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No.56.04.24 何と我が家の庭に猛禽類が出現:-))))))))))
このところの月刊"勝丸"は、私の病魔との闘いがほとんどだったので申し訳ありませんでした~~が、今回はある種のビックニュースです:-))))))))))

庭の石畳の上をかすめるかのようにして一羽の野鳥がやってきましたが、その足には獲物らしきものをしっかりと掴んでいたのです:-))))))))))

その時私は居間にいて、最初は庭によく来るヒヨドリかヤマバトあたりだろうと思いましたが、しかしそれらの鳥たちは決して足で獲物を掴んだりはしないので、不思議に思い携帯を掴んで窓辺に行くと、小さいけれども間違いなく猛禽類の一種~~ガラス戸越しでしたが先ずシャッターを切りました!

残念ながらシャープな映像は撮れませんでしたが,それでもその足には猛禽類独特の鋭い爪があり、その左足の爪で獲物の雀を掴んでいるのは写真でも分かると思います:-!!!!!!!!!!

彼は水道の流しの端に1
1~2分留まり、辺りをきょろきょろを見渡してからもと来た石畳の上に獲物を滑らすようにして飛び去って行きました:-))))))))))

私の家は多摩川の支流・浅川の右岸にあり、池の魚たちを狙ってゴイサギやササゴイなどの水鳥がやってくることもあり、また冬には水が干された水路を伝わって狸も出現しましたが、猛禽類の登場は今回が初めてでした:-))))))))))

さてこの猛禽類ですが、手元にある野鳥図鑑で調べているのですが正直に言ってはっきりとは分かりません~~多分チゴハヤブサの幼鳥のような気がしますが、今度多摩川での<探鳥会>に参加して、指導員さんに聞いておきます:-))))))))))
     
若葉に縁どられた小さな庭  チゴハヤブサの幼鳥か?  鋭い爪に掴まれていたのはスズメだ 
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No.55.04.06 病魔との闘いもあり、アップロードが遅れて御免なさい:-))))))))))

七十歳になった時には六十歳代の単なる延長~~またひとつ歳を重ねたなと思う程度でしたが、この傘寿は曲者~~それまでとはかなり違いました:-!!!

持病となっていた糖尿病と心臓病とが悪化し、度々病院のお世話になっています!
特に心臓病では検査と手術とで5回も入院~~またその間、長年賀状のやり取りを続けてきた同級生たちが一人またひとりと黄泉の国へ旅立ちましたので、あちらの世界が身近に感じられ、その予告編の中に住んでいるように感じる時もあります、、、!

そういったこともあって、<月刊 "勝丸" 三月号>はやむなく休刊~~訪問者の皆様方に誠に申し訳なく思っております。

それでもその間、旧友のMONSHIRO姫からの<応援歌>があり、韓国・光州にある≪アジア文化センター≫へ納入するニュープリントも問題なく出来上がりましたので、先ずはホッと致しております:-))))))))))

※ 挿入手術をして頂いたペースメーカーのチェックが明日あり、それがOKなら当分は老人なりの活動が出来ると思います:-))))))))))


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No.54.02.21 『無人列島』のニュープリントによる試写:-))))))))))

既に何度かお話ししたかと思いますが、一昨年の末から心臓病と糖尿病に苦しめられ
2つの病院を行き来してました~~が、そんな時でも吉報らしきものは舞い込んでてきました。
しかし、相手方の様々な状況の変化などがあったのか、延び延びになっていたので半分は諦めていましたが、昨年の秋あたりから徐々に現実味を帯びてきたのです!

それは韓国の光州市にある国営:《アジア文化センター(=ACC) 》からで、≪かない勝丸プロ≫全作品の発注~~今、そのニュープリントを作成中です:-))))))))))
尚、漏れ訊くところによると、足立正生氏、伊藤高志氏、寺山修司氏などの諸作品などは、既に収蔵されているようです!

