はだかの王様


 毎年11月の第3木曜日はボジョレ・ヌーボーの解禁日だそうで、マスコミでは例年のごとく特集を組み、生みの親とされるジョルジュ・デュブッフ氏は、これも例年のごとく「今年は天候が良かったので例年になくいい出来だ」と語っている。この人、僕の覚えているかぎり「今年は天候が悪くて不作だった」というのを聞いたことがない。地球温暖化の影響で全世界的に異常気象の続く昨今に、フランスのボジョレ地方だけは例外的に毎年好天が続いているらしい^^;

 時差の関係で、日本は世界最初にボジョレ・ヌーボーを飲める国なのだそうで、僕も昔は物珍しさから飲んでみたりしたものだが、どうもあの味が口になじまず、今はそんな予算があるなら「いいちこ」を飲むことにしている。先日どこかのアンケートを見たら、やっぱりおいしいと思って飲んでいる人より、単に「流行りだから」とか「季節ものだから」「恒例イベントだから」といった理由で購入している人が多かったようだ(2割くらいの人は「まずい」と思いながらそれでも毎年飲んでいる^^;)こんな理由でせっせと金を使ってくれるとは、なんとまあ有難い国民である。

 こうしたわが国の国民性を120%利用しているのが、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイヴィトン)というフランスの巨大企業だ。その名を見れば判る通り、モエ(シャンパン)ヘネシー(ブランデー)ルイヴィトン(装身具)さらに、セリーヌ(装身具)クリスチャン・ディオール(ファッション&パヒューム)ジバンシィ(ファッション&パヒューム)タグ・ホイヤー(高級時計)など、世界的なブランド商品を世に送り出しているコングロマリットである。2004年度の収益のうち3割ほどがアジアから上がっているが、その約半分は日本での売り上げであり、全世界で見ても第三位(一位はアメリカ、二位は母国であるフランス)を占める。第三位とは言ってもトップのアメリカとは5%前後の差しかなく、人口の違いを考慮すれば、日本におけるLVMH製品の浸透率は母国フランスに続いて世界第二位といっても過言ではない。

 こうした「高級品」が売れること自体は、国が豊かであることを示しているわけだから、けして悪いことではない。しかし、その「高級」とは一体何を意味しているのだろうか。たとえば自動車の「高級」車は、車体そのものが大きくてゆとりがあり、内装の仕上げが凝っていたり、エンジンの排気量が大きかったりするし、オーディオの世界の「高級」機には、それなりの数字的なうしろだて(ワット数やS/N比など)がある。LVMH製品にしても、たとえば高級ワインやブランデーのたぐいは「旨さ」という客観的な尺度(「旨さ」そのものの尺度は主観的なものではあるが、たとえば小説や映画の「面白さ」程度の客観的要素はあるだろう)で高級感を得るためにそれなりの手間を必要とし、その結果高価になる、という理屈も判る。判らないのはいわゆるブランド商品、LVMHでいえばルイヴィトンやセリーヌなどの「高級」ブランド物である。ワインやスピリッツが全収益の18%なのに比べ、ファッションやレザーグッズのいわゆるブランド物があげる収益は、その倍近い34%にものぼる。それもそのはず、モエやヘネシーなどの酒類が他のメーカーの製品に比べて特に高いわけではないのに比べ、ルイヴィトンやセリーヌなどのブランド物はそうでない製品より、数倍からときには10倍以上も高いのだ。この法外な価格は一体どうやって決まるのだろうか。

