平成二十年十二月十六日 平成の大修理完成祝、入魂式(春日神社)

 

昭和43年頃の新町太鼓台

宮入動画です。(PC専用)

 

新町太鼓台逸話

新町太鼓台は明治後期から大正初期頃の新調、製作を行ったと思われる。

当時太鼓台を新調する時に友志一同が集まって話し合いをして「俺は布団締めを買う」と言うと

「お前が布団締めをするなら俺は四本柱を買う」と言う様に友志一人ひとりがお金を出し合って

新調したと新町の古老に聞きました。今現在ではこの様にして太鼓台やだんじり、等の新調する事は

まず無いに等しいと思われる。今では町内会が積立をしたり町内住民一軒につき、いくらと言う様に

積立をしてお金を貯めて新調したり、また先にお金を借りて新調をして後で町内会が責任を持って

返済していくと言う話も聞きます。尚 新町太鼓台の彫物は、淡路彫りの元祖で名工の「開 正藤」の

彫り刻みと思われる。(枡合の彫物の隅に正藤と書かれて印章も残っている)また同じ時期頃に

貝塚南町太鼓台(大正十二年新調)の彫物も刻んでいる。新町太鼓台は多分貝塚南町の太鼓台より

以前に新調されたものと思われる。(この件に関しては現在調査中)

昭和初期頃(昭和十年前後位)明確には不詳、七月二十四日春日神社夏祭り(佐野祭り)

本宮の日(この年の神輿番は野出町)宮入一番、野出町 宮入二番、春日町と

二町の太鼓台が宮入奉納を終え、宮入三番の新町太鼓台が威勢よく宮入をしている

ところが宮入時間が過ぎても鳥居に入る様子が無く、祭礼役員や町内役員らが後棒を押し

始めたが、なかなか鳥居を入らず、今度は前に廻って前棒に縄を付けて引っ張るが

これでも境内に入る様子がなく担いでいる。痺れを切らした神輿当番の野出町の若衆らが

神殿前に神輿を運び込み神主が御魂入れの儀式を終え、神輿を担ぎ出そうとする

それを見て新町町内役員や祭礼役員らが急いで境内に押し入れようとするがまだ入らず

今度は野出町の祭礼役員や若衆が神輿を出そうと新町太鼓台を前から押し出し始めた

神殿前から神輿が担ぎ出され境内を廻り鳥居の方向へ向かって行く、鳥居前では

新町と野出町の役員や若衆が入り交じって太鼓台を押し出して行く、最後には神輿が

出て来たので太鼓台を後ろへ下げて行くが威勢が良すぎて春日神社前に有る門前まで

押して行かれたと言う(これが新町太鼓台のお寺参りと俗に言われている)

この年は新町太鼓台は宮入奉納が出来なかったと聞きました。またこの件が

発端かどうかわかりませんが以来新町と野出町が仲が悪くなり、二台の太鼓台が

合うと喧嘩が始まって殴り合いがあっちこっち始まる。また屋根に登って瓦を捲って

投げ合いも始まったと言う。この様な事が昭和三十年代まで続いたとも聞きました。

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