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No.61 2017.10.20 ゼロ次元の岩田信市さんが旅立ちました:-))))))))))

今年もまた大切な友人をひとり亡くしました。
これまで大変にお世話になってきた前衛アーティストの岩田信市さんがお亡くなったと、先日ご子息からご連絡を頂きました!

1960年代の初めに名古屋から「人間の行為をゼロに導く」というコンセプトのもとに、街中で過激なパフォーマンスを繰り広げ話題を呼んでいた<ゼロ次元>~~やがてそのリーダーの加藤好弘氏がその拠点を東京に移しましたが、もうひとりのリーダーであった岩田信市氏は名古屋に留まり、その活動を東京と連携を取りながら行っていました。

彼らとの最初の出会いは'68年で、準備中の処女作『無人列島』に出演してもらおうと出掛けましたが、そこは渋谷の一等地に聳える大きなマンョンの中の広いフロアー~~確かその表札には<ゼロ次元商会>とあったと記憶してます!

聞くところによると、前衛アーティストである彼らの日常は、何と電気工事を請負う会社で、社長の加藤氏を初めとする社長を初めとする数名の社員たちがそのパフォーマーであったのです:-))))))))))

私の先輩でもあった映画評論家の佐藤重臣氏が私たちの台本を気に入ってくれていたので、彼をを介して<ゼロ次元>のメンバーもやる気十分~~特に加藤氏が気に入ってくれたのは彼らが出産シーン~~後の撮影でも加藤氏のアイデアが上手く活かされたと思います:-))))))))))

さて、もうひとりのリーダー岩田信市さんですが、台本にある国会議事堂前で主人公の日出国と闘う<大男>がまだ決っていないというと、加藤氏は「この大男は、名古屋ゼロ次元の岩田信市がぴったり、彼に決めるべきだ!」といってくれました:-))))))))))


何度か渋谷で<ゼロ次元>の集まりに参加している内に岩田さんとも会い、その百八十センチを超える堂々たる体躯に惚れました!
堂々たるンセプトに過激な全裸パフォーマンスを繰り返したことから、ネオダダ九州派時間派といった当時の反芸術運動の中でも最左派に位置づけられる。「儀式集団・ゼロ次元」(





。 拠点を移し 堂々たる

ご尊父の訃報に、衝撃を受けました!

 

岩田信市さんとは、私の処女作:『無人列島』(1969)でゼロ次元に出演を依頼してからですので、およそ半世紀になります。

 

その作品では、国会議事堂前で大立ち回りをする大男を、そして第3作の『王国』(1973)では、時間を司る神=クロノスを演じて頂き、その迫力ある存在感に感服致しました!

 

また、私たちの作品の名古屋上映の際には、何時もご自宅の二階に宿泊させて頂きましたが、ある時名古屋公演の打合せに来ていた状況劇場の唐十郎氏と映画や芝居について語り合い、枕を並べて寝たことが鮮烈に蘇ります。

 

岩田さんの絵は、シルクスクリーを使った「ウォークマン(歩く人)」の連作しか見たことは有りませんでしたが、「街を歩く自分のイメージ」とかで、当時彼が経営していた喫茶店の名前も「ウォークマン」だったと記憶しています。

 

しかし岩田さんの代表作は、加藤好弘氏と一緒に、60年代にパフォーマンスの新風を吹き込んだ「ゼロ次元商会」の様々な活動だった思います:-))))))))))

 

そして彼が私に囁いたのは、その「ゼロ次元の活動の延長上に立ち上げたのがロック歌舞伎 スーパー一座」だそうで、私も大須演芸場や東京でも拝見しました。

が、何とその「スーパー一座」が、ヨーロッパへ進出すると聞いた時、そしてその公演の成功の情報に、度肝を抜かれました:-))))))))))

 

さて、私のHP≪映像蕃万華≫に「この人を見よ!」と言う頁がありますが、そこにご尊父の生き方とその芸術活動などについて掲載させて頂きたいと思っております。

 

尚、

本来ならお墓参りに行きたいのですが、私も81歳になり心臓病を初めとする様々な病を抱えておりますので、勝手ながらお香を送らせて頂きました。

 

ご尊父のご冥福を心からお祈り申し上げます。



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No.60 2017.09.08 出羽三山への旅と、"あの本"の翻訳と:-))))))))))

以前から気になっていた出羽三山のツアーに妻と参加しました!

