シリーズ・散歩道のふしぎ(3)

絶滅危惧種 I 類


 ミドリシジミたちをとうとう見かけなくなってしまった七月末、沼辺の散歩道をトンボの写真など撮りながら歩いていた僕は、見慣れない奇妙なイトトンボをみつけ、その写真を撮った。家に帰ってからパソコンで撮った写真を開いてみたら、二枚撮影したうちの一枚は見事にピンボケだったものの、もう一枚はなんとか見られる出来に撮れていた。それが↓の写真である。拡大しているので大きく見えるが、実際には全長4センチ程度の細身のトンボであった。

 問題は、手持ちの本を探しても、またネット上のトンボ関係の同定サイトに当たってみても、これがなんなのか判らないことだった。蝶に関してはそこそこ経験もあり、たいていの種類は飛んでいる姿だけでも判別できるのだが(もちろん、ゼフィルス類やヒョウモンチョウなど互いにそっくりな物は別である)トンボ、特にイトトンボにはこれまでほとんど関心もなく、知っているものといえば黄色い「キイトトンボ」くらいのものだったので、思い切って某画像掲示板にアップして尋ねてみた。

 帰ってきた答は、僕の予想していなかったものだが、ネット上にあったいくつかの回答とされた種の写真を見ると、それもどこか違うような気がする。

 そんなとき、たまたま僕の住んでいる市が発行した環境整備白書のPDF版のなかに、この沼近辺の自然について報告したページ をみつけたので開いてみたところ、鳥や魚に次いで「水生生物」という項目があり、そこに僕がこれまで遭遇したさまざまなトンボたちの名前もあった。だいたいは知っているものだったが、あまり詳しくないイトトンボ類もけっこうな数の種類が登録されており、そのなかにひとつ、とんでもないものが含まれていた。それは、環境省によって絶滅危惧種 I 類に分類されている、まさに超がつく希少種だったのである。あのアホウドリさえ絶滅危惧種 II 類、レベルとしてはそのひとつ上、コウノトリと同級のものだ。そして、その名前で画像検索をかけてみたところ、出てきた画像はまさしく先日僕が撮影した謎のイトトンボそのものであった。

 残念ながらこのホームページには、僕の現在住んでいる町について書いたものが多いので、ここで標準和名を明かしてしまうと検索にひっかかり、簡単に産地が割れて万一の事態も想定される。希少種の産地について公表したがらないサイトは多く、正直言ってそれほど神経質になる必要があるのかな、と、これまでは思っていたのだが、いざ自分がそういう立場になると、公表する気になれない気持ちがよく判った。彼らの生息地は非常に狭く、個体数など知れたものである。万一不心得な採集者が乱獲でもしたら、その日のうちに絶滅してしまうこともあり得ない話ではないのだ。というわけで、ここでは和名についてはふれない。最初はラテン語の学名を書こうかとも思ったが、どうせほとんどの人は読めないし、学名で検索でもされたら一発でひっかかってしまうので、それもまずい。いろいろ考えた結果、和名をもじって「大物」とでもしておくことにした。これなら発音すれば和名の省略だし、文字検索にもひっかからない。

 翌日から発見した場所への日参が始まった。なにしろ散歩で行ける距離なので、暇さえあれば調査は簡単だ。

 目的の「大物」は、あっけないくらい簡単に見つかった。初日はオスを一頭発見して、その写真を撮るだけで終ってしまったが、次の日、調査範囲を広げてみると、意外なほど多数の個体を発見することができた。↓はその一部である。

(初めて発見したオス。中脚、後脚に白い部分があるのが特徴)

(成熟したメス。最初に撮影した個体を除いて唯一のもの)

(まだ未成熟のメス。胸部や脚が全体的に赤っぽい)

(成熟したオス。脚の白い部分は個体によって広さが違う)

(翅を開いてウォームアップ中の成熟オス)

(羽化したてのオス。まだ複眼が白く、翅が茶色っぽい)

(成熟オス。自然光で撮ると、黒い部分にほとんどツヤがない)

(薮蚊を捕食する未成熟オス。未成熟でも狩りは一人前)

 何日かかけて調べてみると、発見される場所にはある程度の法則性があるようだ。オスはわりと分散して沼の回りのあちこちにいるのだが、メス、特に未成熟な赤っぽい個体は、特定の木の木かげに群れていた。その木がどうやって決まるのかは判らないが、沼の回りにずらっと植えられている木の中でも、メスたちが群がるのは決まった木だけであり、数メートルしか離れていない隣りの木からは一頭も発見できなかった。メスたちの中には少数のオスも混じっているのだが、未成熟のメスにオスが近づいても、メスは攻撃するような姿勢を見せてオスを追い払い、交尾は見られなかった。

