昨年生まれた子猫たちが、原因不明の病気のためほぼ一掃されてしまったこの春から、早いものですでに半年以上が過ぎた。今年は昨年のような捨て猫ラッシュはなく、そのかわりに5月から6月にかけてはベビーラッシュで、6月末までの間に16頭もの子猫が生を受けた。このうち、生後まもなく死んでしまった数頭と、幸運にも来園客に保護してもらえた子猫たちを除く6頭が残り、公園の猫人口はいくらか増えたまま冬を迎えようとしていた。
しかし、悲劇は思わぬ方向からやって来た。秋口、2頭の野良猫が公園にふらりと現れた。2頭とも酷く痩せ、鼻水と目やにが目立ついかにも病気持ち、という感じだったが、大人猫たちは特に追いだすわけでもなく、彼らは公園に居着いてしまった。このうち症状の酷かったオス猫は誰かが公園の外に連れ出してしまったが、メス猫の方は残り、水飲み場グループのたむろする公園中央部に居座った。
今月(2009年11月)上旬、それまでの半年間、順調に成長してきた水飲み場グループの黒い子猫(↓写真中の黒猫)が突然姿を消した。付近を探していたところ、秋にやって来たくだんのメス猫の死骸を見つけてしまった。今月7日のことである。それからわずか五日前の2日には、水飲み場で元気に他の猫たちと餌を食べていたのに、信じられない思いだったが、それより心配なのは黒猫である。あちこち思い当たる場所を探してみたが、5日に見かけたのを最後に今に至るまで発見できていない。最後に見た時の状態は、元気なくうずくまったままで、今にして思えばレオが姿を消す直前とよく似ていたのだが、目やにや鼻水が特に目立っていなかったので、この時点では事の重大性に気付けなかった。
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黒猫の捜索をしていた9日、今度は同じ兄弟のシャム風模様の白猫(↑)がいきなり体調不良に陥った。前日の8日までは元気に餌を食べていたのだが、その日は朝から食欲がなく、じっとうずくまったままだった。目やにとよだれが見られたが、それほど酷いということもなく、何の病気なのかはよく判らなかったが、のら猫が死んだばかりであり、しかも黒猫も同じような症状を見せたあと姿を消しているので、非常に心配だった。
最悪の結果はそれからわずか四日後に出てしまった。ふだん水飲み場グループの猫たちがたむろするつつじの木の根本で、シャム風白はこときれていた。死骸はぐっしょり濡れていたので、雨が降った今月11日、つまり体調を崩してわずか二日後には死んでいたことになる。ほぼ同様な経過をたどった黒猫も、おそらくすでに死亡しているものと思われる。持病があったり、生後まもなくでひ弱だったりするならともかく、生まれて半年が過ぎ、ほぼ大人猫と同じ大きさにまで育った健康な猫を、わずか二日で殺してしまう伝染病とは一体何なのか・・・。
猫の世界で一番怖れられている伝染病は、猫汎白血球減少症、つまりパルボウイルス感染症である。感染力がきわめて強く、しかも致死率も90%以上と高い。抵抗力のない子猫だと、わずか一日で死に至る場合もあるという。伝染性の高さや致死率など、もっとも疑われるのがこのパルボウイルス感染症である。実は、レオのときにもこれを疑ったのだが、あの時には他の猫にはっきり判る感染が見られなかったので即断できなかった。結局その後、いっしょにいた子猫たちのすべてはこの世を去ったと思われるのだが(死骸はひとつも確認できなかった)今にして思えば彼らの一見してバラバラな症例は、そのままパルボウイルスが引き起こすさまざまな症状の典型だったのかもしれない。吐血したタビちゃんは腸炎を起こしていたのだろうし、肺炎を起こしたポン太は免疫力低下による発病の疑いがある。
その後ウイルスは、水飲み場から遠く離れた場所にも伝播してしまった。14日には300メートルも離れた展望台にいた子猫たちのうち、幼いほう(↓写真左と中の左側の子猫)に症状が出た。もう一頭の子猫(↓写真左の右側の猫)とはとても仲がよかったので、こちらにも感染してしまった可能性が高い。こちらの子猫はまだ初夏のころ母猫に育児放棄され、公園内を彷徨っていたのを見つけて以来面倒を見てきたので、もし発病してしまったらとても辛い。そして15日には、100メートルほど離れた水族館脇にたった一頭残っていた子猫(↓写真右)にも感染してしまった。症状はいずれも元気消失、食欲不振で、死んだり行方不明になってしまった子猫たちと同じである。パルボウイルスは空気感染することはないのだが、とても生命力が強くてアルコール消毒などでは死なず、半年から二年ほどにわたって感染力を維持し続け、また靴底などに付着して人為的に運ばれるために、思いがけないほど広範囲に汚染が広がる。そういうことは知識として知ってはいたので、水飲み場に出入りするときは靴底を塩素系漂白剤で拭いたりして注意していたのだが、やはりどこかに甘さがあったのかもしれない(展望台の子猫はその後元気を取り戻したので、パルボウイルスに感染していたのではなかったようだ。一方、水族館脇の子猫はその後姿を見せず、残念ながら生きている可能性は低いと思われる)