松尾芭蕉と弟子の曾良が旅した「奥の細道」~~これまでにそれとなくその幾つかの俳句の背景は訪ねてきました。例えば仙台の松島、奥州藤原三代の夢の跡=平泉とその周辺、そして山寺の名で知られる立石寺などでしたが、どうしても気になっていたのが修験道の霊場として知られる出羽三山~~羽黒山、月山、そして湯殿山でした!

その出羽三山を中心にした2泊3日のバスツアーがあるのを見付け、天候不順な時でしたがこの機を逃すと後がなさそうなので、ちょっと詰め込みすぎのスケジュールでしたが予約しました。

東京都庁の地下を出発した観光バスが最初に到着した場所は山形と宮城の県境にある蔵王の<お釜>~~今でも火口の数カ所の気孔からは火山ガスを噴出しており、流れくる霧と混ざりあって神秘な世界を演出します!

そしてその初日の夜は、今にも雨が降り出しそうな重たい空気の中をロープウエーで蔵王の山頂へ~~そこには「星のソムリエ」と呼ばれる資格を持った星空の案内人がおり、雲の合間から時々顔を覗かせる星々を熱心に説明~~天体望遠鏡で土星を覗かせてもらいましたが、残念ながら土星の<輪>を確認する前に雲に隠れてしまいました!

その翌日が<本番>!
夜明けとともに朝食を済ませ、ツアーの観光バスで「出羽三山の霊場巡り」。先ずは羽黒山の入り口にある長い石段を下ると静かさの中にせせらぎの音~~かつては参拝する全ての人々がこの祓川で身を清めてから入山したのだそうです!
杉木立の表参道を行くと、その長い歴史を包んで立つ国宝の「羽黒山五重塔」~~平将門が創建したとも伝えられています!

さて、松尾芭蕉と曾良は元禄二年六月三日(西暦1689年7月19日)に羽黒山に登って、翌四日の本坊の俳諧興行で芭蕉が発表した句=「有難や雪をかほらす南谷」~~(ありがたさが身にしみることよ、はるか雪嶺から吹き渡って来る風は、雪の香を運んで来るかと思われるばかりの清澄な南谷の薫風である。)

羽黒山の山頂には月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀る三神合祭殿があり、東北随一の規模を誇る茅葺屋根のこの神殿は、神仏習合時代の名残を留める特異な造りになっています。
また、何故ここに三殿が祀られているかと言うと、古来月山と湯殿山の冬は深い積雪で参拝が出来なかったことから、比較的に標高の低い羽黒山に三神を祀ることになったと伝えられています。
         
 国宝・羽黒山五重塔  「奥の細道」の芭蕉像  羽黒山の三神合祭殿 出羽三山の主峰= 月山  出羽三山の奥の院=湯殿山
羽黒山を後に、バスは曲がりくねった山道を、下っては上り、下っては上りしながら、やがて月山の6合目に辿り着きました!

月山の標高は1984メートルで山頂には月読命(つきよみのみこと)を祀る月山神社があります。
曾良の記述によると六月五日(西暦7月21日)~~芭蕉たちは強力(ごうりき)に先導されながら、山霧に包まれた八里の道を喘ぎながら山頂へと向かいました!

