ちょっとおかしいよ

 久しぶりのテキスト主体のページである。

 ちょっと、というかかなりおかしい北の隣国についてはたびたび書いてきたので、今回はもうひとつのちょっとおかしな国、中華人民共和国について書こうと思う。

 このところ中国は目覚ましい経済発展をとげており、毎年かなりの成長率を維持している。経済面においてはもはや日本と切っても切れない関係にあり、この関係を損なうことは、日中両国にとって百害あって一利なし、これまでの協力関係を逆行させることなどあり得ないように思える。ここまで根づいてしまった資本主義経済がぐらつくことなど、もはや考えられないことだろう。

 しかしその一方、政治体制はいまだに一党独裁の前世紀的な共産党社会主義政権であり、(政権の安定性という意味では)民主化の可能性は北朝鮮をも下回る。存在の基盤たる社会主義的計画経済を放棄して社会主義もないものだと思うが、「白猫であれ、黒猫であれ、ネズミを取るのが猫が良い猫だというトウ(漢字がパソコンのフォントにない)小平発言によって資本主義経済への道が開かれて以来、経済は資本主義で政治体制は社会主義という奇妙な体制が現在に至るまで続いている。経済の自由化が政治の自由化につながらないように、政治的締めつけが今も続いているが、そのひとつが三国志の時代から続く、内憂を外患により覆い隠す発想である。具体的には、たとえば執拗な日中戦争時代の日本の負の遺産へのこだわりだ。すでに半世紀以上たち、当事者のほとんどが亡くなってしまっているにもかかわらず、大陸で日本が何をしたか、小学校教育の段階から徹底的にたたき込まれる。おかげで当時の孫の世代の人々にも、トラウマのように日中戦争の負の遺産はのしかかったままだ。

 再三このコラムで述べているように、僕は「なかった」派の人間ではないし、被害を受けた国民が加害国に対して謝罪や補償を求める権利がないなどと思っているわけではない。しかし、パレスチナのようにいまだに占領されたままならまだしも、終戦と同時に原状回復がなされ、戦後60年近く経つ現在に至るまでODAという形の経済援助が続いているのに、それでもなお「日本人は謝っていない」と言い張って永続的に謝罪を求め続ける態度は、やっぱりおかしいと感じざるを得ない。ちなみに日本は田中内閣当時の国交回復以来、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(国交回復当時の日中共同声明)「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」(平成7年の村山総理大臣談話)などなど何度も反省、謝罪の弁を述べ、そのことは中国国内でも報道されているのにもかかわらず、なぜか中国国民の一般常識としてはいまだに「日本人は謝っていない」のである。

 こうしたオピニオンが自然発生的に現れることは、少なくとも政治的自由のない国ではあり得ない。さまざまな報道機関、あるいは地方の実力者など有力な人物の発言により方向づけられていることは想像に難くない。なぜそんなことをするかといえば、日本という「外患」を作り出すことによって、国内のさまざまな不満、つまり「内憂」を封じ込めてしまうのが目的ではないかと思われる。こうした意見は北京や上海など経済的に発達した地域にはほとんど見られず、重慶や西安など、内陸の低開発地域に多いのも、やはり政治的意図を感じる。貧富の格差を放置する政府への不満を、日本への憎しみに転嫁してもらおう、というわけだ。たとえば重慶におけるサッカー暴動など、そうした政府主導のオピニオンが過剰反応を引き起こしてしまった例だろう。もちろん世界的に恥をかくこうした行動を中国政府が奨励しているとは思わないが、彼らが行った人民への方向づけの結果であることは間違いない。また、一年前の西安大学寸劇事件も、事件そのものの内容が日本にきちんと伝わらなかったこともあり(日本のマスコミは寸劇が「卑猥」であったから非難を浴びた、としていたが、いろいろな文献に当たってみると、中国人学生はむしろ「国辱的」と受け取ったようだ。比較的冷静と思われる報道を読んでみても、中国人学生が腹を立てても不思議ではない内容だったらしい。とはいっても、それが直接暴動に結びつくこと自体、石原都知事の言うように彼らの民度の低さを如実に示す結果になっていると思う)その評価がもう一つはっきりしていないが、事件を伝えるニュースが中国国内をネットで伝播していくうちに、寸劇で中国人はブタの仮面を付けられていたとか、まるで伝言ゲームのごとく尾ひれがつけられて、怒りをあおるような展開になっている。これも、ここまでの憎悪を煽っても中国政府にとってはなんの益もなく、おそらくは教育によって植え付けられた日本への反感が、意識的に、また無意識的に表出した結果だと思われる。精神的に未熟な人間がネットに触れると危険な玩具となることは明らかだが(小学生がネットに掲示板を作った結果、それが悲惨な事件を巻き起こしたこともある)社会そのものが未成熟な国にネットが発達することの危険性も、今回の件でよくわかった。ちなみに、うちのメールアドレスに来るスパムメールも、最近は中国発のものがかなり多くなってきている^^;