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パルボウイルスの猛威は凄まじいものだが、それでもすべての猫が死に絶えるわけではない。水飲み場で二頭の子猫たちがあいついで発症したとき、兄弟のようにいつもつるんでいた三毛猫(冒頭写真で仰向けになっている猫。左で覗き込んでいるのが死んでしまったシャム風白)だけは、現在に至るまで特に異常なくすごしている。三毛も他の二頭と同じころに生まれた、生後半年ほどの子猫である。シャム風白が元気だった8日まで、互いに体をなめあったりじゃれあったりしていたので、三毛だけが感染を免れたとは到底思えないのだが、最大潜伏期間とされる二週間が経過した現在も、はっきりした症状は出ていない。また、最初に死んだ野良猫以外、大人の猫たちにもいまのところ異常はない。
こうしたことを書くと、よく愛猫家やボランティアを自称される方から批判を浴びせられる。曰く、苦しんでいる子猫を見ながらどうして何もしないのか、淡々と事後報告をする神経がわからない等々、要するに感情的な批判である。もちろん僕だって、何もせずただ見ているだけなのは辛い。毎日せっせと餌をやり、ようやく大人猫並みの大きさにまで成長したところで、あっさり病魔に命を奪われることになにも感じない人間はいない。それでは、批判される方たちにこちらから逆に問おう、あなた方は何をしてあげられるのかと。
もちろん、お金さえあれば病気になった子猫に適切な治療を受けさせ、その子の命を救うことはできるかもしれない。また三種混合ワクチンを予防接種することにより、パルボウイルスを始めとするさまざまな恐いウイルスから子猫たちの身を守ることもできよう。しかし、その結果どういうことが起こるのかといえば、猫の人口爆発であることは明らかである。猫は年に2〜3回妊娠することができ、一度に5頭程度の子を生む。生まれた子猫はその1年後には子供を作れるので、もし生まれた子猫がすべて無事成長してしまったらどんなことになるのか、よほど想像力が乏しい人でない限り判りそうなものである。伝染病により命を落とすことのなくなった猫たちは等比級数的に増え、瞬く間に適切なキャパシティを超えてしまう。そうしたことの対策として愛猫家を自称する方たちが口にするのが、お定まりの去勢・避妊である。確かにそうすることにより、彼らのいう「不幸な子猫」はいなくなるかもしれない。しかし同時に、去勢・避妊された猫の血筋は絶えてしまうのである。以前にも書いたと思うが、去勢・避妊はその個体の未来を完全に奪うことを意味する。ある意味、猫たちにとってはパルボウイルス以上に恐ろしいことである。いくら強力なウイルスでも、生まれた子猫すべての命を奪うことはできないが、去勢・避妊された猫からは、一頭の命も生まれることがない。いかなるウイルスより確実な「断種」である。愛猫家の方々は、こうした手段で野良猫の数をコントロールできると考えているようだが、思い上がりも甚だしい。純然たる人為的現象に過ぎない経済恐慌ひとつ避けられない我々に、猫の頭数などという遥かに複雑な要因のからむ現象を自在に操作できると本気で信じているなら、実におめでたい方々である。
そもそも猫は野生動物ではなく家畜であるから、人間が適切に管理しなくてはいけない、という思想が彼らのバックボーンにあるようだが、その考え方からして正しくはない。確かに猫は家畜ではあるが、人間の飼いならした家畜の中で、おそらくもっとも野性の血を残しているのは彼らなのだ。猫が現在の姿に進化するのに要した時間は数千万年、いっぽう、猫が人間とともに暮らしたのはわずか5000年程度に過ぎない。しかも、その間のほとんどを彼らは品種改良などとは無縁にすごした。犬のようにさまざまな用途を期待された家畜と違い、猫に求められたのはただ一点、ネズミをとる能力だけだったからだ。実際、猫の原種とされるリビアヤマネコはイエネコと区別がつかないくらいよく似ており、人の手を離れた猫は「野猫」として完全に野性に戻ってしまうことが知られている。猫に管理が必要だとしたら、それは彼らが家畜だからではなく、野性の血を多分に残し、むしろ野生動物として生きていける力を持っているからなのである。
地方自治体なとでときおり、「野良猫に餌をやらないでください」などというキャンペーンを行うことがある。餌やりが野良猫の頭数を増やし、トラブルも増えるからというのがその理由であるが、そこには野良猫たちが存在することによるメリットがまったく考慮されていない。野良猫たちによって駆除されるドブネズミ、ハツカネズミなどの数は相当数にのぼるらしいのだが(猫を一頭放し飼いにすると、その家のほぼ100メートル四方のネズミの個体数が激減することが知られている)そういった数字は統計に出づらく、単純に「都会ではネズミは絶滅した」などと信じている人もいる始末(実際には目に付かないだけで、ネズミはむしろ増加傾向にある。都市の高層化などで猫の行けない場所での繁殖が可能になったためと考えられている)もし、野良猫への餌やりを完全に禁止してしまったら、多くの野良猫はその場所から締め出されたあげく、人間の周囲よりも獲物の多い野山に進出することになる。