その時の芭蕉の句は、「雲の峰いくつ崩れて月の山」~~(炎天下の入道雲が次々と崩れ去って、夕空には、中天高く聳え立つ月下の月山の威容だけが眼前に迫ってくる。)

言わずもがなのことながら、到底芭蕉にはかないません!
一寸ばかり山頂への路を進み始めましたが、足元がおぼつかなくなってきたので木道脇に咲き競う高山植物を観察しながら写真も撮りました~~が、8合目の小田ヶ原にはチングルマやニッコウキスゲなどが沢山自生しているそうで、そこから山頂にかけて国の天然記念物に指定されています。

そして湯殿山!
その神社は月山と連なる峰の中腹に鎮座しており、出羽三山の奥の院として、修業した山伏たちの即身成仏する場所とされてきました:-))))))))))

湯殿山神社の特徴は社殿がないことで、ご神体は熱い温泉を纏った茶褐色の巨大な岩~~参拝者は裸足になり入り口でお祓いを受けた後、そのご神体の周りを巡るのですが、そこでは熱いお湯と賽銭とを踏んで進むことになります!

芭蕉の句は、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」~~(語ることを許されぬこの湯殿山の尊厳さに打たれて、私はただ感涙で袂をぬらすばかりである。)

曾良の句は、「湯殿山銭踏む道の泪かな」~~(湯殿山では賽銭の散り敷く道を踏んで登る。その別世界の趣の尊さに、感動の涙のこぼれることであるよ。)

湯殿山は、「語るなかれ、聞くなかれ」と言われてきた所、俗人である私にとってはあの異様なご神体を撮影できなかったことは残念でしたが、やはり神秘のヴェールに包まれたところが湯殿山の魅力なのかもしれません:-)))))))))))
※ 俳句の口語訳は、「新潮日本古典集成 芭蕉文集」

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昨年の年末にフランスで発売された愛藏版 日本映画の黄金時代 1935-1975
    その金井勝の頁を翻訳して頂きましたので
            ご高覧頂ければ幸甚です:-))))))))))
 
愛藏版 日本映画の黄金時代 1935-1975

 

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No.59 2017.08.01 ソウルの実験映画祭に行ってきました:-))))))))))
私たちの全作品のニュープリントが韓国・光州市にある<アジア文化センター =ACC>に収蔵さたことは、既にご承知の方も多いかも知れません。

その中の『Good-bye』(1971)が、ACCのプリントを使って、Exis 2017=Experimental film &videofestival in Seuolで上映されることになり、トークショウの為7月12日から3泊で招待されました!

『Good-bye』は、1970年の春に<よど号ハイジャック事件>があったその夏に、韓国ロケを行った作品でした。当時朝鮮戦争の休戦から17年が経っていましたが、まだ戦争の傷跡を首都・ソウルのあちこちに残していました。

しかしこの度私が呼ばれた場所は、そのソウルの旧市街からちょっと離れた超近代的な大都会~~2002年に行われた<日韓共催FIFAワールドカップ>の韓国サイドの拠点となったその跡地で、林立する高層ビルの谷間には様々なアートオブジェが点在して心を癒してくれます。
しかし、この新興都市は所謂オフィス街~~右上の写真が証明しているように人影がまばらなのが、映画祭に参加する者としては、ちょっと心細くなってきます、、、、、(笑)!

さてそのビル群の中に、<韓国映画博物館&韓国フィルムアーカイヴス =KOFA>の大きな建物があり、その大ホールで7月13日から一週間 <Exis 2017>が開催されました:-)))))))))


         
 寝転んで空を見上げる
巨大な女
フレームを指さす
男たち
 何と日が落ちると
男たちは発光
何故か力を与えてくれる
逞しい胸像たち
 そして後ろが
Exisの上映会場
私たちが参加したのは、オープニングの13日と『Good-bye 』が上映された14日だけでしたが、そこで見た作品の多くは美術的なコンセプチャル・アートでした。
~~が、それらの中に何故か異質で強烈なドキュメンタリーが含まれていました:-!?!?!?

それは、1946年~1958年にかけてアメリカがビキニ環礁で23回にわたって行った<水中原子爆弾実験>の記録映画でした!
映画祭のカタログによると、「長崎に落とされたと同じ型の原爆で、700人以上のカメラとおよそ500人のカメラオペレーターがこのテストサイトを囲んでいた」そうです!