 こうした中国の永続的被害者意識をどうして断ち切ったらいいのか、実はつい最近、当の中国がいいヒントを出してくれた。一つは、最近経済発展の目覚ましい中国にはもう日本のODAは必要なかろう、ということで日本政府がその打ち切りを検討したところ、「打ち切り云々を言う権利があるのは(被害を受けた当事者である)わが国であって、日本にそれを言う資格はない」と表明してきたことだ。これは要するに、被害を受けた側と被害を与えた側との権利関係を改めて明確に打ち出した発言と思われる(日中復交時の共同宣言ではっきり「戦後賠償は求めない」と宣言しているにも関わらず、このODAが事実上戦後補償を意味していると宣言しているようなものだが)それはそれで論理的に間違ってはいないのだが、ほぼ同時期に起きた中国海軍潜水艦による領海侵犯事件では、その立場は見事に逆転する。事件直後、潜水艦が自国のものであることを認め「遺憾の意」を表明した中国は、それ以降この件に言及した日本政府閣僚に対して、「あれは終わったこと」の一点張りで通してきたのだ。この事件では、領海侵犯をおかしたのは中国側であり、侵されたのはわが日本の主権である。経済援助の論法で言えば、「終わったこと」にする権利は被害者である日本にあるのであって、中国には存在しない。にもかからず、「終わったこと」として片づけてしまい、そこに矛盾すら感じないらしい中国側の「論理」にこそ我々は学ばなければならないのではなかろうか。

 何しろ隣同士の国なのだから、領土や不法残留の問題などでこれからもいざこざは免れない。たとえば東シナ海における天然ガス田開発計画も、紛争の火種になる可能性を秘めている。中国の経済水域側における調査そのものは、特に大きな問題ではない。地下のガス田が日本の経済水域にかかる場合は盗掘になる、という理屈は中国側から見ても同じことが言えるわけで、いずれにしろ双方の利害がからむ可能性のある場所の開発は、中国側が言うように共同開発が望ましいだろう。しかしそれなら勝手に独自調査など始めず、まず日本側に共同開発を打診するのが筋だろう。そうした近代国家としての常識が存在しないあたりに、今の中国の抱える問題があるのではなかろうか。

 人民民主主義の仮面をかなぐり捨て、資本主義を大幅に導入した中国は、もはや共産主義を語る資格のない単なる一党独裁の全体主義国家に過ぎず、いってみればある種の国家社会主義国に近い存在と化してしまった。かつてドイツに生まれた独裁政権は、国家社会主義ドイツ労働者党=略してナチスと呼ばれた。現在の中国がそこまでの独裁国家であるというつもりはないが、(旧ソ連のノーメンクラトゥーラに当たる)王子党と呼ばれる政治的エリートの存在など、スターリン主義の悪弊はすでに明白に現れている。このまま現在の政治体制が続けば、やがては本物の国家社会主義国化してしまう可能性は十分にあるだろう('04.12.15 記)

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