そして2月15日の木曜日、五反田のイマジカの試写室で『時が乱吹く』(16mm1991)と『無人列島』(35mm1969)をニュープリントを観ました!
何せ随分昔に撮ったネガからのプリントなので心配でしたが、想像していた以上に奇麗な映像でしたので、 先ずはほっといたしました:-)))))))))
残りの作品のチェックは23日の木曜日で、それらは大阪にある≪イマジカ・ウエスト≫での作業となります。

さて、この≪ACC≫の件は後日また触れさせて頂く機会があろうかと思いますので、今回は『無人列島』についてちょっと述べさせて頂きます。

これは処女作でしたので気合を入れて、兎にも角にも命がけで頑張りました(笑):-))))))))))
先ず
CMなど様々な映像作品に関わって得た貯金に、父に泣きついて借りた百万円を加えた制作資金~~中途半端にはしたくはないので、全ての面で商業作品から遠く離れ、それまでにない≪シュルレアリズム作品≫に挑戦したのです:-))))))))))

学生時代にアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924)を読み、そのブルトンに多大な影響を与えたと言われていたオーストリアの精神分析学者=ジークムント・フロイトの全集も読破していました!
しかし、彼らからの影響を観客に感じさせるようでは作る意味がないと考えていたのです:=))))))))))

さて、私が国民学校
3年生の夏までは、毎日ラジオや新聞、そして学校でも「大日本帝国の正義」が繰り返し、繰り返し語られていて、幼い私たちの脳髄を洗脳し続けていた《魔のイデオロギー》でした:-!!!!!

それが
815日の正午に、昭和天皇の玉音放送があり、無条件降伏~~、やがて小学校には予科練上がりの代用教員が赴任し、波風を巻き起こそうとしましたが、彼は孤立~~その怒りの矛先が私たちに向けられ力いっぱい殴られました!

またその一方で、村は〈農地改革〉を巡り真っ二つに分れ、親たちの確執が子供たちの日常にも絡みついてきて、極めて不快な私の少年時代でした!

そんな中で、何も信じられなくなり悪夢の餌食~~特に明け方にみる夢は、実際にあった出来事が入口となり、有り得る世界と有り得ない世界とが行き来しながら膨張ゆくのがそのパターンでした!

『無人列島』は、それらの悪夢の体験を軸にしてスタートさせ、新しいシュルレアリスム映画を作ろうと必死になって台本を書き上げ、
1968年の晩秋にクランク・インし、翌年1月の東大安田講堂陥落の頃まで撮影を続けました:=)))))))))

そうした激動の中で撮り、そして公開した『無人列島』~~立命館大学の学生であった高野悦子さんのベストセラー 『二十歳の原点』の中では、「(前略)何もする気のないまま『無人列島』という映画を見ました。(中略)人間における相互の関係は殺すか殺されるかという関係(愛においても闘争においても)ではないかと思いました。権力に反抗した日出国は最後に殺されてしまうのでした。次作品にどんなものが出るのか楽しみです。」と記されていましたが、その39日後に彼女は自らの命を絶ったのでした:-!!!!!

また、中野武蔵野ホールで私の作品のレィトショーが
1991年1月にあり、『無人列島』の上映の後にひとりの中年男性が近づいてきて、「ラストのクレジット・タイトルの後にエンド・タイトルも無く、かなり長目に雪原の画像を続けていましたので、私には第2の日出国の登場を待っているように感じました。今クエートを侵略しているイラクのフセイン大統領が、やがて国連軍の憲兵に引かれて現れるような気がして~~この映画の深さを感じました!」と語ってくれました:-!!!!!

そしてイマジカの銀幕に映し出された列車のシーン~~日出国は邪魔になってきた肉親を刺し殺すそのシーンが、前日=2月14日にマレーシアの空港で起こった、独裁者・金正恩の異母兄=金正男氏の殺害事件と大きく重なりました:-!!!!!