そしてそこに試験用に浮かんでいた艦船たち~~アメリカの軍艦「ネバダ」などに混じって、日本海軍やドイツ海軍の戦艦なども<主要標的艦>として登場させられ、度重なる核実験により徐々にその数を減らしてゆきました!

1954年には、このビキニ環礁での水爆実験で日本の遠洋マグロ漁船・<第五福竜丸>が被爆しています:-!!!!!

万物にとって掛替えのないこの地球~~他国を威圧するための核実験やミサイルの打ち上げ実験が相変わらず続いており、改めて人間たちの愚かさに、この上ない虚しさを感じさせられます:-!!!!!!!
     
 上映前の大ホール  キム・ジハさんと私  観客数は30数名でしたが、手応えは感じました!

さて、14日の夜は『Good-bye 』の上映とトークショーですが、日本を発つ前の晩に映画祭の担当者からメールがきて、そこには「まだ日本語の通訳が見つかっていない!」とあり、仰天~~そこで「是非とも前衛的な映画が分かる通訳を探しておいてくれ!」と強く要望しておきました:-!!!!!!!

そして司会&通訳はACCのキム・ジハさんに決まったと聞き、先ずはほっとしました!
勿論それまでに日本語によるメール交換は有りましたが、お会いするのは今回が初めて~~前日渡された映画祭のカタログで私の紹介記事もキム・ジハさんによるモノだと知り、その確かな紹介文に段々と不安が勇気へと変わってきました:-)))))))))

更に当日お会いして、彼女がかつて多摩美術大学に留学していたことがあり、日本語は勿論のこと前衛的な映画の知識も豊富で、更に私に関する著作にも目を通されていたので、本当に助かりました:-))))))))))

上映素材は、韓国語の字幕が入っていたのでビデオだったと思いますが、ともあれ<IMAGICA ウエスト>の研究熱心な技術者たちによる作業~~50年近く前のネガからの映像&音声とは思えないその出来栄え~~に、心から感謝!
トークショウではではキム・ジハさんとの息が合い、
      決して多いとは言えない観客数でしたが、そこには確かなる一体感が生まれていたように感じました
:-)))))))))
 私は翌14日に帰国しましたが
プログラムを見ると
これからがこの映画祭の佳境に入るところであったと感じまし
た!
http://ex-is.org/exis2017

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No.58 2017.06.28 細井靖明の≪天元台高原≫のポスター:-))))))))))
私の自主映画活動も処女作・『無人列島』(1969)から数えると、もうちょっとで半世紀になります!
その間、私を支えてくれたスタッフやキャスト、そして上映などに関わってくれた方々を含めるとかなりの数になりますが、その人たちも年々病や事故などで帰らぬ人になり、また連絡が取れなくなった者も段々と増えてきました。

そんな中で、『王国』(1973)の<時間会議>の出演者で背中に火を背負って走り回り、またオムニバス映画・『時が乱吹く』(1991)では撮影を担当してくれたのが細井靖明~~その彼とは今でも電話やメールのやり取りをしています:-)))))))))))

彼は、野田真吉、長野千秋、城之内元晴や私が契約者として働いていた≪神奈川ニュース映画協会≫の社員でキャメラマンとして活躍していました。

しかし、時の流れの中であの≪岩波映画社≫が1998年に解散・・・・・やがて≪神奈川ニュース≫にもその長い歴史にピリオドが打たれる日が来ました!

細井靖明はその後、彼の第2の拠点を山形県の米沢に置き、主に西吾妻山(2,035m)周辺に自生する植物などの調査研究に励み、神奈川の屋根・丹沢山塊の取材で学んだ経験と知識とを更に深め発展させて、ここ米沢の大自然を謳歌するハイカーたちのガイドなどもしております!

