本物のF−1マシンを何台も買い上げ、グランプリ・レースを丸ごと再現してしまうスケールのでかさは、さまざまなスポンサーシップの絡む現代F−1ではとても不可能なだけに空前絶後であろう。

 ジェームス・ガーナーやイブ・モンタンを始めとするメインキャラクターの織り成す人間ドラマははっきりいって陳腐であり、いくぶん蛇足めいた感じはあるものの、レースシーンの素晴しさをもりたてるためには必要不可欠だと割り切れば気にはならない。

 とにかくこの映画の価値は一にも二にもレースシーンのリアリティに尽きる。さまざまな位置にマウントされた車載カメラは現代のF−1中継もマッサオな臨場感で、特にイタリアGPでは首は振るわマウント角度は変えるわ、どういう仕掛けになっているのか考えこんでしまいそうだ。俳優が乗って運転しているシーンでは、当然レーススピードより遥かに遅いスピードで走っているのだろうが、撮影がうまいのかほとんどスピードの差を感じさせない。こういう部分は多くの映画ではクロマキー処理やコマ落としでお茶を濁してしまうものだが、その点でもこの映画は際立っている。

 それにしても不思議なのは、この映画、純然たるアメリカ映画にもかかわらず、F−1というヨーロッパ文化の最たるものを扱っており、わずかに出てくるアメリカGPはパスポートのスタンプと優賞カップだけで表現されてしまって実景はワンカットも出てこないのだ。まあ最終的にはジェームス・ガーナー演じるアメリカ人ドライバーがワールドチャンピオンになるからいいのかもしれないが。・・・


30.エクスカリバー/ジョン・ブアマン;1981年アメリカ映画(’92.8.29)

 欧米人にとっては義経伝説や忠臣蔵にも相当する有名な物語であるから、本篇のほかにも「キャメロット」「アーサー王と円卓の騎士」「アーサー王物語」などなどアーサー王を主人公にした映画は多いが、やはりブアマンが撮っただけのことはあって、それらとは一味も二味も違う映画になっている。

 特筆すべきはやはりその映像感覚で、アーサーとグネヴィアの結婚式のシーンや、ランスロットの登場シーンなど、どことなく地球上ではない別の惑星の出来事のようだ。聖剣エクスカリバーにしても、常にブルーやグリーンのサイドライトを当てて、どこかこの世のものではない雰囲気を醸し出すことに成功している。

 何故か今回のディスクはワーナーのものには珍しくクローズド・キャプションが付いていないが、英国を舞台にした時代劇であるせいか、登場人物全員がきれいなクイーンズ・イングリッシュをしゃべるため、非常に聞き取りやすかった。英語の勉強にはもってこいの映画かもしれない。・・・


31.哀しみのベラドンナ/山本 映一;1973年劇場公開作品(’92.9.4) 

 深井國の原画によるキャラクターは今見ても素晴しいし、静止画を多用した特異な作風も古びてはいない。

 無残にも古びてしまったのは主題曲を含む音楽である。佐藤允彦による音楽は当時はナウかったのかもしれないが、今聞くとまさに超レトロ、ポップス歌謡の世界である。メロディも昔のグループサウンズの曲のように稚拙で、絵の格調とミスマッチしてしまっている。こういう内容の映画だからこそもっとしっとりとした、聞き応えのある音楽を付けて欲しかった。・・・


32.レイダース・失われたアーク/スティーブン・スピルバーグ;1981年アメリカ映画(’92.9.9)

 やっぱりインディ・ジョーンズもののなかではこれが一番面白い。敵役もヒロインも、もちろん主人公のインディもキャラクターがちゃんとたっていて十分に魅力的だし、多分にオカルティックなストーリィ展開も脳天気な作品のムードとよくバランスしている。

 今回観て初めて気付いたのだが、マリオンの酒場の銃撃シーンで、実はインディはブローニング・ハイパワーを撃っていたのだ。このシーンは公開時、6連発のインディのリボルバーから10発以上もタマが出てヘン!とかいわれていたのだが、ハイパワーならワンマガジン13発撃てるからタマ数だけを見れば不自然ではない。しかし、ほんの数秒前まではたしかにインディはリボルバーを構えていたのに、いつの間にハイパワーに変わったのだろう。・・・


33.千夜一夜物語/山本 映一;1969年劇場公開作品(’92.9.11)

 虫プロの劇場用アニメ第一作なのだが、当時の金で一億円以上という大金をかけた上に、初の大人向きアニメ大作という気負いのせいか、なかなか見応えのある作品に仕上がっている。

