以前僕は「マスゴミなどという天に唾するような妄言」という言い回しをした。もちろんその意味は、空を仰いで唾を吐けば、それは結局自分に降りかかるということだったのだが、どうもこれをして僕がマスコミを「至高の存在」とでも思っていると誤解している輩がいるようだ。まさに噴飯物の解釈だが、それはひとまず置いておくことにして、そもそもこの「マスゴミ」なる言葉の発祥はいかなるものだったのか、ちょっと調べてみた。
ネット上でもっとも手軽にこの手の言葉を調べるには、多少信頼性に問題はあるにしろ、やっぱりWikipediaを越えるものはない。ここでの「マスゴミ」の定義を要約すると「裏をとらずに官庁や企業・団体の発表を鵜呑みにし、報道する」「排他的な記者クラブを構成している」「サラ金・パチンコ業界から多額の広告収入を得て高給を手にしている」「意図的な偏向報道をおこなう」「被害者の人権を無視したり、捏造した事実を報道する」「大きなバックを持たない一般人には容赦なく、政治家、官僚、スポンサー、宗教、広告代理店、取次会社、大手芸能事務所所属の芸能人、スポーツ選手・団体の犯罪や不祥事を知りながら故意に報道しない」といった姿勢を「ゴミ同然」と揶揄する言葉、とされている。ひとつひとつを見て行けばなるほど、と頷けることばかりであり、この言葉が本来はリベラルな、マスコミの現状を憂える立場から発せられたことが窺える。要するに、本来はマスコミそのものを貶める目的で作られた造語ではなかったのだ。ただ、それにしては「ゴミ」という表現はあまりにシニカルかつニヒリズムの匂いが強すぎ、あたかもマスコミという存在を全否定しているかのような印象を与えてしまう。
僕のそうした危惧を実証するかのように、現在ではこの言葉はむしろ、マスコミの本質そのものを否定したいネトウヨ諸君に用いられることが多いようだ。たとえば、麻生総理が就任した当時、HPにアキバ系と呼ばれる若者たちからエールのカキコが殺到したが、そのなかには「マスゴミなんかに負けるな」などといったものも見受けられた。要するに、なにかにつけて政府批判を繰り広げるマスコミなどゴミである、ということである。ここに来て「マスゴミ」と言う言葉からは本来のポジティブな意味合いが消え、文字通りマスコミなど「ゴミ」同様の無価値な、唾棄すべき存在である、という認識にとって代わられつつあるらしい。いかなる理由があろうとも、ニヒリズムから生まれるものは虚無しかない、ということを「マスゴミ」の名付け親は知るべきであった。
そんなさなか、やはりわが国のマスコミは「マスゴミ」でしかないのか、と思い知らせてくれる事態がつい最近発生したので、ここではそれについて書こうと思う。
トヨタ自動車の奥田碩相談役は12日、首相官邸で開かれた政府の有識者会議「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、年金記録問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることについて、「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」とメディアへの不満をあらわにした。
奥田氏は同懇談会の座長を務めているが、会合の最後になって突然「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」と厚労省に関する報道への不満を切り出し、こうした番組などからのスポンサー離れが「現実に起こっている」と述べた。
懇談会メンバーの浅野史郎・前宮城県知事が「マスコミは批判するために存在している。事実に反することを言われたら、スポンサーを降りるというのは言い過ぎだ」ととりなしたが、奥田氏は「(マスコミの)編集権に経営者は介入できないといわれるが、本当はやり方がある」と収まらない様子だった。
懇談会後、奥田氏は記者団に対し「批判はいいが、毎日、朝から晩までやられたら国民だって洗脳されてしまう。改革はしなければいけないが、厚労省はたたかれすぎだ」と語った(産経ニュース2008年11月12日掲載)
この奥田氏という人物、昔からいろいろ問題発言の多い人だったのだが、それにしても今回の発言は酷い。要するに「(個人による)マスコミへの自主規制要求」そのもので、前回のネトウヨ氏の発言とまさに同質、この言葉を聞いた彼はおそらく「我が意を得たり」と拍手喝采だったろう。
しかし、もっと呆れたのはこの件について報道したマスコミ、特に電波メディアがほぼ皆無であった、という事実である。たしかに、現在の不況により各テレビ局の広告収入は激減しており、ここでもしトヨタに手を引かれでもしたら、経営は破綻してしまうかもしれない。そうしたいわば「背に腹は代えられない」事情は判らないでもないが、それにしても民放連の会長までが以下のような発言をするとなると、そもそも日本のマスコミに「魂」は本当にあるのか、いぶかしくなってしまう。