また、数年前には地元の植物研究者・石栗正人氏の監修のもと、DVDで『四季の香り ~西吾妻山~』を発表しました。

西吾妻山を代表するチングルマをはじめとする高山植物の四季の魅力を野鳥なども絡ませて構成~~その魅力あふれる映像と適切な解説で人気を集め、教材としても大いに活用されています!
また近年高性能のスチールカメラを購入~~本格的に高山植物や野鳥などの写真で≪西吾妻山≫の魅力を発表~~度々山形県内を中心に写真展を開催しているとのことです!

そして、そして、彼の撮った写真たちが、≪西吾妻山≫の中にある≪天元台高原≫のポスターになりました:-)))))))))))
しかしそこに写真提供者=≪細井靖明≫の名前が記されていなかったのは残念~~関係者の方々も彼の努力に敬意を示すべきだと思いますが、、、如何なものでしょうか!?

さて、前にも触れましたが、この春に私の全作品のニュープリントが韓国の光州にある≪国立・アジア 文化・センター(=ACC)≫の所蔵となりました!

そのACCと共催の形で≪金井勝特集≫が2017年度≪ソウル国際実験映画祭≫の中に組み込まれることになり、7月半ばにその映画祭に招待されました!
欧米や日本での≪選集や特集 ≫はこれまでに少なからずありましたが、アジアでは初めて~~大きな勇気を頂けたと思っております:-)))))))))))

そのあたりのことは次回の≪月刊"勝丸"≫でご報告させて頂きますので、ご訪問のほど何卒宜しく:-!!!

※ Experimental film&Video Festival in Seoul=Exis2017  http://ex-is.org/exis2017

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No.57 2017.06.05 北海道の登別温泉に行ってきました:-))))))))))

この1年半ほどの間に、糖尿病と心臓病の検査や手術などで合計6~7回入院~~そこで出会った先生方にも恵まれ、徐々に回復への道を歩んでいるようです:-))))))))))

が~~しかし、薬品などの関係もあって歯を1本抜くのにも大変で、大きな病院にしかない≪口腔外科≫に通院した後でないと処置できないということが分かりました。
先ずその口腔外科の先生と、掛かり付けの歯科医、糖尿病の担当医、心臓病の担当医との手紙のやり取りを郵便局員よろしく私自身が配達した後でないと、抜歯の作業には進めなかったのです:-!!!!!!!!!!

そうした予期せぬ問題などに滅入ってばかりはいられないので、妻の智女との相談~~空路を使って一気に北海道へ飛び、大自然に包まれた新緑の登別温泉郷に行ってきました:-))))))))))

北海道には智女は初めて、私も仕事などで数回ほど来ましたが観光としては初めて~~今回は闘病生活で疲れた心身を癒すのが主なる目的なので、余り出歩かずに三泊四日、豊かな出湯を楽しみました:-))))))))))

その昔、アイヌの人々が薬湯として重宝していたと伝わるかけ流しの温泉に、北海道ならではの海の幸・山の幸のバイキング~~腹ごなしに緑風の中を歩けば、街のあちこちに金棒を持った赤鬼や青鬼がおり、更に閻魔大王が大声を張り上げて観光客に審判を下しています:-))))))))))

そんな中に漂う硫黄の匂い~~時々湯気と一緒に熱湯を吹き上げる間歇泉があちらこちらにありました!
更に街はずれの散策路へ入ると、噴火活動でできた巨大な爆裂火口跡があり、あたり一帯は強烈な硫黄の臭気に包まれ、その迫力ある風景から鬼たちや閻魔大王がいるという≪地獄≫が連想されたのかも知れません!