 もっとも興業的には大ヒットという訳にはいかず、虫プロ倒産の一因となってしまった訳だが、日本アニメ史に燦然と輝く作品であることに違いはない。富田勳の音楽はオリジナルのGS風の曲と、リムスキー・コルサコフの「シエラザード」とをうまく使い分け、悲惨な出来に終わった「ベラドンナ」とは好対照の見事な出来を示している。やはり作曲家の格の違いといえるだろう。多少残念なのは、セルの反射や傷が比較的目に付くことと、サウンドトラックの音質が悪いことである。・・・


34.伝説の男たち(’92.9.27)

 フジテレビが国際スポーツフェアで上映するために製作した作品だが、仮設とはいえ一応劇場で上映するためにフィルムで撮られていて、ビデオ映像とは一味違う良さが感じられる。単にフレームの違いかもしれないが、構図のとり方ひとつとってもずいぶんテレビで見るF−1中継とは違う気がする。

 レース・ドキュメンタリーとしてはなかなかリキの入った作品だが、上映時間20数分というのはいささか短すぎた。この調子で92年度のレース全部を追っかけてくれたらかなりスゴいドキュメントが出来たかもしれないが、テレビ局にそれを期待するのはムリというものだろう。・・・


35.クレオパトラ/山本 映一、手塚 治虫;1970年劇場公開作品(’92.9.29)

 膨大な製作費をかけて作られた虫プロの劇場用アニメ−アニメラマの二作目で、前作「千夜一夜物語」に続いてまたまた大赤字を計上して虫プロの倒産を決定づけてしまった因縁の作品でもある。

 手塚氏はもともと自らの作品のなかでもスターシステムをとる人だから、ヒロイン・クレオパトラのキャラクターデザインを他人(小島功)に任せることもさほど抵抗はなかったのかもしれないが、見る側からするとやはりキャラクターの統一性がないのは気にかかる。

 お話は前作に比べるとやや凡庸で、あまり空想の翼を広げるといった趣はない。プロローグとエピローグにチラリと出てくる未来人の場面もあまり効いているとは思えず、ほとんど蛇足といっていい。どうせならクレオパトラの整形も彼らがやったことにすればSFとしての重みも出てきたのだろうが。・・・


36.エイリアン/リドリー・スコット;1979年アメリカ映画(’92.10.19)

 CAV特別版なのでエイリアン2みたいにカットされていた幻のシーンが復元された完全版になっているのかと思ったら、本篇は劇場公開版のレターボックス版で、これといって目新らしいシーンはなかった。

 カットされた主なシーンはオマケのディスクの第6面に集められており、うわさにだけは聞いていた繭にされかかったダラス船長のシーンもそのなかにあった。オマケのインタビューのなかにそのカットにふれた部分があったが、映画のテンポに主眼をおいてカットしてしまったらしい。

 しかしこのシーンがあるのとないのとではエイリアンの生態に関する解釈が変わってくると思うのだが…。それと、アッシュと対決するリプリーが殴られる前から鼻血をだしていたのも気になった。どうもスコットという人は「ブレード・ランナー」のレプリカントの人数にしろ、「誰かに見られてる」の新聞にしろ、ポカミスの多い人らしい。・・・


37.バリー・リンドン/スタンリー・キューブリック;1975年アメリカ映画(’92.10.20)

 キューブリックの作品としては多分「時計仕掛けのオレンジ」と「シャイニング」の中間に位置するものだと思うが、そのいずれとも違うスタイルの作品となった。

 映像的にはろうそく一本で映る明るいレンズを開発したりして、キューブリックらしい凝り方をしているが、物語りそのものは田舎者のレドモンド・バリーが数奇な運命をたどった後、リンドン卿の未亡人と結婚してバリー・リンドンを名乗り、後に没落するまでの一代記で、いくぶん喜劇調の第一部と対照的に悲劇的な第二部から成っている、彼としてはかなり判りやすいTV小説的なものであった。おそらく、ごく初期の「スパルタカス」などを除けばキューブリックの全作品中もっとも実験的要素の少ない作品であろう。

 しかし、ところどころに出てくる英国やヨーロッパの田舎の風景は昔の風景画のように美しく、これらの映像が残せただけでもこの作品が作られた意義はあったと言うべきだろう。・・・


38.シンデレラ/クライド・ジェロミニ他;1950年アメリカ映画(’92.10.26)