トヨタ自動車の奥田碩相談役が厚労省をめぐるテレビ報道を批判したことについて、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長は20日、定例会見で、「出演者の中には、感情にだけ訴える過激な発言もある。テレビの影響力を考えると、ある程度の節度が必要」と述べた。奥田相談役は12日の「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、年金問題など厚労省に関するテレビ報道について「朝から晩まで批判している。何か報復でもしてやろうか」と話していた(産経ニュース2008年11月20日掲載)
もう完全な飼い犬である。ここまで来ると、さすがの僕も「日本のマスコミなど所詮マスゴミ」と言い切る人たちの態度を批判するのは難しい。
そもそも、日本のマスコミは「系列化」という欧米先進国には例を見ないシステムにより、徹底的に管理されている。このシステムを完成させたのは田中角栄だが、彼が総理に就任した当時にはすでにほとんどの系列化が完成していて、残すは東京キー局と大阪準キー局の捩れ現象(東京放送=朝日放送とテレビ朝日=毎日放送)を各新聞の系列どおりにネット変更することのみであった。それ以前の作業は彼が郵政大臣当時から幹事長の時代にすでに済ませており、その過程で田中に首根っこを押さえられた各マスコミはとうとうその数々の悪行を報道することができず、最終的にそれを行って田中を失脚に追い込んだのが、大手マスコミとは何の関連もない独立系の出版社、文芸春秋と立花隆という興味の固まりのような人物であったのはご存じの通りである。
この「系列化」によって何が可能になったかといえば、いうまでもなくまず「資本」というカネの入り口から系列メディア全体を一元的に支配すること(それに目をつけたホリエモンがフジサンケイグループを買収しようとしたのは記憶に新しい)そして、電波の公共性を鑑みてという理由から許認可制となっている(つまり政府により生殺与奪権を握られている)放送事業を、系列化により活字メディアと結びつけることにより、そのオピニオンをも統一化することである。もはや活字メディアに勝手なことは言わせない、という当時の自民党政権の意志が感じられるシステムだ。だからこそ、それでも思い通りにならなかったいらだちが、佐藤栄作をして辞任会見の席で「偏向的新聞は大嫌いだ」などという発言をさせたのだろう。
しかし、佐藤栄作が辞任した30数年前に比べ、現在のマスコミ人は相当情けない存在にまで成り下がってしまっている、というのが(上の発言を見るかぎりは)現状のようだ。そこにはネトウヨ諸君が恐怖するような、権威に対する反骨精神を持ったジャーナリストなどどこを探しても見当たらない。少し前にマスコミ総出で大騒ぎした「小泉劇場」(ケインズの名前すら知らぬ杉村太蔵みたいな阿呆まで代議士サマにしてしまった^^;)の馬鹿らしさなど何をかいわんやだし、ネトウヨ諸君が突っ込みどころとしている現在の「政府批判」にしたところで、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」式の右へならえ(この場合は左か^^;)記事ばかり。ネトウヨ諸君の動機はどうあれ、少なくとも記事そのものの杜撰さ加減は確かに「マスゴミ」の烙印を押されても仕方のない品質のものが目立った。
面白いのは、上の奥田発言に対するネトウヨ諸君の反応である。日本最大のSNSであるミクシィにおける反応は、当初は圧倒的に反論が多かった。どちらかといえば右翼的意見の方が強いミクシィにあって、ちょっと意外な感じがしたのだが、時間の経過とともに肯定的な意見が多くなり、最終的にはGJGJ(グッジョブグッジョブ)ともてはやすものが圧倒的になる。反対意見とのタイムラグはほぼ一日。この時間差が物語るものは明白だろう。
最後に、ここで奥田発言の問題点と思われるものを整理しておこう。個人がマスコミ批判をすること自体には、以前にも書いた通り特に問題はない。奥田氏のような立場の人間が何かひとこというだけでもその影響力からみて問題だ、という意見もあろうが、いかにバックに日本最大の企業を抱えていようと、基本的に彼は私人であり、少なくとも個人的見解を述べる権利はあるだろう。しかし、その批判が批判を通り越して明白な「圧力」となれば、話は別である。「何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」という発言には、明らかに検閲につながる強権思想が見てとれる。こんなことが可能だとすれば、基本的に民間企業をスポンサーとする報道メディア自体が成立しない。それすら判っていないとすれば、この奥田という人物、民主主義というシステムそのものを理解していないか、よほどお嫌いなのであろう。かつてヘンリー・フォードがナチスに資金援助していたのは有名な話だが、もしかして自動車産業という業種自体、全体主義に親和性があるのだろうか?