そして八月には≪登別地獄まつり≫!
遂に地獄の窯のふたが開き、赤鬼青鬼を従えて閻魔大王が温泉街へと繰り出し~~そこに迫力ある祭りを展開するそうです:-))))))))))

     
街のあちこちにいる鬼たちの中の
青鬼 
 悪を懲らしめる地獄の主神
閻魔大王
 直径450メートルの爆発火口跡
地獄谷
  ★ 他に登別温泉には≪クマ牧場≫があり、JR登別駅の近くには≪登別マリーンパーク≫があり、観光客の人気を集めています!
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No.56. 2017.04.24 何と我が家の庭に猛禽類が出現:-))))))))))
このところの月刊"勝丸"は、病魔との闘いがほとんどだったので申し訳ありませんでした~~が、今回はある種のビックニュースです:-))))))))))

庭の石畳の上をかすめるかのようにして一羽の野鳥がやってきましたが、その足には獲物らしきものをしっかりと掴んでいたのです:-))))))))))

その時私は居間にいて、最初は庭によく来るヒヨドリかヤマバトあたりだろうと思いましたが、しかしそれらの鳥たちは決して足で獲物を掴んだりはしないので、不思議に思い携帯を掴んで窓辺に行くと、小さいけれども間違いなく猛禽類の一種~~ガラス戸越しでしたが先ずシャッターを切りました!

残念ながらシャープな映像は撮れませんでしたが,それでもその足には猛禽類独特の鋭い爪があり、その左足の爪で獲物の雀を掴んでいるのは写真でも分かると思います:-!!!!!!!!!!

彼は水道の流しの端に1~2分留まり、辺りをきょろきょろを見渡してからもと来た石畳の上に獲物を滑らすようにして飛び去って行きました:-))))))))))

私の家は多摩川の支流・浅川の右岸にあり、池の魚たちを狙ってゴイサギやササゴイなどの水鳥がやってくることもあり、また冬には水が干された水路を伝わって狸も出現しましたが、猛禽類の登場は今回が初めてでした:-))))))))))

さてこの猛禽類ですが、手元にある野鳥図鑑で調べているのですが正直に言ってはっきりとは分かりません~~多分チゴハヤブサの幼鳥のような気がしますが、今度多摩川での<探鳥会>に参加して、指導員さんに聞いておきます:-))))))))))
     
若葉に縁どられた小さな庭  チゴハヤブサの幼鳥か?  鋭い爪に掴まれていたのはスズメだ 
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No.55 2017.04.06 病魔との闘いもあり、アップロードが遅れて御免なさい:-))))))))))

七十歳になった時には六十歳代の単なる延長~~またひとつ歳を重ねたなと思う程度でしたが、この傘寿は曲者~~それまでとはかなり違いました:-!!!

持病となっていた糖尿病と心臓病とが悪化し、度々病院のお世話になっています!
特に心臓病では検査と手術とで5回も入院~~またその間、長年賀状のやり取りを続けてきた同級生たちが一人またひとりと黄泉の国へ旅立ちましたので、あちらの世界が身近に感じられ、その予告編の中に住んでいるように感じる時もあります、、、!

そういったこともあって、<月刊 "勝丸" 三月号>はやむなく休刊~~訪問者の皆様方に誠に申し訳なく思っております。

それでもその間、旧友のMONSHIRO姫からの<応援歌>があり、韓国・光州にある≪アジア文化センター≫へ納入するニュープリントも問題なく出来上がりましたので、先ずはホッと致しております:-))))))))))

※ 挿入手術をして頂いたペースメーカーのチェックが明日あり、それがOKなら当分は老人なりの活動が出来ると思います:-))))))))))


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No.54 2017.02.21 『無人列島』のニュープリントによる試写:-))))))))))

既に何度かお話ししたかと思いますが、一昨年の末から心臓病と糖尿病に苦しめられ
2つの病院を行き来してました~~が、そんな時でも吉報らしきものは舞い込んでてきました。
しかし、相手方の様々な状況の変化などがあったのか、延び延びになっていたので半分は諦めていましたが、昨年の秋あたりから徐々に現実味を帯びてきたのです!

それは韓国の光州市にある国営:《アジア文化センター(=ACC) 》からで、≪かない勝丸プロ≫全作品の発注~~今、そのニュープリントを作成中です:-))))))))))
尚、漏れ訊くところによると、足立正生氏、伊藤高志氏、寺山修司氏などの諸作品などは、既に収蔵されているようです!