 たとえばエルメス(念のため書いておくが、このブランドはいまのところLVMHグループではない)のケリーバッグ。ただの革でできたバッグなのに、ものによっては100万円を越えるとんでもない価格が付けられている。高価なダイヤモンドや金がふんだんに使われているわけでもない、素人目にはごく普通のバッグにである。もともと物の値段というのは、売り手側の希望価格(製造原価+利潤)と買い手側の満足度とがクロスする部分で決まる。それより高い値段では、買い手は金額に相当する満足度が得られないので買わないし、安い値段では売り手側が利潤を得られず、これも取引きが成立しない。しかし、実はそれにもうひとつの要素が加わってくる。いわゆる「希少価値」というやつだ。この「希少価値」という幻想は直接買い手側の価値観に作用し、商品の価格に対する満足度を著しく増大させてしまう。判りやすい例に金をあげてみよう。金に価値があるのは、それが美しく変質しづらい安定した物質であると同時に、なによりきわめて希少だからだ。もし金が石英なみにありふれた物質だったら金本位制は成立せず、経済の仕組みも今とはだいぶ違っていたかもしれない。同じことはダイヤモンドを始めとする宝石類にもいえる。ケリーバッグが高価な理由もこれであろう。しかし、貴金属やダイヤモンドが貴重なのは実際にその絶対量が少ないからだが、ケリーバッグを構成する革や糸、留め金に使う金属などはそれほど珍しいものではない。ケリーバックの価値とは、素材自体はわりとありふれたものでありながら、それらがひとつに集まって「ケリーバッグ」という形をとった途端に生まれる、いわば人為的に作られた希少価値である。実のところ、ケリーバッグが本当に希少か否かはこの際あまり問題ではない。そうした価値を持っている、と人々が認めることこそが肝心なのだ。言い換えれば、そうした価値を演出できればブランド商品のプランナーとして成功できるということでもある。ボジョレ・ヌーボーという、いわば「まがい物」のワインに「流行り」「イベント」という付加価値を付け、逆に定番商品にしてしまったジョルジュ・デュブッフ氏も、おそらくはそうしたからくりを熟知した人なのではなかろうか。

 彼にとって、日本の消費者ははだかの王様そのものである。いや、別に悪い意味で言っているわけではない。ものの価値、というものを本気で考えると、実はそれがすべて人間の決めた約束事に過ぎないことが判る。前述の金の価値にしろ、金と同様に希少であるほかのレアメタルで代用したって別に構わないのだ。そうならないのは、最初に金に兌換価値を認めた人間の決めごとがあったからに過ぎない。ただの革と糸と留め金でできているケリーバッグにしろ、その(演出された)希少性からたまげるような高価で取引きされるものの、では同じ品質のものが誰でも入手できる程度に大量に生産されれば、その辺に売っている普通のハンドバッグ並みの値段になるかといえば、おそらくそうはなるまい。まあ100万ということはないかもしれないが、非常識に近い高値安定を続けるだろう。なぜなら、安くしなければならない必然性がないからだ。本来希少であるために高価であったものが、逆に高価であるからこそ価値がある、というパラドックスを生み出し、ある一定の価格以下ではケリーバッグとは認められない。それを決めているのが「ブランド・イメージ」という怪物である。

 同じ東京都内でも、足立区と田園調布とではまったく地価が違う(足立区のみなさんごめんなさい^^;)し、同じ関東地方でも、神奈川の東急線沿線と埼玉の東武線沿線とではやはり地価に大きな差がある。不動産屋がその差について説明するとき、出てくるのが土地の「ブランド・イメージ」という言葉である。たとえ都心に出るのにかかる時間が同じでも、また、第二次関東大震災や東海地震で大きな被害を被るのが判っていても、やはり湘南は埼玉よりブランド・イメージが高いのである。ではその「ブランド・イメージ」とは具体的に何なのか、不動産屋に聞いても確たる答えは返ってこない。なにしろイメージなのだから、具体的な言葉にするのは難しいのだ。まさに、はだかの王様が着ている見えないガウンのようなものである。こうしたナンセンスな要素に惑わされず、ものの本質をみんなが見通すようになれば、分不相応なブランド信仰にも走らず、あるいは昨今のマンション強度偽装事件も起こらなかったかもしれない。

 冷静になって考えれば、ボジョレ・ヌーボーはやっぱりまずいし、ケリーバッグは高過ぎると思うのだが^^; ('05.12.05 記)

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