★  金井 勝  Kanai Katsu  〜自分史覚書〜  

Profile of KANAI KATSU:
Born in 1936. Starting out working at the Tokyo movie studios of Daiei, he has been involved in a broad
range of film genres.
His main works as director include: The Desert Archipelago (1969, Grand prize at the Nyon International
Film Festival), Dream Running (1987, Best short fiction film at Melbourne International Film Festival),
Good-Bye (1971), The Kingdom (1973), The Stormy Time (1991), Seinaru-gekijyoo (1998)etc.
Super Documentary:The Avant-Garde Senjutsu (2003, Prize of the FIPRESCI at The 50th International
Short Film Festival Oberhausen).
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1936年(昭和11年)7月9日、神奈川県高座郡田名村(現・相模原市)の農家の次男として生まれる。少年時代の同級生には、後に木村伊兵衛賞や土門 拳賞を受賞する写真家・江成常夫がいる。(写真は昭和18年当時の金井家、右端が私)

県立・相原高校時代に見た黒澤 明の『羅生門』(撮影・宮川一夫)に映像の奥の深さを知らされ、’57年に日大の映画学科に入学する。同級生には後に商業映画監督として活躍する山根成之(松竹)や加藤 彰(日活)がいた。また学生時代から前衛作家として既に名を馳せていた平野克己がおり、この系列から城之内元晴や、足立正生沖島 勲などが輩出される。

’60年4月、大映東京撮影所の撮影課に入り、『二十四時間の情事』の撮影監督・高橋通夫と、市川 崑増村保造とコンビを組む小林節夫に師事する。当時の監督陣は、絶頂期の市川・増村を中心に、衣笠貞之助吉村公三郎などがおり、外部からは山本薩夫川島雄三などが招かれていた。また役者として三島由紀夫なども来所して、スタジオには活気が満ち溢れていたのだ。しかし4年目に入るとその活気も何処へやら、観客動員の減少に伴って意欲作がなくなってゆく 〜〜。

’64年12月、大映を退社してフリーのカメラマンとなり、『ヒロシマ1966』(監督 白井更生)などの劇映画や、CM、PR映画など様々な分野の映像作りに携わる。そんな時、自主制作・自主上映の看板を引っ提げて登場した小川紳介の『圧殺の森』に刺激され、若い仲間とかないプロダクション(現・かない勝丸プロダクション)を結成する。

’69年に処女作『無人列島』(35o)を制作して自主上映。更に『GOOD−BYE』(’71)、『王国』(’73)と16o作品を隔年で発表 ―― 全国各地の人々との触合いを持つ。このことは我が人生の大いなる財産 〜〜 またヨーロッパ各地でこれらの作品をマックス・テシエ(フランスの映画評論家)が上映、『王国』などはカンヌに乗り込んで同時通訳までしてくれたのだから感激である。(写真は『GOOD−BYE』のラストシーン、中央が私)

’73年、アテネフランセ文化センターに映画技術・美学講座が開講して寺山修司とともにその講師となる。また’77年から’82年まで東京造形大学の非常勤講師、そして’77年から始まったイメージフォーラム付属映像研究所の専任講師となり現在に至る。

そのイメージフォーラム卒業生の望月六郎が’82年に我が家の居候となりシナリオの勉強 〜〜 その時に書いた1本が映画化されたが、彼は後に映画監督となって大ブレーク ―― ’97年公開の『鬼火』でキネマ旬報の監督賞を受賞する。

この間のこちらの生活の糧は、広島テレビ放送のドキュメンタリー番組、そして神奈川ニュース映画協会 〜〜 ここでは城之内元晴とともにテレビ番組のレギュラー・ディレクターとなり、200本余りの作品を手掛ける。

’86年、その仕事仲間である城之内や、ライトマン・桑名平治(後に16oで『相模幻野考』を自主制作)と〔結い〕のような助け合いで短篇『夢走る』を撮る ―― これは映像での詩歌集をと考えての短歌篇で、カメラの細井靖明などとボレックスカメラによる特殊撮影で新しい映像の発見を試みる 〜〜 が、12月10日の未明に、盟友・城之内が交通事故で不帰の客となった。

’87年にはその短歌篇『夢走る』、’89年には俳句篇『一本勝負の螽斯』、’89年には詩篇『ジョーの詩が聴こえる』をイメージフォーラム・フェスティバルで発表 ―― この3作に2つの幕間を挟み、城之内元晴追悼作品として『歌・句・詩シネマ 時が乱吹く』を完成、’91年1月に中野武蔵野ホールで公開する。

’89年、イメージフォーラム・フェスティバル審査員。’93年、山形国際ドキュメンタリー映画祭・アジア部門審査員。そして’98年、初めてのビデオ作品『聖なる劇場』をイメージフォーラム・フェスティバルで発表。
                                                                     ※ 著書には『微笑う銀河系』(れんが書房新社/’81年)がある。
右の写真はその出版記念パーティー、唐十郎(左)と私、撮影・江成常夫 
(敬称略)


映画(映像)は、見て貰って初めて作品と呼べるのだと思います。
お世話になった、劇場や美術館のみなさん、学園祭やシネクラブのみなさん、そしてご高覧頂いた観客のみなさんに、心から御礼申し上げます。

またマックス・テシエ氏と共に、イギリス人のキュレーターであるトニー・レインズ氏に感謝 〜〜 特に’84年のエジンバラ国際映画祭《日本映画の25年》でその1本に『無人列島』を選んでいただけたこと、またその『無人列島』が’99年のロンドンで衣笠貞之助監督のあの『狂った一頁』(’26)と一緒のプログラムで上映してもらえたこと 〜〜 今でも嬉しさが込み上げてきます。

これからも頑張りますので、皆様どうぞよろしくご指導下さい。



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