そして2月15日の木曜日、五反田のイマジカの試写室で『時が乱吹く』(16mm1991)と『無人列島』(35mm1969)をニュープリントを観ました!
何せ随分昔に撮ったネガからのプリントなので心配でしたが、想像していた以上に奇麗な映像でしたので、 先ずはほっといたしました:-)))))))))
残りの作品のチェックは23日の木曜日で、それらは大阪にある≪イマジカ・ウエスト≫での作業となります。

さて、この≪ACC≫の件は後日また触れさせて頂く機会があろうかと思いますので、今回は『無人列島』についてちょっと述べさせて頂きます。

これは処女作でしたので気合を入れて、兎にも角にも命がけで頑張りました(笑):-))))))))))
先ず
CMなど様々な映像作品に関わって得た貯金に、父に泣きついて借りた百万円を加えた制作資金~~中途半端にはしたくはないので、全ての面で商業作品から遠く離れ、それまでにない≪シュルレアリズム作品≫に挑戦したのです:-))))))))))

学生時代にアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924)を読み、そのブルトンに多大な影響を与えたと言われていたオーストリアの精神分析学者=ジークムント・フロイトの全集も読破していました!
しかし、彼らからの影響を観客に感じさせるようでは作る意味がないと考えていたのです:=))))))))))

さて、私が国民学校
3年生の夏までは、毎日ラジオや新聞、そして学校でも「大日本帝国の正義」が繰り返し、繰り返し語られていて、幼い私たちの脳髄を洗脳し続けていた《魔のイデオロギー》でした:-!!!!!

それが
815日の正午に、昭和天皇の玉音放送があり、無条件降伏~~、やがて小学校には予科練上がりの代用教員が赴任し、波風を巻き起こそうとしましたが、彼は孤立~~その怒りの矛先が私たちに向けられ力いっぱい殴られました!

またその一方で、村は〈農地改革〉を巡り真っ二つに分れ、親たちの確執が子供たちの日常にも絡みついてきて、極めて不快な私の少年時代でした!

そんな中で、何も信じられなくなり悪夢の餌食~~特に明け方にみる夢は、実際にあった出来事が入口となり、有り得る世界と有り得ない世界とが行き来しながら膨張ゆくのがそのパターンでした!

『無人列島』は、それらの悪夢の体験を軸にしてスタートさせ、新しいシュルレアリスム映画を作ろうと必死になって台本を書き上げ、
1968年の晩秋にクランク・インし、翌年1月の東大安田講堂陥落の頃まで撮影を続けました:=)))))))))

そうした激動の中で撮り、そして公開した『無人列島』~~立命館大学の学生であった高野悦子さんのベストセラー 『二十歳の原点』の中では、「(前略)何もする気のないまま『無人列島』という映画を見ました。(中略)人間における相互の関係は殺すか殺されるかという関係(愛においても闘争においても)ではないかと思いました。権力に反抗した日出国は最後に殺されてしまうのでした。次作品にどんなものが出るのか楽しみです。」と記されていましたが、その39日後に彼女は自らの命を絶ったのでした:-!!!!!

また、中野武蔵野ホールで私の作品のレィトショーが
1991年1月にあり、『無人列島』の上映の後にひとりの中年男性が近づいてきて、「ラストのクレジット・タイトルの後にエンド・タイトルも無く、かなり長目に雪原の画像を続けていましたので、私には第2の日出国の登場を待っているように感じました。今クエートを侵略しているイラクのフセイン大統領が、やがて国連軍の憲兵に引かれて現れるような気がして~~この映画の深さを感じました!」と語ってくれました:-!!!!!

そしてイマジカの銀幕に映し出された列車のシーン~~日出国は邪魔になってきた肉親を刺し殺すそのシーンが、前日=2月14日にマレーシアの空港で起こった、独裁者・金正恩の異母兄=金正男氏の殺害事件と大きく重なりました:-!!!!!