 なによりまず驚くのはフィルムの保存状態のよさである。映像にはほとんど傷ひとつなく、色彩もまるで新作のように美しい。とても1949年の作品とは思えないほどだ。それに加えてドルビー・ステレオの音声が英語、日本語の両方で入っており、(デジタル音声/アナログ音声でいずれかを選択できる)英語版を選んだ時のためにLD−Gとクローズド・キャプションの信号まで入っているという念の入りようである。ここまで至れり尽せりのディスクは初めてだ。

 で、内容だが、いかにもディズニーのファミリー・クラシックらしい作りで、単純なストーリィを猫やネズミのコメディ・リリーフでうまくつないで見せてくれる。主人公シンデレラの動きはほとんどロトスコープなので、リアルではあるが、アニメッぽい省略やデフォルメに欠けていて少々味気ない。その後ディズニーはこの技術をあまり使わなくなったことからみても、出来映えにはやや不満があったのだろう。演出面ではさして新味のあることをしているわけではない。

 この物語り最大の謎、何故シンデレラの残して行ったガラスの靴だけ魔法が解けなかったかについても明確に答えてはいないが、もう片方のシンデレラがはいて行ったほうの靴もガラスのままであったという新解釈をすることによって、物語に整合性を持たせることには成功している。また、シンデレラの家に来た王の家来が過って持ってきたガラスの靴を割ってしまい、もう片方のガラスの靴をシンデレラ自らが取り出して履くと言うのも新趣向である。よく考えればその靴は偽物の可能性もあるのだが。・・・


39.ファイナル・アプローチ/エリック・スティーブン・スタール;1991年アメリカ映画(’92.11.24)

 一言でいえばヘンな映画である。特に難解というほどのこともなく、どちらかといえば判りやすい部類に属する作品ではあるが、前半妙にとっつきづらい感じがするのはやはり2001年を意識したとしか思えない診察室のインテリアのせいもあるかもしれない。

 空撮も映画のストーリィもジャケットに書かれているような「かつて描かれたことのない」ほど凄いものではなかったが、SR−71の飛行シーンはなかなかよく撮れていた。もっともこれが本篇のために撮られたのか、あるいはロッキードがPR用に撮ったフィルムを転用したのかは判らない。

 傑作というよりはやはり凡作のたぐいに入ってしまう作品ではあるが、「ヒル・ストリート・ブルース」のハンター警部補ジェームス・B・シキングの主演作である点は買ってもいいだろう。・・・


40.青ひげ公の城/ミクロシュ・ツィネター(’92.11.28)

 その昔NHK教育テレビで見て、ずっと欲しかったソフトだったのだが、今見直してみると画質はさほどよくないし、セットも思っていたよりチャチだったし、一体どこに魅力を感じてしまったのか判らない。

 主演、というか、ソリストの二人はよくやっているとは思うけど、もとから難解な話だったせいか意味もよく判らないし、多分今見たら欲しいと思うことなどなかっただろう。ほんの数年のうちに自分の好みが変わってしまうことなんて考えられなかったけれど、こういうことって本当にあるんだなあ。・・・


41.水の中のナイフ/ロマン・ポランスキー;1962年ポーランド映画(’92.12.19)

 考えてみるとポランスキーの映画は本篇を含めても三本しか観ていないのだが、いずれもなかなか強い印象を残す映画だったと思う。

 さて本篇だが、いかにもヨーロッパ映画という香りはするものの、東欧の作品特有のプロパガンダ性は全くなく、この辺が当局に嫌われて、二作目以降を西側で撮るようになった原因かもしれない。物語りはドラマを形成する最小の人数、三人だけで展開し、舞台もほとんど湖上のヨットの上と、かなり実験的な作品なのだが、それでもちゃんと「見られる」作品になっているあたり、すでに巨匠の片鱗をのぞかせている。特に構図のとり方は今見てもなかなかのもので、こちらの仕事の参考に出来そうなくらいだ。・・・


42.紅の豚/宮崎 駿;1992年劇場公開作品(’92.12.20)

 飛行シーンに関しては日本アニメ史上最高の出来であろうことはいうまでもない。飛行機の機動というものをよく知る人でなければ出せない動きを見せてくれる。唯一のミスと思えるところはポルコ・ロッソの飛行艇がエルロン・ロールをうつシーンで機軸を軸に回転してしまうことくらい。(レシプロ機はトルクがあるのであんな風にロールはうてない)しかし肝心の映画としての出来となると、やや疑問を感じてしまうところが宮崎アニメとしては多いのが残念だ。

 一言でいえば優しすぎるのだ。この物語には悪役が存在しない。予告などでは冷酷非情の敵役と思えたカーチスも、単なるホレッぽいキザなだけの男で、主人公ポルコのライバルではあれ敵ではない。ファシスト空軍も背景以上の存在ではなく、話を締めるほどの役割を担っているわけではない。