ついでに言わせてもらえば、現在の社会不安の大きな要因はマスコミ主導の政府批判などよりも、かつて日本社会の長所であった年功序列と終身雇用を廃止し、かわりに非正規労働者を大量に生み出した「目先の利益に目がくらんだ」社会システムの改悪にこそある。そして、奥田氏こそがその旗振り役張本人である。おかげで企業は史上最大の収益を上げる一方、労働者の平均賃金は年々減少するという、懐かしの「窮乏化理論」までが復活してしまった。現在では小林多喜二作「蟹工船」を愛読する若者が急増しているという。古典的な市場原理主義が台頭すれば、必然的にマルクス主義的世界観も復活するということに、誰も気付かなかったとはマヌケな話としか言い様がない^^;
「第四の権力」(The Fourth Power)という言葉がある。第四とはつまり、「立法」「司法」「行政」に次ぐ四番目の存在という意味であり、それらの監視役としての意義を持つものである。それら国家機関がなにか失態を犯せば、当然ながら舌鋒鋭く批判し、そのベクトルは前回にもちょっとふれたように、おのずから野党の姿勢と似たものになる。アメリカのように国家の成立以前からマスコミが存在していた国では特にその傾向が顕著だ。だから、もし国家権力がなにか無謀な行動を起こそうと思ったら、まずマスコミの牙を抜くことを考える。たとえばナチスではゲッベルスがその手腕を発揮してマスコミを党の宣伝機関に作り替えてしまったし、年中行事のようにクーデター騒ぎの起こるアジア某国では、そのたびに放送局が襲われ、ニュースの内容もコロコロ変わる。そして卑近な例では、プーチン院政下のロシアで頻発したジャーナリスト暗殺事件が挙げられる。要するに、権力を持つものがマスコミに何らかの操作を加えようとするとき、その国は「危ない」のである。
幸いにして日本政府それ自体がそうした動きを見せることはまだないが、前述のように財界にはその萌芽ともとれる傾向が広まりつつあり、市井レベルではネトウヨ諸君の活躍により、もはやマスコミ「批判」は流行から常識へと定着しているようだ。なかにはバブル崩壊から昨今の金融混乱まで、すべてマスコミの責任に帰そうとする輩まで登場する始末。要するに「きちんと情報を統制しないからこんなことになる」と彼らは言いたいようだ。実際には前述のように、日本のマスコミほど権力側に「手なずけられた」存在は、少なくとも先進国には例がないのだが、どうもネトウヨ諸君、誰か頭のいいやつがでっち上げた「大きな権力を得て肥大したマスコミ」という、現実とはほど遠いイメージを頭から信じ込んでいるらしい。こうした単純な連中を扇動するには、いかにも反政府的に見える表面的な文脈を繋ぎあわせて「だから日本のマスコミはサヨクだ」という結論を接ぎ木するだけで十分なのだろう。それに加えて「現在の肥大したマスコミはそれ自身を監視する監視者が必要だ」という独善的なテーゼを生みだし、その地位に自らを置こうとする。この先導者の目的はただひとつ、マスコミの政府監視機能をスポイルし、60年代フランスの左派系評論家セルバン・シュレベールの言う「第四の存在」(The Fourth Estate)つまり、マスメディアを立法、司法、行政と肩を並べる権力の主要な道具に貶めたい、ということに尽きる。
言うまでもないことだが、現在のマスコミが神のように全能で、すべての人に対して公平である、などと主張するつもりはない。いわゆる「系列化」や奥田発言への対応に見られるようなスポンサーとの主従関係など、その公平性に対する疑惑には枚挙にいとまがないし、文革当時日本のマスコミで唯一中国支局を持っていた朝日新聞が、極端な文革礼賛の論陣を敷いていた例もある。その規模の巨大さに比例して、巨視的な視野でものを見、すべてを的確に判断しているとは言い難いのが実情である。われわれは彼らが与えてくれる玉石混交の情報群から正しいもの、正しくないものを見極める能力を求められているのだ。しかしながら、それを難しくしているのが以前にもふれた「横並び」現象である。ある題材に対し、局によりその評価が異なる、といった現象がかつてはよく見られたものだが、現在はほとんど差を見つけることができない。一種の「情報民主(多数決)主義」が成立しているかのようである。もちろん、常にそれが正しければ問題はないのだが、世の中にはそれが善か悪かにわかには判断できない事象も多く、全マスコミが足並みをそろえて間違えることだってあり得る。そうした場合、確かに「肥大したマスコミそれ自体を監視する」何ものかが必要だ、というテーゼ自体は無意味ではなかろう。しかし、それが具体的に何を意味することになるのかについては、十分すぎるほどの吟味が必要だろう。政府やそれに付随する組織では、マスコミの権力への監視者としての機能を著しく減衰させるので不適当だし、ネトウヨに代表される「市民」も、その立脚するイデオロギーにより判断が極端に分れそうなので、やはり機能を果たせそうにない。結局のところ、マスコミの監視はマスコミ自身による自浄作用に期待するしかないのかもしれない。現時点では、その効果もきわめて怪しいのだが、残念ながら僕の頭脳では、より公平なシステムを思い浮かべることができないm(_ _)m
なによりマスコミは現時点で全国民に告知を行う手段として、唯一無二といっていい重要性を担っている。ネット発信の情報はその信憑性や責任の所在など、不確実性が多すぎてとてもマスコミを置換することはできないから、この先もマスコミの価値が下ることはないだろう。だからこそ、権力や左右両派のイデオロギーに汚染されない公平な価値観が必要なのだが・・・。
ある世論調査機関が今年(2008年)10月に行った調査によると、国民の三割強がマスコミに対して「ほとんど信頼できない」もしくは「あまり信頼できない」と考えていることがわかった。この数字は、官僚(63.4%)や国会議員(56.3%)よりはだいぶマシなものの、国民の約1/3がマスコミに対して不信感を抱いている、というのはやはり問題だろう。その原因のほとんどはおそらく本来の意味での「マスゴミ」的要因だろうと思うが、そこにどれくらいネトウヨ諸君の「思想」が浸透してきているのか、ちょっと気になるところではある・・・(2008.11.26 記)
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