また、海外での『無人列島』の上映後に良く質問されるのは、「三島のハラキリ事件があったから、日出国に三島が好んで着ていたあの衣装を着せたのですか?」でした。
そこで、この映画は1969年の4月の末には封切られており、三島事件はその約1年半後の1970年11月25日だと答えると、皆さん吃驚されていました:-!!!!!!

この『無人列島』は、時空を超えて様々な現実とシンクロしながら生き続けて行く、摩訶不思議な側面を持つシュルレアリスム映画だと我ながら思います:-))))))))))


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No.54.2017.01.21 フランスから豪華本:「日本映画の黄金時代」が:-))))))))))
今年は国の内外で予測不能な年になりそうです~~が、一介の老人が悲観的な言葉を並べても埒が明きません!
そこで冥土までのそう長くはないだろう時間を、それなりに楽しみながら生きようと思っていたら、正月早々ボルドーのイベントで知り合った友人から小包が届きました。
近年あまり見かけなくなった外箱付で、タイトルには「Coffret L'Age d'Or du Cinema Japonais1935-1974」とありました:-))))))))))

私はフランス語は解りませんが、「日本映画の黄金時代1935-1975」といった感じでしょうか?
著者は
Pascal-Alex Vincent~~そこで(パスカル アレックス ヴィンセント)と日本語で検索してみたら、アメリカで生まれ育ち、フランスの大学を卒業後に映画の配給会社に就職~~、彼に与えられた職場は日本映画をフランスに配給する部署で、そこでの10年間で段々と日本映画の魅力に嵌っていったようです:-))))))))))
さて、この本の装丁は外箱入りの超豪華本~~表紙には小津安二郎監督の「彼岸花」(1958)、裏表紙には大島渚監督の「青春残酷物語」(1960)のスチール写真~~さらに溝口健二、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、小林正樹、大島渚のDVDが6付いていました:-))))))))))
  
(写真は、「日本映画の黄金時代1935-1975」で、開かれた右のページが「Kanai Katsu」)

ヴィンセントが日本映画の黄金時代としたのは<1935年-1975年>~~和暦に直すと、昭和10年から昭和50年です。
その最初の
昭和10年ですが、その時に私は母の胎内にいて、日一日ときな臭くなってゆく娑婆の様子を伺っていた時でした!

翌年の昭和11年2月には、陸軍皇道派の青年将校らによるクーデター未遂事件=
<2.26事件>が起こり、私が産道を抜け出た3日後に、その青年将校ら17名が処刑されたのです:-!!!

映画は勿論のこと、殆ど全てのジャンルの作品たちは、その時代の<欲求>に反発しようがしまいが、その<欲求>の支配下にあるのだと思います:-!!!

ヴィンセントが選んだ<日本映画の黄金時代>40年間の中の映画人は、101名~~そのひとりに私の名がありました:-))))))))))

そしてそこには同世代の親しかった友人たちの名もあります!
私の『王国』(1973)の中で鳥博士を熱演してくれた、監督でありl脚本家であり、演技者でもあった大和屋竺氏。そして今でも欧米の研究者の間で高く評価されている<日大映研>の創始者のひとりであり、『王国』で編集者の役を演じ朗々と詩を読み上げてくれた映像作家の城之内元晴氏の名もありました!!!
共に夫々が所謂メジャーとは言えない存在ですが、独自の斬新な世界を切り開いた監督たちであり、それを選んでくれたヴィンセントに心から感謝致します:-))))))))))

そして、本書のトップに登場したのは<日大新映研>を立ち上げた足立正生氏~~学生時代に35ミリ作品:「鎖陰」(1963)を引っ提げてATG新宿文化のレイトショーに登場~~一躍その名を世に轟かせましたご仁です!
その「鎖陰」と私の処女作:『無人列島』(1969)との二本立てで、1月末にクロアチアの首都ザグレブの映画祭で公開されますが、本書の出版と重なってとても嬉しく思っております:-))))))))))
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