餌やりの行われている環境では猫たちの縄張りは互いに重複したり、完全に重なったりしているが、餌がそこに生息するネズミなどの獲物だけになった場合、すべての猫たちを養うことは不可能になるからだ。野山に進出した猫たちはやがてその環境に適応し、繁殖する。「野猫」つまり、野生化したイエネコの誕生である。野猫はブラックバスやカミツキガメ同様、日本生態学会により侵略的外来種に指定されている。奄美大島では天然記念物のアマミノクロウサギを捕食してしまう野猫が問題になっているが、そうした希少動物を捕食してしまうのと同時に、イリオモテヤマネコなどの在来種やイタチなど小型肉食哺乳類と競合し、駆逐してしまう可能性が高いからだ。
それを食い止める最良の手段はもちろん捕獲・駆除であるが、「動物の愛護及び管理に関する法律」とのかねあいもあり、実行するのは難しい。現実的には、野良猫を野猫にしないこと、つまり、彼らを人間の周囲に引き止めておくことくらいしか、我々に打つ手は残されていない気がする。それにいちばん有効なのは、やはり定期的な餌やりだろうと思うのだ。たとえ餌があっても猫は小動物を狩る本能を持っているものだが、少なくとも餌となる動物を求めて人間の元を去る可能性は減る。腹を減らしてでも新しい獲物を求めるより、獲物はなくても安定した食生活を求めるのが猫という動物である。であるからこそ、5000年前彼らは人間とともに暮らすことを選択したのだ。
野猫が問題になるのは、本土より圧倒的に島嶼が多い。絶えず新しい猫が侵入し、それとともに新しい疾病も入ってくる本土と違い、島嶼ではそうした新入りの流入が少ないため、幼猫時の死亡率が低く、その結果爆発的に増えてしまうと思われる。もし島嶼に、現在公園で猛威を振るっているウイルスが存在したら、野猫の被害はぐっと少なかったのではないだろうか。もちろん、僕は島嶼の猫たちの間にパルボウイルスをばらまけ、などといっているわけではない。ただ、そうした抑制が欠けた場合、自然それ自体のバランスも崩れてしまうのではないだろうか。
猫や犬がどうして家畜になれたのか、それにはいろいろな要素があるが、重要なものの一つに「増えやすい」ことが挙げられる。猫族としては、ほかにもたとえばインドやエジプトの王族がチーターを飼育していたことが知られている。猛獣として知られているチーターだが、人間を襲うことはほとんどなく、人によく馴れるのだそうだ。ではなぜ彼らが家畜として定着できなかったのか、その最大の理由が繁殖の難しさだったといわれている。その点、猫や犬は特別な配慮をしなくても、勝手にどんどん増えてくれる。猫は砂漠地帯、犬は寒冷な針葉樹林帯という、いずれも過酷な自然環境のもとで進化してきた動物であり、特に猫の場合は他に天敵となる大型捕食動物が存在したため、多くの子孫を残さなければ種族の維持が難しかった。家畜化した後も、繁殖力のような本質的部分がそう大きく変化することはなく、結果として、島嶼など狭い環境で食物連鎖の頂点に立つと、爆発的に増殖してしまうのである。
そうした無制限の繁殖を抑制する手段として、自然が用意したのがパルボウイルスなどの強力な病原体である、と僕は考えている。理論的に考えて、ある個体(メス)が生涯生む子供が最低2頭、大人になるまで(つまり子供を作れるまで)生き延びられれば、その種族は何とか維持できる(猫は基本的に一夫多妻なので、実際にはそれ以下でもいいのだが、1頭だけでは明らかに不足してしまう)それ以上の数は、いわば「保険」としての意味しかなく、もし生まれた子猫すべてが成獣まで生き延びてしまったら、爆発的な個体数の増加をもたらして餌となる小動物の相対的不足を招き、その結果として種族全体の維持を危うくする。こうしたいわば「余剰な」個体を整理して、種の適正な頭数を維持するのが「天敵」の役割である。事実上食物連鎖の頂点に立っているイエネコの場合、その数を調節するシステムとして、致死率の高い伝染病より有効なものはない。病気にかかって苦しむ子猫を見るのはとても辛いことだが、野性の状態ではごく当たり前のことである。多くの動物には、その動物だけを狙い撃ちにする致命的な病原体があり、その数をコントロールするメカニズムが存在するのである。つまり、生まれすぎた子猫が伝染病で命を失うのは、人間の目からどれほど「悲惨な現実」に見えようと、自然の理にかなった現象なのだ。
結局のところ、僕たちが猫と共存するベストな方法は、適度な餌やりで彼らとの関係を保ちつつ、ほかには特に何もせず見守ることしかないようだ。他のいかなる干渉も、突き詰めて考えるとあまりいい結果をもたらさないことは、以上の考察で明らかだろう。
とはいいながら、僕だってやはり人の子、パルボウイルスの天敵としての機能は認めるものの、やはり可愛がってきた子猫たちの命をみすみすくれてやるのは忍びない。いまはただ、これ以上子猫たちの命が奪われないよう、祈るのみである。('09.11.16 記)
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