また、海外での『無人列島』の上映後に良く質問されるのは、「三島のハラキリ事件があったから、日出国に三島が好んで着ていたあの衣装を着せたのですか?」でした。
そこで、この映画は1969年の4月の末には封切られており、三島事件はその約1年半後の1970年11月25日だと答えると、皆さん吃驚されていました:-!!!!!!

この『無人列島』は、時空を超えて様々な現実とシンクロしながら生き続けて行く、摩訶不思議な側面を持つシュルレアリスム映画だと我ながら思います:-))))))))))


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No.54 2017.01.21 フランスから豪華本:「日本映画の黄金時代」が:-))))))))))
今年は国の内外で予測不能な年になりそうです~~が、一介の老人が悲観的な言葉を並べても埒が明きません!
そこで冥土までのそう長くはないだろう時間を、それなりに楽しみながら生きようと思っていたら、正月早々ボルドーのイベントで知り合った友人から小包が届きました。
近年あまり見かけなくなった外箱付で、タイトルには「Coffret L'Age d'Or du Cinema Japonais1935-1974」とありました:-))))))))))

私はフランス語は解りませんが、「日本映画の黄金時代1935-1975」といった感じでしょうか?
著者は
Pascal-Alex Vincent~~そこで(パスカル アレックス ヴィンセント)と日本語で検索してみたら、アメリカで生まれ育ち、フランスの大学を卒業後に映画の配給会社に就職~~、彼に与えられた職場は日本映画をフランスに配給する部署で、そこでの10年間で段々と日本映画の魅力に嵌っていったようです:-))))))))))
さて、この本の装丁は外箱入りの超豪華本~~表紙には小津安二郎監督の「彼岸花」(1958)、裏表紙には大島渚監督の「青春残酷物語」(1960)のスチール写真~~さらに溝口健二、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、小林正樹、大島渚のDVDが6付いていました:-))))))))))
  
(写真は、「日本映画の黄金時代1935-1975」で、開かれた右のページが「Kanai Katsu」)

ヴィンセントが日本映画の黄金時代としたのは<1935年-1975年>~~和暦に直すと、昭和10年から昭和50年です。
その最初の
昭和10年ですが、その時に私は母の胎内にいて、日一日ときな臭くなってゆく娑婆の様子を伺っていた時でした!

翌年の昭和11年2月には、陸軍皇道派の青年将校らによるクーデター未遂事件=
<2.26事件>が起こり、私が産道を抜け出た3日後に、その青年将校ら17名が処刑されたのです:-!!!

映画は勿論のこと、殆ど全てのジャンルの作品たちは、その時代の<欲求>に反発しようがしまいが、その<欲求>の支配下にあるのだと思います:-!!!

ヴィンセントが選んだ<日本映画の黄金時代>40年間の中の映画人は、101名~~そのひとりに私の名がありました:-))))))))))

そしてそこには同世代の親しかった友人たちの名もあります!
私の『王国』(1973)の中で鳥博士を熱演してくれた、監督でありl脚本家であり、演技者でもあった大和屋竺氏。そして今でも欧米の研究者の間で高く評価されている<日大映研>の創始者のひとりであり、『王国』で編集者の役を演じ朗々と詩を読み上げてくれた映像作家の城之内元晴氏の名もありました!!!
共に夫々が所謂メジャーとは言えない存在ですが、独自の斬新な世界を切り開いた監督たちであり、それを選んでくれたヴィンセントに心から感謝致します:-))))))))))

そして、本書のトップに登場したのは<日大新映研>を立ち上げた足立正生氏~~学生時代に35ミリ作品:「鎖陰」(1963)を引っ提げてATG新宿文化のレイトショーに登場~~一躍その名を世に轟かせましたご仁です!
その「鎖陰」と私の処女作:『無人列島』(1969)との二本立てで、1月末にクロアチアの首都ザグレブの映画祭で公開されますが、本書の出版と重なってとても嬉しく思っております:-))))))))))
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