 まあ、日航機の機内で見せる映画にバタバタと墜落シーンがあったりしてはマズいという判断があったのかもしれないが。しかしおかげでサビ抜きの寿司みたいな軟弱なストーリィになってしまった。

 なぜマルコが豚になってしまったのかということも結局よく判らなかった。ときどき魔力が薄れるのか、人間の顔に戻ってしまっているらしいシーンがあるのだが、肝心の人間の頃の顔が第一次大戦時代の回想シーンで飛行機の墓場(この辺フォーサイスだかリチャード・バックだかの短編のパクリに違いない)を見る場面で堂々と画面に出てしまっているのも興ざめだ。

 あのシーンでは絶対顔を見せるべきではなかったと思う。総じて仲のよい友達同士でつるんで遊んでいるみたいな感じの映画で、かなり悲壮感に欠けるものになってしまっているのが最大の欠点だと思う。もうちょっと締まったストーリィ展開をしてくれていたら最高の宮崎アニメになっていたような気がするのだが。・・・


43.007オクトパシー/ジョン・グレン;1983年イギリス映画(’92.12.20)

 シリーズ中一二を争う駄作といわれていたが、実際に観るとやはりそのとおり、かなり無茶苦茶な映画であった。ストーリィ展開は場当たり的で偶然に頼る傾向が強く、ただ単に見せ場をつないでいるだけに見える。その見せ場も以前の作品でみたような物が多く、新鮮味に欠ける。いくらストレス解消のための映画とはいえ、シナリオがいい加減ではあまり楽しめないという見本のような映画である。・・・


44.ガープの世界/ジョージ・ロイ・ヒル;1982年アメリカ映画(’92.12.21)

 石川サブロウちゃんと伊代ちゃんのオススメ映画。原作を未読なのでどの程度忠実な映画化なのか判らないが、映画化不可能などと言われていたわりには結構普通の映画に仕上がっている。

 学生時代を演じたロビン・ウィリアムズはとても10代には見えず(当時すでに30歳を越えていた)かなり無理があったが、後に妻となるコーチの娘を演じたメアリー・ベス・ハートは10代から40歳近くまでを実に見事に演じきっていた。

 物語は淡々と年代記風にガープの人生を描いており、生い立ちが奇妙な割りにはそれほど変わったところのない人生を、適度なテンポで見せてくれる。奇妙という点ではガープ本人よりもグレン・クロース演じるその母のほうがよほどそう呼ぶのがふさわしい人生を送るのだが、彼女が命を落すことになる演説会場に向かうときに乗るヘリコプターがベル222なのはちょっと興ざめだ。

 ガープの年齢から考えてもこの時期は70年代中ごろの筈で、80年代になって普及したベル222に乗るのはちょっと無理があるのだ。無難なジェット・レンジャーあたりにしておけば別になにも問題はなかったのだが。・・・


45.007消されたライセンス/ジョン・グレン;1989年イギリス映画(’92.12.21)

 ティモシー・ダルトン主演のボンド映画としては二作目だが、アメリカでの興業成績がイマイチだったためか、これが最後の作品になりそうだ。

 監督は「ユア・アイズ・オンリー」以来のジョン・グレンだが、この人の作品はなぜか出来、不出来の波が激しく、「ユア・アイズ・オンリー」はそこそこの出来だったのに、続く「オクトパシー」は超駄作、「美しき獲物たち」まあまあ、「リビング・デイライツ」そこそこと、いわゆるジグザグ状態だったのだが、続く本篇も残念ながら大傑作とはならなかった。

 このシリーズではマクラのアクションシーンは常に本筋とは無関係だったのだが、今回初めてプロローグとしての意味を持たされている。この辺のアクションはなかなか凝っていて、新鮮味もあったのだが、ライセンスを取り消されて孤軍奮闘するはずだったのに途中からQも登場して結局いつもと同じ展開になってしまった。

 今までとちょっと違うのは、いつも足手まといになるだけだったボンドガールが今回はパートナーといっていい有能な存在として描かれていたことだが、そんな彼女もラストシーンでボンドが他の女とキスしているのをみただけで涙を浮かべたりして情けないったらない。どうせ強い女を描きたいのならそういう肝心な点をもっと徹底して欲しかったところだ。しかし物語の決着をフィリックスから贈られたライターで付けるところなど、脚本に関してはひと頃よりだいぶマシにはなってきている。・・・


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