 ↓は群れている様子を撮影したものだが、この中には三頭の「大物」が写っている。まるで間違い探しみたいだが、お判りになるだろうか。実際にはこのとき、全部で五頭ほどが1メートル四方くらいの空間に群れていたのだが、さすがに全部写すと画像では確認不能だし、だいたいデジカメの小さな液晶画面ではフレームに入っているかどうかさえ確認できない。

 不思議なことに、体色から赤みの抜けた成熟したメスは群れの中にはほとんど見られず、これまで撮影に成功したのはたったの二頭に過ぎない。おそらく成熟すると群れを出ていってしまうのだろうが、それにしてもオスはけっこう見かけるのに、どうしてこれほど成熟したメスが少ないのか、ちょっとした謎である。

 近縁種の交尾や産卵の画像は、いろいろなサイトにアップされているのを見ることができるが、本種に関してはほとんど見当たらない。果たして本種も他の近縁種同様の産卵スタイルをとるのか、なんとか確かめたいものだが、現在のところまだ確認には至っていない。そのためにはまず成熟したメスを発見することが必要と思われるのだが、未成熟の群れから出た彼女たちが一体どこへ行くのか、残念ながら現時点ではヒントすら判っていないのだ。

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 てなことを書いていたのが昨日の話。昨日もあまり天気はよくなかったのだが、今日は朝から本格的な雨で、10月並みの気温だという。こんな日には虫たちは葉っぱの裏などに隠れて活動を休止し、ひたすら天候の回復を待っているのだろうが、たまたま観察ポイント近くのスーパーに出かける用事があったので、帰り道にちょっと寄ってみた。案の定トンボたちの影も形もなく、沼はひっそりと静まり返っていたが、何となく変な予感がしたので、スニーカーが濡れるのも構わず草をかき分け、上記の「群れ」ポイントまで行ってみた。他の小さなイトトンボたちはほとんど姿を見せなかったが、「大物」のメスたちは晴れの日とほとんど同じ場所にたむろしていた。とりあえず、証拠写真でも撮影しておこうかとカメラを向けた直後に、それは起こった。

 雨に塗れた葉に止まった一頭のメスを撮影しようとピント合せをしていると、突然オスが視界に入った。どうせまた先日のように、攻撃的な姿勢で撃退するのだろうと思っていたら、メスは全然動こうとしない。あれ?と思った瞬間、オスの腹端についている把握器がメスの首筋をつかみ、またたく間に二頭は連結してしまった!!

キタ━━━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀☆)゚∀゚)∀゚)゚)━━━!!!

 まさに、待ちに待った瞬間である。ほとんどこの時のために、一ヶ月近くものあいだ僕はこのポイントに通い詰めたのだ。↓はまさにその瞬間の写真。よくこんな時に、冷静にシャッターを押せたものだと我ながら感心してしまう^^;

 連結した二頭はその後、草むらのすぐ脇の沼辺へと飛行し、そこに生えていたアシの一本にとまった。いうまでもない、これから交尾が始まるのだ。

(オスはメスの全体重を把握器でささえてアシにとまった)

(まず最初に、腹端の精子を基部にある交接器に移動する)

(精子を移動し終るといったん一休みし、いよいよ交尾開始)

(交尾は意外と大変で、二頭の息が合わないと成功しない)

(数度にわたってトライした後、ようやく交尾が成立)

(イトトンボの仲間でも本種は特に美しいハート型を描く)

(20分ほど後、ようやく交尾が終了し、いよいよ産卵に移る)

(産卵は他のイトトンボ類同様、植物の組織内に行われる)

(このカップルは付近のあちこちの草の茎に産卵していた)

(これが最後に撮影したカット。水中に落ちた笹の葉に産卵)

 付近の草の葉や茎に産卵したあと、彼らは飛び立ち、やがて僕の視界から消えていった。時間にしてちょうど一時間ほどだっただろうか。考えてみれば、今回僕はこの「大物」カップルの出会いから産卵まで、そのすべてに立ち会ったわけである。彼らの生んだ卵が無事成虫にまで育つことを、そして、未来にわたって彼らの血筋が途絶えぬことを願うばかりだ。

 それにしても、市街地の中にある何の変哲もない小さな沼に、どうしてこんな希少種が群れをなして棲息しているのか、考えてみれば不思議な話だ。ありのままの自然を慎重に保全しているというならともかく、沼にはずいぶん昔にブラックバスやブルーギルなどのゲームフィッシュが放たれ、休日にはちょっとした釣り堀状態になってしまう。外来魚の捕食圧はかなりなものだと思うのだが、それでもこの沼は「大物」をはじめ、なんと20種類ものトンボが飛び交うトンボ天国なのである。(2008.08.24記)

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